スポーツ

2018年2月18日 (日)

冬季五輪開催地の非日常~江陵編

 約1週間の平昌五輪の現地取材を終え、日本に戻ってきた。テレビを見る限りでは、韓国より、日本の方が盛り上がっているような感じがする。それでも現地は、普段とは違う、非日常の中にある。

 活動の拠点にしたのは、氷上種目が行われている江陵だった。大会前に懸念されたのは、宿泊施設不足であ。山の中の平昌はもちろん、人口約20万人の江陵も泊まる所は少なく、モーテルなどの料金が10倍以上跳ね上がっているという噂あった。

 そのため、現地に行く予定のあるソウル在住の友人に依頼し、江陵の中心部から少し離れた所にある、13万ウォン(約3000円)の海辺のゲストハウスを紹介してもらった。

 ゲストハウスは相部屋ではあるが、この時期3万ウォンならありがたい。しかしオーバーブッキングだった。江陵宿泊の最初の日、開会式を見たため帰りが遅かった私は、床の上に寝るしかなかった。

 翌日、江陵駅まで出たついでに、ダメもとで駅周辺のモーテルを当たってみた。すると入ったモーテルの1軒目で、15万ウォンの部屋が見つかった。入口の価格表には、週末7万ウォン、平日5万ウォンになっており、私が行ったのが土曜日だったが、5泊するということで、全日5万ウォンにしてもらった。ゲストハウスの3万ウォンに比べると高いが、利便性を考えると、結果としてはほとんど変わらない。

 江陵市内で会った大会ボランティアに、駅前で5万ウォンの宿に泊まっているという話をすると、驚いた表情で、「安いですね。この間カナダ人に聞いたら、駅前のモーテルに120万ウォンで泊っていると言っていました。暖房は効いていますか?テレビはありますか?インターネットは使えますか?」と言われた。もちろん宿泊するのに、何の不自由のない部屋だった。

 5万ウォンでも、通常よりは1、2万ウォン上乗せしている。私が泊まった2日目には、入口の料金表が10万ウォンになり、その翌日に5万ウォンに戻っていた。駅前の宿泊業者にすれば、平昌五輪はまたとない儲けるチャンスであったが、思ったほど宿泊客がおらず、宿泊価格が乱高下しているようだった。

 宿泊客が思ったほど集まらなかった要因として、料金が高いという評判がかなり広まっていたことに加え、昨年1222日に江陵とソウルの清涼里を1時間40分弱で結ぶ高速鉄道・KTXが開通し、ソウルからの日帰りが可能になったことがある。そのため江陵駅は、常に大勢の人でごった返していた。

 KTXが開通する前は、ソウルから鉄道で6時間なのに対し、高速バスだと3時間ほどだったので、交通の拠点は市外バスターミナルを併設した高速バスターミナルの方だった。実際、食堂やコンビニなど、旅行者が必要とする店は、バスターミナルの方に多い。

 それに対して、新たに建設された江陵駅の構内には、食堂とコンビニはそれぞれ1軒ずつだけで、いつも賑わっている。駅に外にも食堂は少なく、テントで立食のフードコートが作られていた。コンビニも、駅の近くには1軒だけ。深夜観戦帰りの人たちが押し掛けると、満員電車のような状況になった。その一方で、バスターミナル側の食堂やコンビニには人が少なく、KTXの開通で、街の人の流れが、完全に変わったようだった。

 旅行者にとっては、開催地のバス料金が無料なのはありがたかった。これは、渋滞解消のため、ナンバーの末尾が偶数か奇数かで通行制限をする2部制を実施するのに伴い、公共交通機関の利用を促すための措置である。

 また江陵市内には、競技施設の大半が集まるオリンピックパークと、女子アイスホッケーが行われる関東ホッケーセンターの2か所があるが、両方とも江陵駅や高速バスターミナルからシャトルバスが頻繁に出ている。こちらも、江陵駅発は混んでいるが、高速バスターミナル発は、乗っている人がほとんどいなかった。

 オリンピックパークに入るのには、2000ウォンで入場券を買う必要がった。最初の日曜日である11日には、入場券売り場に行列ができ、午後2時過ぎには、売り切れになった。

 オリンピックパークの中には、スポンサー企業や2020年の東京五輪などの広報館やイベント広場があり、パレードも行われていた。

 公園内では、マスコットのスホランが愛嬌を振りまいている。しかしこのマスコット、のぞき穴の位置に問題があり、自分だけではしっかりと歩けない。ボランティアに支えられて歩く姿は、微笑ましいようであり、痛々しくもあった。

 14日は江陵でも強風が吹き荒れ、オリンピックパーク内の施設が吹き飛ばされたり、閉鎖されたりした。

 江陵は海沿いの町であるので、風が強いこともある。しかし観光地の一つである、海のそばの大きな池のような鏡浦湖は、湖面に夜空の月が、鏡のように映し出されることで有名だ。昔の風流人は、夜空の月と湖面の月、盃の月と恋人の瞳に映る月を愛でたという。山の平昌と違い、江陵は湖面に波が立たないほど、風が穏やかだということだ。

 鏡浦湖の近くには、烏竹軒など観光地も多く、シーズンになると修学旅行生などで賑わう。ドラマや映画のロケ地でもあることから、日本人や中国人も江陵を訪れるようになった。

 私は24年前に初めて来たのを皮切りに、江陵に来るのは今回が5回目だ。街はオリンピックの影響で随分あか抜けてきたが、もともとは、映画館がシネコン1軒、芸術映画用の独立館が1軒しかない、古びた小さな街である。しかしオリンピックの期間中は外国人が増え、街は間違いなく、非日常の中にある。

 それでも、私が江陵での初日に泊まったゲストハウス近くの海岸の看板には、次のような注意書きがあった。「警告 この地域は、軍作戦地域です。(中略)24:00以後には、海岸線の出入りは、一切禁止するようお願いします」

 南北融和が謳われ、江陵の街全体がお祭りムードであっても、北朝鮮に近い地域ゆえの緊張という、変わらぬ日常がそこにはある。

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新設された江陵駅

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オリンピックパーク・江陵駅間のシャトルバス

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オリンピックパークの入場券を求める行列

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ボランティアに支えられて歩くスホラン

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14日、女子アイスホッケーの日本・コリア戦でコリアは1ゴールを挙げた。左派系の「ハンギョレ新聞」は、「待ちに待った初ゴールが決まった…抱き合う南北統一チーム」という見出しを掲げ、第2面のほぼ全面を使い、これを報じた。 一方保守系の「朝鮮日報」は、第3面の左下6分の1くらいのスペースに、「オリンピック初ゴールは入れたが…単一チーム、日本に1対4で完敗」という見出しを掲げたうえ、ゴールについても「唯一のゴールが出た時、氷上に立つ選手は、韓国国家代表だけだった」と指摘し、冷めた見方で報じている。女子アイスホッケーの南北統一チームに関しては、韓国内でも温度差がかなりある。

2018年2月 4日 (日)

平昌五輪、ごく限られた北朝鮮コメントの注目点

 平昌五輪の開幕も、いよいよ迫ってきた。90年代末、韓国が冬季五輪の開催を目指していると聞いて、まさかと思った。当時はスケートのシュートトラック以外でのメダルはなく、施設も、冬季スポーツに対する関心もゼロに等しかったからだ。

 その後、フィギュアスケートのキム・ヨナの登場を経て、スケルトンなどメダル有望種目は増えたものの、冬季スポーツへの関心の低さは相変わらずだ。それでも開幕が近づき、徐々にお祭りムードにはなっているようだ。

 1日には、北朝鮮選手団が韓国に入った。フィギュアスケートのペアで出場するリョム・デオクの笑顔が話題になっているが、取材にはほとんど応じないのは、相変わらずだ。

 釜山アジア大会(2002年)、大邱ユニバーシアード(2003)、仁川アジア大会(2014年)で、北朝鮮の選手を中心に取材をして感じるのは、まず、まともなコメントを期待してはいけないこと。ただ、ごく限られた言葉の中に、それなりの変化を感じさせる言葉が含まれていることがあるということだ。

 金正日時代は、選手たちは「将軍様(金正日)」の教えとして、「胆力(度胸)」という言葉をやたらと使っていた。

 金正恩体制になった後の仁川アジア大会では、重量挙げ・男子56キロ級で優勝したオム・ユンチョルが、「最高司令官、金正恩同志におかれましては、『卵で岩を割ることはできないが、思想を注入すれば割ることができる』という教えを下さいました」と語ったのが、一番インパクトがあった。

 また女子体操の平均台で優勝したキム・ウンヒャンは表彰式の後、涙声で「異国の地で共和国の旗が空高く掲揚されるのは、元帥様(金正恩)が望んでいたことです。元帥様に金メダルを捧げたい」と発言した。釜山アジア大会などで北朝鮮の選手は、韓国を「南の地」と言うことが多かったが、「異国の地」という言葉に、南北が疎遠になっていること再認識した。

 再び融和ムードが演出される中で、今回はどのような発言をするのか。もっとも、北朝鮮の選手が取材に応じるのは、基本的に勝った時だけ。さほど活躍が期待できない今回は、どれだけコメントを残すかが注目される。

 コメントを残さないのは、美女軍団も同じ。大邱ユニバーシアードでは、閉幕が近づいたころ、事前に申請した記者に限り、北朝鮮の応援団と韓国側関係者との懇親会が始まる前の15分だけ、美女軍団への取材が許された。

 私もその中にいたが、韓国についてはどんな質問をしても、「同じ民族と思いました」「早く統一すればいいと感じました」としか言わない。質問をした後に一瞬の間があり、回答マニュアルのうち、どのファイルが一番相応しいか、探しているようですらあった。日本やアメリカに関する質問には、私の方も向いていた首を180度反対方向に動かして、完全に無視された。

 まともな話はできないけれども、まだ質問できる時間が残っていたので、近くに座っていた女性に「みなさん美人が多いですね」と声をかけると、隣の席の女性まで話に加わり、「平壌にはもっと美人が多いですよ」と言うので、「どうしてですか」と聞くと、「空気もいいし、住みやすいからですよ」と自慢げに答えていた。話の内容はともかく、かろうじて会話が成り立ったのは、これだけだった。

 果たして、今回はどうだろうか。冬の装いで登場するのは、今回が初めてなので、ファッションも含めそれなりに注目されるだろう。金正恩時代になってから、どんな変化があるのかも気になるが、彼女たちの声は、どこまでメディアに登場するだろうか。

 こうした北朝鮮代表団を、大会が行われる平昌、江陵の人たちはどのように思っているのだろうか。平昌、江陵から北朝鮮は近い。

 私が江陵に初めて行ったのは、ソウルに留学していた943月のことだ。後に「秋の童話」のロケ地として知られることになる束草から江陵に入ったが、バスが市街地に入る前に、軍人が乗り込んで、不審者がいないか、チェックしていた。かつては、北朝鮮の工作員が江陵の海岸から上陸し、銃撃戦になったこともあった。

 戦争になれば、真っ先に戦場になる地域だけに、平和、平穏であることへの思いは強い。ただ近いだけに、北朝鮮への不信感が強いのも確かだ。

 今回、北朝鮮は選手や応援団だけでなく、芸術団やテコンドー演技団など、韓国の想定を超えた代表団を送り込んできた。私も最初は驚いたが、北朝鮮にすれば、選手団だけ送るよりも、多様な形態の代表団を構成した方が、より韓国側を揺さぶり、自分たちのペースに持っていきやすい。

 韓国では、保守団体を中心に反北朝鮮世論は高まっている。北朝鮮の国旗を燃やすなどのパフォーマンスをする団体もある。こうした動きに対して、北朝鮮は選手団の帰国となると、それなりの覚悟が必要だが、応援団、芸術団ならば活動のボイコットや帰国を示唆して、韓国側を揺さぶることも可能と思っているのではないか。その時、韓国側はどこまで毅然とした対応ができるだろうか。

 北朝鮮に振り回され、オリンピックそのものに影響が出れば、南北融和に否定的な世論を、今まで以上に世界に拡散させる可能性がある。これは、「これでは南北大運動会ではないか」とう批判が出ていた、釜山アジア大会と大邱ユニバーシアードの教訓でもある。加えて、オリンピックは、アジア大会やユニバーシアードとは、注目度が全く異なることも、留意しておく必要がある。

 

 

2017年12月20日 (水)

北朝鮮、サッカー強化の本気

 16日に幕を閉じたサッカーの東アジアE‐1選手権は、男子は韓国、女子は北朝鮮が優勝した。言い古された表現であるが、朝鮮半島には昔から「東男に京女」に似た意味で、「南男北女」という言葉がある。サッカーでも、「南男北女」の現象が続いている。

 私は今回、2014年の仁川アジア大会以来3年ぶりに北朝鮮の男女のサッカーを取材した。3年前も優勝したのは男子が韓国で、女子が北朝鮮であった。今回北朝鮮の女子は、3試合で挙げた5得点のうち、4点を挙げたキム・ユンミが強烈な印象を残したが、3年前のメンバーで残っているのは、キム・ユンミを含めごく少数。今回は16歳の選手など、10代の選手を積極的に選抜し、メンバーはかなり若返った。

 北朝鮮は4月に平壌で開催されたアジアカップの予選で韓国と引き分け、予選全体の得失点差で2位となり、2019年にフランスで開催されるW杯の予選を兼ねたアジアカップの出場を逃している。

 そのことがよほど悔しかったのか、今大会でもキム・グァンミン監督は、「あのような悔しい思いはしたくない」と、繰り返し語っていた。

 アジアカップの予選の組み合わせで、平壌で行われる北朝鮮のグループに韓国が入った時、試合が無事に行われるか、懸念の声もあった。核やミサイルによる朝鮮半島の緊張に加え、これまで男子のW杯予選の南北対決では、北朝鮮ホームの試合は、中立地である中国で行われていた。

 平壌で韓国の国旗、国歌を使用することを許したうえで、平壌で予選を開催したことは、北朝鮮がサッカーに本気で力を入れていることの表れだ。それだけに韓国に続く2位に甘んじ、アジアカップの出場を逃したことは、北朝鮮にとっては屈辱だったはずだ。

 今回のE‐1選手権は、北朝鮮の女子サッカーにとっては再出発の舞台となり、選手も若返った。しかし朝鮮半島情勢を反映して、大会はかなり異例の形になった。この大会では、男子の優勝チームには25万ドル(約2880万円)、女子には7万ドル(約805万円)の賞金が贈られることになっており、2~4位のチームにも賞金が出ることになっているが、北朝鮮には支払わないことが発表された。

 経済制裁により、北朝鮮への資金源を断つという状況の下、スポーツといえども、北朝鮮にお金を渡すことがはばかれるのは確かだ。ただその一方で、参加国には同じ条件というのがスポーツの原則でもある。北朝鮮は、来年ロシアで開催される男子のW杯はもちろん、女子も2019年のW杯の出場を逃しているが、もし出場したら、FIFA(国際サッカー連盟)は、どのような判断を下すか気になるとことだ。

 五輪やアジア大会はともかく、スポーツの国際大会の多くで賞金が出される中、経済制裁を科されている国にどう対応すべきかは、議論がなされるべき問題だ。

 もっとも、E-1選手権で女子が優勝したことは、国際的な孤立の中で存在を誇示したということで、北朝鮮にとっては、賞金以上の意味があったはずだ。

 またキム・グァンミン監督の口からは、今回政治的な発言は出てこなかった。仁川アジア大会でもキム監督が指揮していた。この時は、準決勝までは普通にサッカーの話をしていたが、優勝するや会見での第一声は、「金正恩元帥様の愛と配慮のお陰である」というものだった。

 2002年の釜山アジア大会で北朝鮮の女子サッカーが優勝した時も、金正恩と金正日の違いだけで、会見内容は指導者礼賛であった。どの競技種目であれ、北朝鮮が優勝した時の指導者礼賛は、ある種、お決まりである。

 韓国での発言と、日本での発言は違うのだろうが、北朝鮮のスポーツを取材していて、政治的な発言なき優勝会見は、新鮮であった。もっとも、それが普通なのだが……。

 それでも、北朝鮮がサッカーの強化に本腰を入れていることは間違いない。今回北朝鮮の男子は、1分け2敗で最下位であったが、昨年からドイツ・ブンデスリーガで活躍したノルウェー人のヨルン・アンデルセンが監督に就任。平日は代表チームで練習し、週末は各チームに戻り試合をするという強化により、日本には敗れたとはいえ、互角以上の試合をするなど、確実に力をつけている。

 北朝鮮のスポーツは、政治の影響を非常に強く受ける。北朝鮮を取り巻く厳しい状況の中で、サッカーがこのまま順調に伸びていくかどうかは分からない。ただ、既に国際大会で実績を残している女子だけでなく、女子に比べ存在感が薄い男子も、日本サッカーの脅威になる可能性は十分ある。

 北朝鮮の女子は当面、来年のアジア大会、さらには2020年の東京五輪を目指すことになるだろうし、男子は2022年のW杯を目指すことになる。その時、北朝鮮はどういう状態になっているだろうか。純粋にサッカーの話だけというわけにはいかないところが、この国の悲しいところだ。

2017年12月 7日 (木)

平昌五輪、北朝鮮頼みが招く北朝鮮リスク

 1988年のソウル五輪では、ソ連の参加が大きな焦点になっていた。韓国と北朝鮮は長い間勢力を誇示する競争を繰り広げてきたが、韓国の経済成長が軌道に乗ってきた1980年代、南北の差は、はっきりし始めていた。

 そうした状況で、共産圏の盟主であるソ連がソウル五輪に参加することは、北朝鮮にとって決定的なダメージであった。金日成主席はゴルバチョフ書記長に、参加しないよう要請したが、拒否されたと言われる。ソウル五輪では、日本やアメリカはヒールであり、ソ連には、観客から声援が送られていた。

 ソ連が崩壊した後も、その中心であるロシアは、相変わらずスポーツ大国である。韓国でソウル五輪以来、30年ぶりに開催されるオリンピックである平昌五輪でロシアは、ドーピング問題により、国としての参加が禁止されることが決まった。

 ロシアが参加しないことは、それでなくても盛り上がらない平昌五輪に、また大きな難題を抱えたことを意味する。

 ドーピングで汚染された疑いのある選手が参加することは、大会の価値を下げることになる。その一方で、注目の選手が参加しないことも、大会の価値を下げることであり、平昌五輪は、ジレンマを抱えたまま、状況は厳しくなる一方だ。

 参加といえば、北朝鮮問題も大きい。北朝鮮は唯一自力で出場権を獲得したフィギュアスケートのペアで、出場の意思を示さないまま、期限が過ぎた。これにより北朝鮮は、フィギュアスケート・ペアの出場権を放棄したことになる。

 まだ特別枠での出場の可能性があるので、出場の可能性がなくなったわけではない。出場するにしても少人数の選手団になるだけに、逆にギリギリまで、態度表明を伸ばすことが可能だとも言える。

 そもそも北朝鮮は、出場の意思を十分に持っていたのではないか。4月には、平昌五輪の会場である江陵で開催された女子アイスホッケーの世界選手権、ディビジョン2・グループAの大会に、北朝鮮も参加している。同じ時期に平壌で開催された女子サッカーのアジアカップの予選に韓国も参加し、平壌に韓国の国歌が流れ、国旗が掲揚された。2013年に平壌で開催された重量挙げのアジアクラブ選手権で一度あるものの、これは極めて異例のことである。

 孤立を深める北朝鮮にとって、スポーツは軍事的な問題でなく、自国の存在をアピールできる数少ない機会である。金正恩体制になった後も、国防委員会所属でスポーツ担当機関である「国家体育指導委員会」を新設するなど、力を入れてきた。

 そうした中、5月に韓国では文在寅政権が誕生した。文政権は、北朝鮮に平昌五輪への参加と、一部種目の南北統一チームの結成などを呼び掛けた。

 文政権はもともと、北朝鮮に融和的な人たちの支持を受けて当選を果たしたものの、ミサイル発射や核実験などで、北朝鮮には厳しい態度を取らざるを得ない。平昌五輪は、北朝鮮に融和的な態度を示すことができる数少ない機会である。また北朝鮮の参加で、盛り上がりに欠ける平昌五輪の関心を高めることも期待されている。

 しかも、開幕まで2カ月余りとなった先月29日、北朝鮮がミサイルを発射した。オリンピック、パラリンピックが終わる318日までの間、北朝鮮が新たな挑発行為に出れば、緊張がますます高まるし、挑発がなければないで不気味な沈黙として、落ち着かない状況が続くに違いない。だからこそ、大会の安全な開催のために、北朝鮮の参加を求める声も大きい。

 国際社会で孤立を深めている北朝鮮にとって、平昌五輪は、歓迎されている数少ない機会であると同時に、最高のカードになっている。

 北朝鮮の権力者が何を考えているか、読めない部分はあるものの、平昌五輪そのものに対する妨害行為は、致命的な孤立を招くだけに行わないと思う。

 それでも、参加の可能性を残しながら、揺さぶることで、何かを得ようとする可能性は十分ある。北朝鮮の平昌五輪の参加をより切実に願っているのは、北朝鮮よりも韓国の方であるからだ。韓国は北朝鮮に足元をみられている状況だ。

 文在寅政権にとって、北朝鮮参加への思いが強いだけに、かえって平昌五輪開幕ギリギリまで、北朝鮮に揺さぶられるリスクを負いそうな感じがする。

 

 

2017年11月 2日 (木)

韓国人の聖火へのこだわり

 平昌五輪開幕100日前となった111日、聖火が韓国に上陸した。仁川国際空港に到着したチャーター便から降りる、フィギュアスケートの金メダリストであるキム・ヨナと、所轄官庁である文化体育観光部の都鍾煥長官が手にした聖火を、李洛淵国務総理が出迎えるという、超ⅤIP級の歓待ぶりだ。

 韓国女子フィギュアの有望選手であるユ・ヨンが、韓国内での最初の聖火ランナーになり、小平奈緒との金メダルをかけた対決が注目される女子スピードスケートのイ・サンファや有名芸能人らが初日の聖火ランナーになった。

 聖火リレーの距離は、2018年の開催にちなみ、2018キロ。聖火ランナーの数は、北朝鮮も含めた人口、約7500万人を象徴して、7500人と、韓国らしいこだわりである。

 韓国人は聖火に関心が高いので、大会の広報、雰囲気の盛り上げには一定の効果があるだろう。ただ、懸案の入場券の売り上げに効果があるかは、疑問である。

 オリンピックで聖火リレーが行われたのは、ナチス・ドイツの政権下で開催されたベルリン五輪であった。この大会に、日本選手団の役員として参加した李相佰は、聖火リレーに強い感銘を受けた。

 以前も取り上げたことがあるが、李相佰は戦前、早稲田大学に留学した韓国人で、早稲田大学ではバスケットボール部の主将や監督を務めた。英語が堪能で、アメリカのバスケットボールの最新の理論を日本に持ち込む一方で、日本バスケットボール協会の創設にも貢献した。バスケットボール協会創設後は、協会の常務理事とともに、大日本体育協会(現日本体育協会)の理事にもなり、ベルリン五輪には、本部役員として参加した。

 1940年に招致が決まった東京五輪では、組織委員会の競技部参与に就任。早稲田大学では津田左右吉に師事した歴史学者でもある李相佰は、ベルリンでの感動から、聖火をアテネからシルクロードを通る聖火リレーを計画していたという。1940年の聖火リレーは、戦争により幻に終わった。

 李相佰は解放前に祖国に戻り、解放後は、大日本体育協会の役員として培った人脈を基に、韓国のIOC(国際オリンピック委員会)加盟に尽力した、「韓国のクーベルタン」とも呼ばれる人物だ。

 聖火にこだわりを持つ李相佰は、韓国の国体である全国体育大会で、1955年から聖火リレーを行うようにした。採火の場所は、民族の始祖と呼ばれ、神話の存在である檀君が祭祀を行った場所とされる、仁川に隣接した江華島の摩尼山の山頂にある塹星壇で行い、それは今日でも続いている。さらにここ十数年の全国体育大会での聖火の最終点火は、オリンピックばりの派手なものになっている。

 聖火にこだわりが強い分、悲劇を含め、聖火にまつわる、様々なエピソードがある。

 1988年のソウル五輪では、最終点火者が3人と凝ったものになったが、点火の際、先に放たれていた鳩がまる焦げになったのは有名な話だ。

 民主化に向かいつつあったものの、まだ軍事政権の時代であったソウル五輪の聖火リレーでは、リレーのコースの周辺にあったバラックは強制的に壊された。そして住んでいた人は、古代人のように、穴を掘って暮らしたという。

 2002年に釜山で開催されたアジア大会では、参加各国に、それぞれの国で採火した火を持って来るように求めた。アジアの火を一つに集めるという趣旨だったが、独自に採火しなければならない参加国のオリンピック委員会には、不評だったようだ。

 2014年の仁川アジア大会では、火と水の調和ということで、聖火台が噴水の中央に火が灯る構造になっていたが、大会の途中で火が消えるハプニングがあった。

 しかも聖火の最終点火者の1人が、女優のイ・ヨンエであったことを問題視する人が多く、大会のプレスセンターで行われた閉会式の記者会見では記者からは、閉会式に関する質問はほとんど出ないで、開会式の聖火点火者がイ・ヨンエであったことに、質問や意見が集中したという話を、現場にいた記者から聞いた。

 果たして平昌五輪の聖火では、どのようなエピソードを残すだろうか。開会式会場の聖火台はカバーに覆われ、点火の方式などはベールに包まれている。

 ただ一つ推察できるのは、最終点火者は、キム・ヨナだろうということだ。韓国の冬季スポーツでは唯一と言っていいほどの世界的な知名度により、五輪招致に果たした役割、五輪広報での貢献などを考えれば、他の人物は考えにくい。もっとも、聖火には凝りたいお国柄だけに、思わぬ人物が登場するかもしれないが、それはそれで、ハプニングと言っていいのではないか。

 

2017年10月27日 (金)

日韓それぞれのドラフト会議

 今年もドラフト会議が終わった。注目の清宮幸太郎(早稲田実)は7球団の競合の末、日本ハムが交渉権を獲得した。

 清宮は、入学式から数日後の春季都大会3回戦の駒大高戦から、常に多くの観衆とメディアに囲まれながら試合をし、結果を出してきた。はっきり聞き取りやすい話し方で、ポイントを外さない受け答えなど、私も取材者の1人として、感心することが多かった。それにしも、高校の野球部生活は短いなと感じる。プロの世界での活躍を期待したい。

 ドラフト会議は、プロもアマチュアも、その成り行きを固唾を呑んで見守るという意味では、日本の野球、最大のイベントと言っていい。ドラフト会議の盛り上がりを支えているのは、プロ野球人気もさることながら、高校野球をはじめとするアマチュア野球への関心の高さだろう。これは、日本独特のものではないだろうか。

 韓国にもドラフト会議はあるが、日本のように注目されることはない。それ以外にも、制度面も含め、日本と異なる点も多い。

 制度面で一番異なるのは、各球団のフランチャイズ地域の高校の選手(出身者を含む)を1人、優先的に指名できる、地域縁故指名の制度があることだ。

 1982年に韓国にプロ野球が誕生したころ、高校野球の人気が非常に高かった。プロ野球は、全斗煥政権下、政府主導で始まったが、行政当局は、この高校野球人気を徹底的に利用することを考えた。それが地域縁故指名のもともとのはじまりであった。

 プロ野球が始まり、人気が高まるのと反比例して、高校野球人気はどんどん落ち込んでいった。韓国の高校野球部は、学校からの支援がほとんどなく、部員の親が、監督の給料をも賄っている状態で、慢性的に資金難である。そのためプロ野球の各球団は、地元の高校チームを支援している。現在の地域縁故制度は、その動機付けという側面がある。

 その分、韓国の高校野球では、プロの意向を無視できない。この夏、U18ワールドカップで韓国は日本を破り準優勝した。これは、優勝した2008年の大会以来の好成績である。その要因となったのが、ドラフト会議の日程変更であった。

 地域縁故指名は6月に行われたが、全体のドラフト会議は、例年なら8月半ばだが、今年はU18の大会が終わった直後の911日に行われた。そのため選手たちは、少しでも上位で指名されるよう、プレーにも力が入った。

 しかも、昨年までのようにドラフト会議の後だと、プロ球団の中には、指名した選手が故障するのを恐れて、選手起用にも干渉することがあったようだ。そうしたしがらみがないことも、好成績の要因とも言われている。

 また、野球に限らず、バスケットボールなどでもそうだが、韓国のドラフト会議で、最も違和感があるのは、プロ志望届を出した人は、原則としてドラフト会議の会場に来ることになっていることだ。今年のドラフトでも、多くの選手が、学校のユニホームを着て参席していた。そして、指名された選手は、指名球団のユニホームを着て、記念写真に応じる。

 しかしドラフト指名は、あくまでも交渉権獲得であって、入団が決まったわけではない。そのうえ、指名されなかった選手は、寂しくさらし者になる。

 日本のプロ野球は、ごく限られた、特別な選手がいくところというイメージがある。それに対して韓国では、高校のチーム数は74であるのに対し、各球団は、地域縁故指名の1人を加え、11人、10球団なので、計110人が指名される。高校の野球部員は、プロに行くことを前提にしている。そのうえメディアも、指名が予想される選手のいる学校の記者を派遣するなど、面倒なことはしない。そこで選手の方を呼んでいるわけだが、選手の側の立場の弱さを感じる。

 なお、ドラフト指名の選手の数が多いのは、韓国には兵役制度があることも影響している。

 プロの世界は入ってからの競争がさらに激しい。上位、下位問わず、日韓それぞれのドラフト指名選手から、球界を盛り上げるスター選手が育ってほしいものだ。

2017年10月13日 (金)

国民打者・李承燁の引き際

 韓国のプロ野球は103日に正規シーズンが終わり、その年のチャンピオンを決めるポストシーズンが行われている。

 秋夕(旧盆)の連休のさなかではあったが、3日のシーズン最後の試合で最も注目されたのが、サムスンの試合だった。「国民打者」と呼ばれた李承燁の現役最後の試合だったからだ。

 日韓の通算本塁打は626本。2003年には王貞治の記録を抜き、当時のアジア記録であった年間の56本の本塁打を放ち、国民的なスター選手になった。

 さらにシドニー五輪や北京五輪、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)など、国際試合での活躍で、国民的ヒーローの座を確かなものにした。

 また李承燁は、悪い評判が全くと言っていいほどないのも特記すべきことだ。マスコミなどとの関係が円滑なのが、その理由の一つである。私も、シドニー五輪やアテネ五輪のアジア予選の前に、つてを頼りに、李承燁の取材を申し込んだところ、絶対に無理との答えだった。しかし現地に行き、本人に直接頼むと、あっさり応じてくれた。

 李承燁という選手の存在は、韓国のプロ野球が、野武士のような選手が集まった草創期から、産業化が進む今日への橋渡しにもなった。かつて韓国のプロ野球は、大学を経由するのが一般的であったが、李承燁が高卒として成功を収めたことで、高校からすぐにプロに入るのが、一般化した。

 李承燁の最後のシーズンとなった今年の成績は、打率.280、本塁打24本、打点87。本塁打は、外国人選手以外では、チームトップの数字で、まだまだやれると思う。最後の試合では、2本の本塁打を放っている。けれども、今シーズンで引退することは、シーズン前から決まっていたことで、サムスンのビジターの試合の各球場の最終戦では、記念のセレモニーが行われた。

 考えてみれば、李承燁ほどのスター選手で、何の後腐れなく、さわやかに去っていた選手も珍しい。

 韓国のプロ野球で、打のスターが李承燁なら、投のスターは宣銅烈や朴賛浩ということになる。

 宣は、中日を優勝に導いた1999年を最後に現役を引退した。本当は、もう少し現役を続けたかったとも言われている。しかし、当時宣は、ヘテ(現KIA)からレンタル移籍の形で、中日で活動していた。再契約する場合、中日が追加の費用を支払うことを、ヘテ側から求められるのなど、関係者の間がギクシャクする中で、現役の続行が困難になったとも言われている。

 宣が指導者の現場に就いたのは、ヘテ時代の監督であった金應龍が監督であったサムスンのヘッドコーチに就任した2004年のこと。翌年から同チームの監督に就任している。

 宣は出身地の光州では、絶対的な存在であるが、地元球団の監督に就任したのは、ヘテからKIAに変わった後の2012年のことである。

 韓国では所属チームのスター選手が、そのままチームのコーチや監督になるというケースは、そう多くない。かつて韓国プロ野球のあるコーチが、「韓国では、選手も球団側も、距離が近くて嫌なところを見過ぎたからだ」と、その理由を解説してくれたことある。

 スター選手という面では、韓国人メジャーリーガー第1号の朴賛浩も特別な存在である。朴のドジャースでの活躍は、韓国人のアメリカ進出の道を開き、柳賢振(ドジャース)や金廣鉉(SK)ら、後輩の選手たちに大きな影響を及ぼした。

 朴はオリックスを経て、2012年に故郷のチームであるハンファに移籍した。そして、その年の11月末に引退発表を行っている。ところが、この年は新生のNC球団発足に伴い、各球団の保護枠(40人)を除く選手を、NCをはじめとする他球団が指名できる、いわゆる2次ドラフトが1122日に行われた。

 朴が進退に関する態度をはっきりしていなかったため、朴は保護選手の40人に含まれていた。そして、若手の有望選手が1人、2次ドラフトを通して他球団に持っていかれた。

 翌年、ハンファのキャンプを取材した時、コーチの1人が、「辞めるのなら、早く言ってくれないと、困るんだよな」と嘆いていた。大物の引退としては、決断の時期が遅かったことで、後味の悪さがあった。

 その点、今回の李承燁は、引退が早過ぎるのではという思いがあっても、引き際としては、ベストに近いのではないだろうか。

 問題は今後である。遠からず、コーチ・監督として、現場に復帰するだろう。ただ監督就任は焦らず、指導者経験を積むことが重要だ。とはいえ、いずれは自分の地位を脅かすであろう、大物コーチを受け入れる監督がいるだろうか。宣銅烈も、そのため現場復帰が遅れた面もある。

 それなら、日本でコーチとしての経験を積むのも、李承燁本人だけでなく、日本や韓国のプロ野球にとって、悪い話ではないと思うのだが。

2017年9月22日 (金)

開幕が近づく平昌に行く(1)平昌は今、工事中

 平昌五輪開幕まで140日となったが、「平昌」という文字は、韓国よりも日本の方で多く見かける気がする。金浦空港やソウル駅などに公式グッズの売り場があるが、立ち寄る人はあまりいない。

 では現地はどうなのか。先週韓国に行く機会があったので、短時間ではあるが、平昌にも足を伸ばしてみた。平昌の今を、2回に分けて書いてみたい。

 平昌には、スケート会場でもある江陵を拠点に回ってみた。江陵には今回が4回目になるが、かつては、山また山を越える、難コースのイメージがある。しかし今回は、新しいトンネルもできて、随分便利になった。

 ソウルから江陵に行った時は、渋滞に巻き込まれて3時間を超えたが、江陵から東ソウルのバスターミナルへは、2時間40分で行けた。かつてに比べると1時間近い短縮だ。途中のトンネルは一部工事中で、赤いランプと警報音が鳴り続けており、軍事施設に入ったような感じがする。

 年末にはKTXも開通する予定なので、山に阻まれ、陸の孤島のイメージがあった江原道も変わっていくだろう。ただそれは、そうした地理的条件ゆえに残っていた、この地域の良さを、消す可能性もある。

 韓国の新聞も見ると、平昌五輪そのものの記事は多くないが、不動産や開発関連の広告はよく目にする。実際平昌に近づくと、新たに開発された地域や、ペンションのような建物が目立つようになった。

 平昌付近の高速道路には、「霧に注意」の看板もあった。スキー競技の開催地である平昌は、霧が多い地域だ。

 江陵など東海岸の地域は、海流の影響もあり、冬場はソウルなどより、気温が高い。しかし、江陵市と平昌郡の境界に位置する大関嶺の山々は、韓国で最も寒い地域の一つだ。狭いエリアで、標高の高低差によるもの以上の温度差があるので、風も強く、霧も発生しやすい。

 私が平昌に行った日は、曇りに小雨のあいにくの天気。それは天気予報で分かっていたので、残念だったが、実際の競技は悪天候の中で行われることもあるので、それを見ておくのも悪くないと、気を取り直して、江陵のバスターミナルから、平昌に向かった。

 開閉会式が行われるオリンピックスタジアムや、メイン会場の一つであるアルペンシアリゾートには、横渓のバスターミナルが拠点になる。

 コンビニと乗車券売り場などが入った小さなターミナルの建物は、まだ真新しい。バスは2台停車するのがやっとで、トイレは仮設という、田舎のバスターミナルといったところだが、江原道内だけでなく、ソウルに向かうバスも発着する、この地域の交通の拠点でもある。

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横渓のバスターミナル

 横渓バスターミナルから、開閉会式が行われるオリンピックスタジアムへは、歩いていける距離にある。スタジアムに向かう途中の歩道は、ほとんどはがされ、新しいブロックを敷き詰める工事が各所で行われている。韓国では土台の工事がしっかりしておらず、敷き詰めたブロックが波打つことがよくある。やるなら、そこはしっかりやってもらいたい。

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 オリンピック、パラリンピックの開閉会式の会場を巡っては、すったもんだがあった。最初はジャンプ会場を予定していたが、小さいとIOCに蹴られ、政府は江陵にある、プロサッカー(Kリーグ)の試合も行われる総合競技場の改築を提案していたが、これでは江陵オリンピックになると、平昌の地域住民が反発した結果、オリンピック、パラリンピックの開閉会式のための、新スタジアムが作られることになった。

 新スタジアムの35000席のうち大半は仮設で、大会後は5000席ほどを残して、イベント会場などに使われるという。

 2014年の仁川アジア大会の時も、ワールドカップの時に使った競技場で開閉会式を行うか、新設するかでもめた末、スタンドの多くを仮設にした、新スタジアムを建設した。

 開会式は国をアピールする絶好の機会であり、面子にこだわる国民性ゆえの過剰投資のように思う。国立競技場を新設する日本も、人のことはあまり言えないが……。

 オリンピックスタジアムの周辺はもともと農村であったことは、歩いてみるとよく分かる。その一方で、都会風の建物が建ち、住宅なのか、リゾートマンションなのか分からないが、アパートの建設も進む。こうした建物が、大会後どうなるか、気になるところだ。

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スタジアムの近くを流れる川の対岸

 オリンピックスタジアムは、仮設スタンドが多い割には、外観は思った以上に立派であった。

 大会中は、様々なイベントが行われる予定とはいえ、パラリンピックの開閉会式も含め、3万5000席のこの施設の晴れ舞台は、4回しかない。スタンドの大半に屋根がないなどの問題があるだけに、施設建設の苦労が報われるかは、お天気次第のところがある。

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 横渓のバスターミナルから、メイン会場のアルペンシアリゾートに行くバスは、現在のところ1日4、5本しかない。ネットで調べると、始発が午前10時であることだけが分かった。そのため、10時のバスで、アルペンシアリゾートに向かった。それについては、次回に記したい。(続く)

2017年9月 5日 (火)

早大と高麗大、意味ある交流の明るくない展望

 サッカーW杯のアジア最終予選は、残り2試合の結果いかんでは、日韓のプレーオフ対決の可能性もあったが、日本がオーストラリに勝って本大会出場を決めたため、なくなった。日韓戦が盛り上がるのは確かだが、今日の情勢を考えれば、負ければ本大会出場の可能性が完全に消えるプレーオフ対決を回避できたのは、良かったと言うべきだろう。

 2日(土)、家からさほど遠くない東伏見で、メディアではほとんど報じられない、日韓の試合があった。野球の早稲田大学と高麗大学の定期戦である。

 日本と韓国を代表する私学である早稲田大学と高麗大学は、1973年に学術交流協定を結び、本格的な交流を始めたが、それ以前から両校の交流は盛んであった。

 サッカーでは、戦前は日本代表選手として活躍した金容植と裵宗鎬は、ともに高麗大学の前身である普成専門を出た後、早稲田大学に留学している。そもそも高麗大学中興の祖であった金性洙は、早稲田大学の出身である。

 野球では、戦前朝鮮半島から早稲田大学に入った人はほとんどいないが、数少ない1人で、解放後は韓国野球のボス的存在であった金永祚は、解放後も、元日本高校野球連盟会長の佐伯達夫や、元早稲田大学野球部監督の石井藤吉郎など、早稲田大学出身のアマチュア野球の大物と交流し、日韓の架け橋になった。そして金永祚の息子は、高麗大学の野球部で活躍した。

 こうしたつながりが、今も続いていることは、非常に意味がある。

 韓国では、20年ほど前までは、大学を経てプロに行くのが当たり前であり、大学野球のレベルは高かった。私がソウルに留学していた1990年代半ばには、後に巨人でプレーした趙成珉(故人)が、長身から速球を投げていたし、少し後には、韓国野球を代表する強打者の金東柱(元斗山)らがいた。粗削りだが、パワフルな野球をしていたことが印象的だった。この夏韓国代表監督に就任した、元中日の宣銅烈も高麗大学の出身である。

 しかし、この20年弱の間に状況は変わり、高校からプロに行くのが当たり前になり、大学では、高校の時にプロに指名されなかったという選手が大半を占めるようになった。

 韓国では911日にドラフト会議があるが、近年は、指名されるのはほとんどが高校生で、そこにメジャーを夢見てアメリカに渡り、挫折した帰国組がちらほら混じるという感じで、大学生はごく少数という傾向が続いている。

 2日の試合では、高麗大学の先発は、先日台湾で開催されたユニバーシアードにおける韓国代表の林亮燮で、キレのあるボールを投げ、立ち上がりと5回に1点ずつ失ったものの、まずまずの投球をしたが、続く投手が打たれて、4-1で早稲田大学が勝利した。

 早稲田大学は、この秋こそは、投手陣の柱としての活躍が期待される大竹耕太郎が、立ち上がり制球が乱れて失点したものの、高麗大学の打線にさほど迫力がなかったこともあり、松本皓、二山陽平の早実コンビに、早大本庄出身の野口陸良とつないで、得点を許さなかった。

 基本的に大半のスポーツの日韓戦は、日本のうまさと韓国の力強さの対決に、試合の面白さがあったが、近年、そうした構図は変わろうとしている。

 今回の試合でも、試合が始まる前と後、ホームプレート前に整列する高麗大学の選手を見ても、体の大きな選手は少なくなったという感じがする。

 そのうえ、昨年の秋以降、韓国を揺るがせた崔順実ゲートの余波で、大学スポーツに対する当局の監視が厳しくなり、大学スポーツはさらに困難な状況に追い込まれる可能性がある。

 日韓関係が思わしくない中、メディアがほとんど注目しなくても、地道に続いているこうした民間交流は非常に大切である。しかし、こうした交流をより意味のあるものにするためには、互いのレベルの高さというのは必要である。

 早稲田大学と高麗大学の交流は、野球だけでなく、サッカーやラグビーなど様々な競技で続いているが、韓国の大学スポーツ界の状況は、そうした交流の先行きに、やや影を落としているような気がする。

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試合前の整列。赤いユニホームが高麗大

 

2017年8月18日 (金)

甲子園大会と韓国の関係

 甲子園の高校野球もベスト16が出そろい、ここから頂点に向けて、大会は一気に進んでいく。この時期、韓国でも高校野球の全国大会が開催されている。韓国日報などが主催する鳳凰大旗全国高校野球大会である。

 この大会の特徴は、地域予選がなく、韓国全ての高校チームが参加することだ。といっても74校。参加校数では、鹿児島大会とほぼ同数である。

 今年のこの大会の開幕戦で、前年優勝のソウルの徽文が、ドジャースの柳賢振の母校である仁川の東山に敗れる波乱があった。

 この徽文高校は、校名が徽文高普であった1923年、今日の全国高校野球選手権大会の前身である全国中等学校野球優勝大会に、朝鮮代表として出場している。この時はまだ球場は甲子園ではなく鳴尾であったが、初戦である2回戦で大連商業を破り準々決勝に進出し、立命館中学に敗れている。

 戦前、日本の支配下にあった朝鮮からも、台湾や満州とともに代表チームを日本の全国大会に派遣しているが、朝鮮人だけのチームは、徽文高普だけであった。

 朝鮮代表として甲子園の土を踏んだチームは、京城中学など日本人中心のチームが多かった。それでも大邱商業(現商苑)や善隣商業(現善隣インターネット)のように、日本人と朝鮮人の混成チームもあった。

 中でも善隣商業は、元は大倉財閥の創設者・大倉喜八郎が創立した学校で、昭和歌謡の巨星・古賀政男も、この学校の出身者である。

 私はソウルに留学していた199394年に、鳳凰大旗の大会をよく観に行った。目的の一つは、97年までは在日のチームも参加しており、その試合を観ることだった。94年のチームのエースは、横浜などで活躍した金城龍彦(当時近大付)で、150キロ近い速球を投げており、準々決勝に進出した。

 と同時に善隣商業など、かつて甲子園大会に出場したことのある学校の試合も興味深かった。当時はまだ、日本の植民地時代に指導を受けた人も健在で、チームの雰囲気も、何となく日本の高校チームに近いものがあった。

 今は頭髪など、日本と近い点もなくはないが、ユニホームの着こなしや、スタイルなどで、日本とはかなり違ってきている。韓国の野球関係者の中には、日本の高校野球のマナーの良さを見習ってほしいという人もいるけれども、韓国には韓国の歩みがあるので、それはどうこう言うことではない。

 甲子園大会と韓国の関係においては、日本に留学し、日本の学校の選手として出場した人も、非常に重要である。

 平安中学(現龍谷大平安)の内野手として活躍した朴点道や京都商業(現京都学園)の内野手として活躍した姜大中は、解放後は韓国代表の選手や監督として、韓国野球の発展に貢献した。

 横浜商業の内野手であり、主将としてセンバツに出場した崔寅哲は、解放後は大韓野球連盟の会長など、韓国の野球協会の役員として、長年韓国野球の発展を支える一方で、日本高校野球連盟の会長だった佐伯達夫らとの交遊を通して、野球の日韓交流にも貢献した。崔は2007年に89歳で亡くなるが、元気なころは、夏の甲子園大会をほぼ毎年のように観戦し、日本の野球関係者との旧交を温めた。

 ただ、崔寅哲が亡くなってから、その代わりとなって日本と交友する人材がおらず、疎遠になったような気がする。

 2009年、野球のアジアAAA選手権(U18)の取材でソウルに行った時、大韓野球協会の関係者から、日本高校野球連盟の会長と、日本野球連盟の会長の名前を教えてほしいと頼まれたことがある。それだけ、互いに向き合うことが少なくなったということだろう。

 近年日韓関係が冷え込む中でも、若い世代を中心として、新たな日韓交流は行われている。それはそれでいいことだが、野球の例に限らず、昔から続いていた日本と韓国の関係は、どうも途切れがちのように思う。

 8月の中で、15日が重要な日であることは日韓ともに同じだ。しかし日本は、終戦、敗戦の日であり、お盆と重なっていることもあり、慰霊に重きを置いているのに対し、韓国は解放の日であり、お祭りムードである。

 ただ植民地支配の時代を知る人が少なくなる中、日韓ともに、その時代のリアリティーがなくなり、自分たちに都合の良い歴史認識が、それぞれで独り歩きしているように思う。

 日本と韓国は、今までも行き違いやナーバスな問題は多々あったものの、互いに交友関係を積み上げてきた。時代が変わっても、その積み重ねは、大事にしなければならない。

 高校野球の話からやや飛躍したが、スポーツを通した日韓交流の歴史を取材してきた立場から、その思いは強くある。

 

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