スポーツ

2017年9月22日 (金)

開幕が近づく平昌に行く(1)平昌は今、工事中

 平昌五輪開幕まで140日となったが、「平昌」という文字は、韓国よりも日本の方で多く見かける気がする。金浦空港やソウル駅などに公式グッズの売り場があるが、立ち寄る人はあまりいない。

 では現地はどうなのか。先週韓国に行く機会があったので、短時間ではあるが、平昌にも足を伸ばしてみた。平昌の今を、2回に分けて書いてみたい。

 平昌には、スケート会場でもある江陵を拠点に回ってみた。江陵には今回が4回目になるが、かつては、山また山を越える、難コースのイメージがある。しかし今回は、新しいトンネルもできて、随分便利になった。

 ソウルから江陵に行った時は、渋滞に巻き込まれて3時間を超えたが、江陵から東ソウルのバスターミナルへは、2時間40分で行けた。かつてに比べると1時間近い短縮だ。途中のトンネルは一部工事中で、赤いランプと警報音が鳴り続けており、軍事施設に入ったような感じがする。

 年末にはKTXも開通する予定なので、山に阻まれ、陸の孤島のイメージがあった江原道も変わっていくだろう。ただそれは、そうした地理的条件ゆえに残っていた、この地域の良さを、消す可能性もある。

 韓国の新聞も見ると、平昌五輪そのものの記事は多くないが、不動産や開発関連の広告はよく目にする。実際平昌に近づくと、新たに開発された地域や、ペンションのような建物が目立つようになった。

 平昌付近の高速道路には、「霧に注意」の看板もあった。スキー競技の開催地である平昌は、霧が多い地域だ。

 江陵など東海岸の地域は、海流の影響もあり、冬場はソウルなどより、気温が高い。しかし、江陵市と平昌郡の境界に位置する大関嶺の山々は、韓国で最も寒い地域の一つだ。狭いエリアで、標高の高低差によるもの以上の温度差があるので、風も強く、霧も発生しやすい。

 私が平昌に行った日は、曇りに小雨のあいにくの天気。それは天気予報で分かっていたので、残念だったが、実際の競技は悪天候の中で行われることもあるので、それを見ておくのも悪くないと、気を取り直して、江陵のバスターミナルから、平昌に向かった。

 開閉会式が行われるオリンピックスタジアムや、メイン会場の一つであるアルペンシアリゾートには、横渓のバスターミナルが拠点になる。

 コンビニと乗車券売り場などが入った小さなターミナルの建物は、まだ真新しい。バスは2台停車するのがやっとで、トイレは仮設という、田舎のバスターミナルといったところだが、江原道内だけでなく、ソウルに向かうバスも発着する、この地域の交通の拠点でもある。

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横渓のバスターミナル

 横渓バスターミナルから、開閉会式が行われるオリンピックスタジアムへは、歩いていける距離にある。スタジアムに向かう途中の歩道は、ほとんどはがされ、新しいブロックを敷き詰める工事が各所で行われている。韓国では土台の工事がしっかりしておらず、敷き詰めたブロックが波打つことがよくある。やるなら、そこはしっかりやってもらいたい。

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 オリンピック、パラリンピックの開閉会式の会場を巡っては、すったもんだがあった。最初はジャンプ会場を予定していたが、小さいとIOCに蹴られ、政府は江陵にある、プロサッカー(Kリーグ)の試合も行われる総合競技場の改築を提案していたが、これでは江陵オリンピックになると、平昌の地域住民が反発した結果、オリンピック、パラリンピックの開閉会式のための、新スタジアムが作られることになった。

 新スタジアムの35000席のうち大半は仮設で、大会後は5000席ほどを残して、イベント会場などに使われるという。

 2014年の仁川アジア大会の時も、ワールドカップの時に使った競技場で開閉会式を行うか、新設するかでもめた末、スタンドの多くを仮設にした、新スタジアムを建設した。

 開会式は国をアピールする絶好の機会であり、面子にこだわる国民性ゆえの過剰投資のように思う。国立競技場を新設する日本も、人のことはあまり言えないが……。

 オリンピックスタジアムの周辺はもともと農村であったことは、歩いてみるとよく分かる。その一方で、都会風の建物が建ち、住宅なのか、リゾートマンションなのか分からないが、アパートの建設も進む。こうした建物が、大会後どうなるか、気になるところだ。

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スタジアムの近くを流れる川の対岸

 オリンピックスタジアムは、仮設スタンドが多い割には、外観は思った以上に立派であった。

 大会中は、様々なイベントが行われる予定とはいえ、パラリンピックの開閉会式も含め、3万5000席のこの施設の晴れ舞台は、4回しかない。スタンドの大半に屋根がないなどの問題があるだけに、施設建設の苦労が報われるかは、お天気次第のところがある。

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 横渓のバスターミナルから、メイン会場のアルペンシアリゾートに行くバスは、現在のところ1日4、5本しかない。ネットで調べると、始発が午前10時であることだけが分かった。そのため、10時のバスで、アルペンシアリゾートに向かった。それについては、次回に記したい。(続く)

2017年9月 5日 (火)

早大と高麗大、意味ある交流の明るくない展望

 サッカーW杯のアジア最終予選は、残り2試合の結果いかんでは、日韓のプレーオフ対決の可能性もあったが、日本がオーストラリに勝って本大会出場を決めたため、なくなった。日韓戦が盛り上がるのは確かだが、今日の情勢を考えれば、負ければ本大会出場の可能性が完全に消えるプレーオフ対決を回避できたのは、良かったと言うべきだろう。

 2日(土)、家からさほど遠くない東伏見で、メディアではほとんど報じられない、日韓の試合があった。野球の早稲田大学と高麗大学の定期戦である。

 日本と韓国を代表する私学である早稲田大学と高麗大学は、1973年に学術交流協定を結び、本格的な交流を始めたが、それ以前から両校の交流は盛んであった。

 サッカーでは、戦前は日本代表選手として活躍した金容植と裵宗鎬は、ともに高麗大学の前身である普成専門を出た後、早稲田大学に留学している。そもそも高麗大学中興の祖であった金性洙は、早稲田大学の出身である。

 野球では、戦前朝鮮半島から早稲田大学に入った人はほとんどいないが、数少ない1人で、解放後は韓国野球のボス的存在であった金永祚は、解放後も、元日本高校野球連盟会長の佐伯達夫や、元早稲田大学野球部監督の石井藤吉郎など、早稲田大学出身のアマチュア野球の大物と交流し、日韓の架け橋になった。そして金永祚の息子は、高麗大学の野球部で活躍した。

 こうしたつながりが、今も続いていることは、非常に意味がある。

 韓国では、20年ほど前までは、大学を経てプロに行くのが当たり前であり、大学野球のレベルは高かった。私がソウルに留学していた1990年代半ばには、後に巨人でプレーした趙成珉(故人)が、長身から速球を投げていたし、少し後には、韓国野球を代表する強打者の金東柱(元斗山)らがいた。粗削りだが、パワフルな野球をしていたことが印象的だった。この夏韓国代表監督に就任した、元中日の宣銅烈も高麗大学の出身である。

 しかし、この20年弱の間に状況は変わり、高校からプロに行くのが当たり前になり、大学では、高校の時にプロに指名されなかったという選手が大半を占めるようになった。

 韓国では911日にドラフト会議があるが、近年は、指名されるのはほとんどが高校生で、そこにメジャーを夢見てアメリカに渡り、挫折した帰国組がちらほら混じるという感じで、大学生はごく少数という傾向が続いている。

 2日の試合では、高麗大学の先発は、先日台湾で開催されたユニバーシアードにおける韓国代表の林亮燮で、キレのあるボールを投げ、立ち上がりと5回に1点ずつ失ったものの、まずまずの投球をしたが、続く投手が打たれて、4-1で早稲田大学が勝利した。

 早稲田大学は、この秋こそは、投手陣の柱としての活躍が期待される大竹耕太郎が、立ち上がり制球が乱れて失点したものの、高麗大学の打線にさほど迫力がなかったこともあり、松本皓、二山陽平の早実コンビに、早大本庄出身の野口陸良とつないで、得点を許さなかった。

 基本的に大半のスポーツの日韓戦は、日本のうまさと韓国の力強さの対決に、試合の面白さがあったが、近年、そうした構図は変わろうとしている。

 今回の試合でも、試合が始まる前と後、ホームプレート前に整列する高麗大学の選手を見ても、体の大きな選手は少なくなったという感じがする。

 そのうえ、昨年の秋以降、韓国を揺るがせた崔順実ゲートの余波で、大学スポーツに対する当局の監視が厳しくなり、大学スポーツはさらに困難な状況に追い込まれる可能性がある。

 日韓関係が思わしくない中、メディアがほとんど注目しなくても、地道に続いているこうした民間交流は非常に大切である。しかし、こうした交流をより意味のあるものにするためには、互いのレベルの高さというのは必要である。

 早稲田大学と高麗大学の交流は、野球だけでなく、サッカーやラグビーなど様々な競技で続いているが、韓国の大学スポーツ界の状況は、そうした交流の先行きに、やや影を落としているような気がする。

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試合前の整列。赤いユニホームが高麗大

 

2017年8月18日 (金)

甲子園大会と韓国の関係

 甲子園の高校野球もベスト16が出そろい、ここから頂点に向けて、大会は一気に進んでいく。この時期、韓国でも高校野球の全国大会が開催されている。韓国日報などが主催する鳳凰大旗全国高校野球大会である。

 この大会の特徴は、地域予選がなく、韓国全ての高校チームが参加することだ。といっても74校。参加校数では、鹿児島大会とほぼ同数である。

 今年のこの大会の開幕戦で、前年優勝のソウルの徽文が、ドジャースの柳賢振の母校である仁川の東山に敗れる波乱があった。

 この徽文高校は、校名が徽文高普であった1923年、今日の全国高校野球選手権大会の前身である全国中等学校野球優勝大会に、朝鮮代表として出場している。この時はまだ球場は甲子園ではなく鳴尾であったが、初戦である2回戦で大連商業を破り準々決勝に進出し、立命館中学に敗れている。

 戦前、日本の支配下にあった朝鮮からも、台湾や満州とともに代表チームを日本の全国大会に派遣しているが、朝鮮人だけのチームは、徽文高普だけであった。

 朝鮮代表として甲子園の土を踏んだチームは、京城中学など日本人中心のチームが多かった。それでも大邱商業(現商苑)や善隣商業(現善隣インターネット)のように、日本人と朝鮮人の混成チームもあった。

 中でも善隣商業は、元は大倉財閥の創設者・大倉喜八郎が創立した学校で、昭和歌謡の巨星・古賀政男も、この学校の出身者である。

 私はソウルに留学していた199394年に、鳳凰大旗の大会をよく観に行った。目的の一つは、97年までは在日のチームも参加しており、その試合を観ることだった。94年のチームのエースは、横浜などで活躍した金城龍彦(当時近大付)で、150キロ近い速球を投げており、準々決勝に進出した。

 と同時に善隣商業など、かつて甲子園大会に出場したことのある学校の試合も興味深かった。当時はまだ、日本の植民地時代に指導を受けた人も健在で、チームの雰囲気も、何となく日本の高校チームに近いものがあった。

 今は頭髪など、日本と近い点もなくはないが、ユニホームの着こなしや、スタイルなどで、日本とはかなり違ってきている。韓国の野球関係者の中には、日本の高校野球のマナーの良さを見習ってほしいという人もいるけれども、韓国には韓国の歩みがあるので、それはどうこう言うことではない。

 甲子園大会と韓国の関係においては、日本に留学し、日本の学校の選手として出場した人も、非常に重要である。

 平安中学(現龍谷大平安)の内野手として活躍した朴点道や京都商業(現京都学園)の内野手として活躍した姜大中は、解放後は韓国代表の選手や監督として、韓国野球の発展に貢献した。

 横浜商業の内野手であり、主将としてセンバツに出場した崔寅哲は、解放後は大韓野球連盟の会長など、韓国の野球協会の役員として、長年韓国野球の発展を支える一方で、日本高校野球連盟の会長だった佐伯達夫らとの交遊を通して、野球の日韓交流にも貢献した。崔は2007年に89歳で亡くなるが、元気なころは、夏の甲子園大会をほぼ毎年のように観戦し、日本の野球関係者との旧交を温めた。

 ただ、崔寅哲が亡くなってから、その代わりとなって日本と交友する人材がおらず、疎遠になったような気がする。

 2009年、野球のアジアAAA選手権(U18)の取材でソウルに行った時、大韓野球協会の関係者から、日本高校野球連盟の会長と、日本野球連盟の会長の名前を教えてほしいと頼まれたことがある。それだけ、互いに向き合うことが少なくなったということだろう。

 近年日韓関係が冷え込む中でも、若い世代を中心として、新たな日韓交流は行われている。それはそれでいいことだが、野球の例に限らず、昔から続いていた日本と韓国の関係は、どうも途切れがちのように思う。

 8月の中で、15日が重要な日であることは日韓ともに同じだ。しかし日本は、終戦、敗戦の日であり、お盆と重なっていることもあり、慰霊に重きを置いているのに対し、韓国は解放の日であり、お祭りムードである。

 ただ植民地支配の時代を知る人が少なくなる中、日韓ともに、その時代のリアリティーがなくなり、自分たちに都合の良い歴史認識が、それぞれで独り歩きしているように思う。

 日本と韓国は、今までも行き違いやナーバスな問題は多々あったものの、互いに交友関係を積み上げてきた。時代が変わっても、その積み重ねは、大事にしなければならない。

 高校野球の話からやや飛躍したが、スポーツを通した日韓交流の歴史を取材してきた立場から、その思いは強くある。

 

2017年8月 9日 (水)

軽くなる一方の韓国マラソンの存在感

 今から25年前の199289日、バルセロナ五輪の男子マラソンは、韓国の黄永祚と日本の森下広一が、「心臓破りの丘」と呼ばれたモンジュイックの坂道で激しい優勝争いを繰り広げ、黄永祚が勝ち優勝した。マラソンの歴史に残る名勝負であり、この当時、日本と韓国のマラソンは、世界をリードしていた。

 ただひたすら前を見て走る黄の姿は、鬼気迫るものがあった。当時の心境を黄に聞いたことがあるが、「どんなレースでも死ぬ気で走っています。健康のために走るのではない。一つの戦場です。一等は一つしかない。そのためには、死ぬ覚悟で走らなければならないのです」と、語っていた。

 まだハングリーという言葉が生きている、最後の時代だったと思う。黄の金メダルは、韓国の国民を勇気づけた。

 現在ロンドンで開催されている世界陸上の男子マラソンでは、日本も韓国も不振であった。

 それでも日本は川内優輝が9位、中本健太郎が10位、井上大仁が26位であった。韓国の3選手の成績は、59位、64位、65位で、完走が71人なので、完走したことを良しとしなければならない成績だ。

 女子も日本は清田真央が16位、安藤友香が17位、重友梨佐が27位で、韓国の3選手は、34位、38位、54位だった。ちなみに北朝鮮のキム・ヒギョンは日本勢より上位の15位に入っている。

 リオ五輪の男子マラソンで韓国は、カンボジア代表として出場した猫ひろしと最下位争いを繰り広げ、問題になった。今回に関しては、韓国のメディアもマラソンをほとんど報じない状況にある。

 韓国でマラソンは、特別な存在である。日本の植民地支配下にあった1936年のベルリン五輪のマラソンでは、日本選手団の一員として出場した孫基禎が金メダル、南昇龍が銅メダルを獲得した。それは朝鮮半島の人たちにとっては、民族の快挙であったが、と同時に、植民地支配の悲哀を感じさせるものだった。

 そのため韓国でマラソンは、「民族の魂を受け継ぐ競技」とか、「歴史の痛みを物語る競技」などと言われてきた。バルセロナ五輪の英雄・黄永祚も、そうした話に刺激を受けて、マラソンを始めている。

 1947年のボストンマラソンでは、徐潤福が優勝、朝鮮戦争勃発直前の1950年の同大会では、韓国人選手が1、2、3位を独占している。大韓民国として政権が樹立されて間もない韓国の存在を、いち早く世界に広めたのもマラソンであった。

 朝鮮戦争後、韓国のマラソンは長期の不振に陥るが、1988年のソウル五輪に向けての強化が、4年遅れで実を結び、黄永祚の金メダルにつながった。

 黄永祚の後は李鳳柱が受け継ぎ、1996年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得したが、その後が続かなかった。

 韓国では健康のための市民マラソンの人気は高まっている。しかし黄永祚の言葉にもあるように、健康のために走る市民マラソンと、競技のマラソンは、はっきりと区別される。

 一昔前なら、競技団体や企業、国などの支援不足が問題になっただろうが、「公務員ランナー」の川内優輝の活躍は、そうした言い訳の余地を与えない。

 もっとも川内の場合、学生時代は箱根駅伝を走った経験のあるアスリートなので、韓国ではまず誕生しえない存在である。

 ソウル国際マラソン(東亜マラソン)などでは、外国人選手の順位と、韓国内の選手は別々に掲載され、報道の内容をみても、大会の優勝記録で、記録を出しやすいマラソンコースの優秀さを誇る記事が目立ち、韓国選手の結果には、それほどこだわっているようには思えない。

 韓国では日本以上に結果が全てであり、サッカーや野球などの国際試合で負けると、バッシングを受ける。それでもバッシングを受けるうちは良いが、無視されるようだと、事態は深刻だ。

 今回の世界陸上において韓国で最も注目されているのが、男子100メートルの金国栄だ。20106月、31年間破られなかった韓国記録を更新し、今年に入り、記録は1007まで短縮された。今回の大会では、韓国では初となる準決勝進出を果たした。

 ただし金国栄にしても、国内に競争相手がおらず、孤独のレースを繰り広げている。韓国は世界陸上のトラック種目で、決勝に進んだ選手はいない。

 6年前大邱で世界陸上が開催されたが、ボルトのフライング以外、ほとんど忘れられようとしている。

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7月は高校野球の東西東京大会の取材に追われた。今年は早稲田実の清宮人気もあり、例年とはかなり様相が異なった。

3年後の同じ時期に東京で五輪が開催される。夏の暑さには慣れているはずの高校球児すら、熱中症で足が吊ったりする選手が多かった。暑さもさることながら、湿度、蒸し暑さも特別だ。選手やスタッフはもちろん、観客にも、ボランティアにも、報道陣にも過酷な大会になりそうだ。マラソンのコースを周回コースにして、コースの徹底した低温化を図るなど、シティセールスのメリットが軽減しても、あらゆる対策を講じる必要があると思うのだが。

 

2017年7月 6日 (木)

成果は如何に、韓国の高校生投手酷使対策

 この週末から首都圏をはじめ、各地で甲子園を目指して地方大会が開幕し、今年も高校野球の夏が本格的に始まる。

 高校野球で常に問題になるのは、投手の酷使だ。力のある投手が故障で力を発揮できず敗れたり、プロや大学で故障により野球を辞めたりするケースを数多く見てきた。

 日本高校野球連盟などでは、公式戦では理学療法士が待機し、試合後投手の肩肘のケアをサポートしている。まだ正式決定はされていないが、来年のセンバツからは、延長タイブレーク制が導入される可能性が高い。

 では韓国ではどうなのか。韓国では日本以上に、若手投手の故障が深刻だ。以前も書いたが、高校生の時に注目された投手が、故障で投げられず、なかなか若手投手が出てこない。そのことが、近年の韓国プロ野球の打高投低現象の要因になっている。

 そのため2014年からは、高校野球の公式戦では、投手が1日に試合で投じる球数は、130に制限された。130を超えるとカウントの途中でも交代する。そして130球を投げると、3日間は投手として試合に出ることができない。ただし、ノーヒットノーランや完全試合の記録がかかっている時は、安打を打たれるまで、続投することができる。

 さらにプロ野球機構であるKBO(韓国野球委員会)と大韓野球・ソフトボール協会は専門家チームを設け、対策を引き続き練っている。両団体は619日に公聴会を開き、1日の投球数を105に制限、投球数による投球禁止期間のガイドラインの制定、酷寒期(12月から翌年2月中旬)の練習試合の禁止、などの案が提示された。

 冬季の練習試合は、日本では禁止されている。韓国の場合、北海道や東北、山間部の地域などを除けば、日本より寒いので、なおさらである。

 とはいえ、韓国では3月下旬から公式戦が始まる。3月下旬だと、昼でも10度以下という日がざらにある。10度以下の状況の公式戦に投げようと思えば、氷点下の状況で投球し、準備しないと間に合わない。それが、韓国の投手が肘を痛める理由の一つだと、ある韓国プロ野球の指導者から聞いたことがある。

 韓国の高校チームは、一番多いところで部員が65人。少ないところだと16人しかいない。球数制限が厳しいと、試合にならないという反対意見も少なくない。

 日本でも球数制限の話をする人もいるが、やはり部員数が少ないところだと無理だという意見に加え、プロで野球をしようとしている人は、高校球児の中のごく一部で、高校で野球を辞める人も少なくない。そのため球数制限は、日本の状況に合わないという声が多い。

 一方韓国では、全体のチーム数が近年増加しているとはいえ73チーム。登録部員は2764人で、基本的にプロもしくは、大学でも野球を続けることを前提にしている。そのため、監督が投手を酷使すると、人権問題とみなされることもある。

 韓国では近隣地域のチーム同士による週末リーグに加え、全国大会が、韓国の国体である全国体育大会を含め6もある。日本の場合は夏の大会が最高権威の大会であることははっきりしているが、韓国の場合はどの大会が、権威があるかは、はっきりしない。ただ全国大会の成績で大学のスポーツ特待生の権利を得ることができるので、結果を残すまでは、多少無理せざるを得ない傾向がある。

 もっとも、球数さえ制限すれば、故障がなくなるかといえば、そう単純ではない。

 東京の関東一に高橋晴という、プロも注目する大型投手がある。彼は高校入学後も成長期が続いたため、米澤貴光監督は、負荷のかかるトレーニングを制限したり、投球もずっと我慢させたりしてきた。成長期の子供には、成長に見合ったトレーニングや投球制限が必要である。また投球前の準備と投球後のケアも重要である。

 韓国の場合、6月に各プロ球団の本拠地地域の高校生(出身者)を1人優先指名するのに続き、8月半ばにドラフト会議が開かれる。

 プロに指名された選手に対してはプロ球団から高校側に、できるだけ投げさせないように要求されることがある。そのため、U18のアジアや世界選手権では、重要な試合で力のある3年生でなく、2年生が投げることが多い。

 それにより高校の大事な時期に、十分な実戦経験を積めないこともある。さらに投げ過ぎは問題だが、投げることによって得られることもある。

 いずれにしても韓国球界は、高校生投手の球数制限の動きを本格化させている。日本と韓国では環境に違いがあるものの、その成果がどう出るのか、あるいは出ないのか、日本でも十分参考になるのではないか。

78日から始まる高校野球の東西東京大会の取材のため、ブログはしばらく休みます。

 

 

2017年6月30日 (金)

スポーツは置いてきぼりの平昌五輪

 今週も平昌五輪と北朝鮮の問題について書きたい。

 2010年の冬季五輪の韓国内候補地を巡っては、1997年に冬季ユニバーシアードを開催した全羅北道・茂朱と、1999年に冬季アジア大会を開催した江原道・平昌の争いになった。結局平昌が国内候補地になり、2度の落選を経て、2018年の大会の招致に成功した。平昌が茂朱を破った背景には、平昌は北朝鮮に近く、北朝鮮との交流の期待があった。国内候補地争いに敗れた茂朱は、国技・テコンドーの殿堂であるテコンドー園の建設候補地に選ばれ、テコンドー園は3年前に完成した。

 624日にテコンドー園でテコンドーの世界選手権が開幕した。しかし、話題の中心はテコンドーではなく、平昌五輪であり、北朝鮮であった。別の見方をすれば、平昌五輪の北朝鮮絡みの話があるゆえに、テコンドーの世界選手権が注目されたとも言える。

 開幕式で文在寅大統領は、「1991年に初めて南北単一チームを構成し、最高の成績を収めた世界卓球選手権と世界ユースサッカーの栄光をもう一度見たい」「南北選手団が同時に入場し世界の人たちから拍手喝采を受けた2000年シドニー五輪の感動をもう一度感じてみたい」「平昌五輪に北韓応援団も参加し、南北和解の転機になればいい」などと発言した。

 これに対して、開幕式に出席していた北朝鮮の張雄IOC委員は、東亜日報系のCATV局であるチャンネルAのインタビューで、「政治的環境を解決しなければなりません。政治はいつもスポーツの上にあります」と答えている。話の良し悪しはともかく、北朝鮮の立場ならそうであろうという発言だ。

 さらに張雄委員は、韓国側から提起されている共同開催や、女子アイスホッケーの南北単一チームについて、「私はオリンピックの専門家ですが、既にもう遅いです。共同開催というのは言うのは簡単だけど、実務的問題が簡単ではありません。アイスホッケーなどを単一チームにする問題もそうです。千葉の卓球世界選手権の時、会談は22回でした。5、6カ月かかりました」と語っている。

 これは実務者の立場からすれば、当然の意見である。韓国側の実務者に聞いても、同じことを言うであろう。つまり、文在寅大統領の発言にしても、先週書いたスポーツの所轄官庁である文化体育観光部の都鍾煥長官の話にしても、スポーツ界の意見を聞いているとは思えない。政府が現場を顧みず、自らの希望を語っているという感じだ。

 また所轄官庁は、文化体育観光部という名前こそ残ったものの、スポーツ系より文科系の意向が強いようだ。都長官も詩人である。1993年に体育青少年部(旧体育部)と文化部が合体して文化体育部になって以降、この省庁ではスポーツ系と文科系の綱引きがしばしばあった。

 思想は個人個人で違うし、必ずしも当てはまらないケースもあるが、スポーツ系は右派政権、文科系は左派政権に近い傾向がある。韓国のエリートスポーツの制度を作ったのは、朴正熙政権と全斗煥政権である。左派の金大中が政権に就くと、スポーツ関連の支援は削られ、文化に力を入れるようになった。そのことが、韓流を起こす契機になったという側面もある。

 それでなくても、崔順実ゲートに巻き込まれたことで、スポーツ界の発言力が弱まっているところに、左派政権の誕生で、スポーツ界は置いてきぼりのまま、平昌五輪の準備が進んでいく感じだ。もっとも、それ以前もスポーツ界からの発言は、あまり聞こえてこなかったが……。

 スポーツ大会としての具体的なイメージがないまま、政治家の理想論だけが聞こえてくる。応援団にしても、冬季五輪では活動の場は多くない。

 北朝鮮の応援団といえば、演奏に合わせて、歌い踊り、「我々は一つだ」など、スローガンを叫ぶといったスタイルだ。けれども、現在出場権を得るのが有力視されているフィギュアスケートのペアの競技で、そうした応援ができるのは、製氷時間くらいだ。

 2003年の大邱ユニバーシアードの飛び込み競技では、「北の応援団、静かにしてください」という場内アナウンスがあり、北朝鮮の応援リーダーが憮然としたということがあった。冬季五輪でも、似たようなことになる。

 事実上、開閉会式のために作られるオリンピックスタジアムで、公演をすることもあるだろう。しかし、そうなると公演料を求められるはずで、北朝鮮にそうしたお金を支払うことは、今の国際情勢では、認められないだろう。

 平昌五輪を通して南北交流を図るにしても、現実をしっかり見据えないといけない時期だ。ただキム・ヨナの引退により冬季スポーツで国民的なスターがいない状況では、話題作りは今のところ、南北絡みの話くらいしかないのも、一方の現実である。

 

 

2017年6月23日 (金)

既にタイムオーバーのはずの平昌五輪南北共催論

 620日、平昌五輪をはじめとするスポーツ行政の所轄官庁である文化体育観光部の都鍾煥長官が平昌五輪の組織委員会を訪問し、平昌五輪において北朝鮮の馬息嶺スキー場を活用する、女子アイスホッケーで南北単一チームを結成する、聖火を北朝鮮の開城、平壌を通過することなどを検討しているといった発言をし、波紋を広げている。

 622日付の『産経新聞』はこの動きを1面トップで報道。「韓国の文在寅政権が平昌五輪で検討する一部競技の北朝鮮開催が実現すれば、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮の金正恩政権を外貨で潤すことになり、対北制裁を強める国際社会の足並みを乱す恐れがある」との懸念を示している。

 こうした政治的な側面は置いておくとしても、大会を約230日後に控えた現段階で、責任ある立場の人にそうした発言をされても困る、というのが、準備にあたる人の本音ではないか。

 2011年に大会の招致に成功した後、スキー・滑降競技の会場である加里王山が、朝鮮王朝時代から守られてきた自然保護林であるとして、環境団体などから強い反対にあった。北朝鮮が2013年に完成させた馬息嶺スキー場が、滑降競技の国際規格に合うように造成されれば、少なくとも、スポーツ競技の面からは好都合だったのかもしれない。

 しかし平昌五輪の競技施設はほぼ完成し、テストイベントも行われた。売れ行き不調とはいえ、チケットも発売されている。時期的にみれば、共催、または分催の話はもうタイムオーバーだろう。

 それでもこうした話が出る背景として、南北の融和政策を模索する文政権であるが、北朝鮮の核・ミサイル問題などが国際的な非難を浴びる中、思うようにいかない。その点スポーツは、現実はともかく、政治とは別という原則があるため、突破口になり得る。

 また盛り上がりを欠く平昌五輪への関心を高めるためにも、北朝鮮は重要だ。2002年、サッカーW杯のすぐ後に開催され関心が低かった釜山アジア大会が、美女軍団と呼ばれる応援団を含めて北朝鮮が参加したとたん、大いに盛り上がったという例もある。

 韓国における対北朝鮮感情は、2002年当時とはかなり異なっているが、当時と同じ左派政権としては、北朝鮮カードに期待する部分は大きいのだろう。

 24日から全羅北道の茂朱で開催されるテコンドーの世界選手権に合わせて訪韓する予定のIOCのバッハ会長や、北朝鮮の張雄IOC委員にも働きかける模様だ。彼らがどういう反応を示すか分からない。

 ただバッハ会長などは、朝鮮半島の平和という側面には好感を示すことがあっても、現実に開催することの困難さを考えれば、否定するか、二の足を踏むだろう。2002年のW杯の時も、似たようなことがあった。

 アイスホッケーの単一チームに関しては、ユニットごと選手を替えるという競技の特性上、他の球技よりは合同チームは組みやすいのかもしれない。しかし、南北合同選手団を結成するというのならともかく、女子のアイスホッケーだけ合同チームというのは、やはりおかしい。

 そうした中で、聖火の北朝鮮通過というのは簡単ではないが、不可能ではない。聖火リレーの日程、コースは既に決まっているが、韓国と北朝鮮の話し合いで変更はできると思う。1988年のソウル五輪も、聖火リレーの北朝鮮通過は、大きなテーマであった。結局は実現せず、聖火は軍事境界線の近くを通ることにとどめた。今回も、可能性はあっても、すんなりとは決まらないだろう。

 それでも、北朝鮮の選手団はよほどのことがない限り、参加するだろう。ただ現段階で出場資格を得ている競技種目がない以上は、参加人数は限られている。したがって、応援団が来ることもないに違いない。

 北朝鮮のスポーツ選手は、政治的な使命から逃れることはできない。それでもスポーツを通して、人と人が交流することは意味がある。ただ五輪などの国際的なスポーツ大会においては、前提条件がある。

 五輪に参加する選手たちは、かなり前から五輪に向けて練習や調整をする。朝鮮半島の南北交流は大切だが、大会のために準備してきた、世界各国のアスリートを混乱させたり、影響を及ぼしたりすることは、開催国として避けなければならない。

 一般市民の発言ならばともかく、責任ある立場の人は、その点は留意して発言してほしい。

 

 

 

2017年6月15日 (木)

早くも観客動員論が出ている平昌五輪と誕生1カ月の文政権

 平昌五輪の開幕まで8カ月足らずとなり、チケットも第1次販売が終わったが、韓国の金メダルが期待されるスピードスケートのショートトラックなど、一部の競技を除けば、チケットの売れ行きは悪いようだ。これは予想通りではある。しかし66日の韓国KBSのニュースをみて、もうそんな話が出ているのかと、少々驚いた。

 ニュースの内容は、ざっと次の通り。チケットの売れ行き不振を受け、大会組織委員会は、チケットが売れ残った場合、生徒や地域住民に入場券を提供する、いわゆる動員を検討している。しかしそうすると、既に購入した人が損することになり、公平性の議論も起きている、といったニュースである。

 これから2次販売もあるというのに、早くもタダ券を配るという話である。

 現実問題として、観客動員は避けられないだろう。平昌五輪よりもはるかに盛り上がっていた2002年のサッカーW杯ですら、韓国戦以外は空席が目につき、昼間の試合では、学校単位で動員をかけていた。子供たちに声をかけると、「タダなんですよ」と、嬉しそうに話していたのが、印象に残っている。

 韓国で開催され、先日幕を閉じたU20サッカーW杯も、韓国が決勝トーナメントの1回戦で敗れたため、ニュース映像をみる限り、スタンドには空席が目立っていた。

 平昌五輪の場合、盛り上がりに欠けていることはもちろんであるが、加えて、宿泊施設の不足の問題もある。ホテルだけでなく、ラブホテルや民泊などを含めても、絶対数が足りない。高速鉄道のKTXが開通すれば、ソウルとは1時間の距離になるので、ソウルから日帰りという人も多いだろう。学校や公共施設を開放して、宿がない人に、多少不自由でも、寒さはしのげて、横にはなれるくらい施設は用意しておいた方がいいのかもしれない。

 これから夏が終わり、寒くなれば、五輪ムードも少しは高まるかもしれない。ただ、そうした人たちも、チケット無料配布の話を聞けば、購買意欲は損なわれるだろう。でもそうした買い手は期待できないほど、平昌五輪は盛り上がりを欠いているということなのか。

 なお、文在寅政権が誕生して1カ月になる。文大統領は大会成功のため、政府が積極的に関わっていくよう指示している。12日には国際サッカー連盟のインファンティノ会長に、2030年のW杯を韓国を含め、日本、中国、北朝鮮の共同開催案を提案するなど、実現の可能性はかなり疑問だが、スポーツ大会に積極的な姿勢をみせている。

 けれども、実働部隊となるスポーツの所轄官庁の文化体育観光部はまだ落ち着かない。

 朴槿恵政権下でスポーツを巻き込んでの崔順実の不正に中心的な役を果たし、「スポーツ界の大統領」と呼ばれていた金鍾文化体育観光部第2次官の後任に、ノ・テガンが任命された。

 20135月、乗馬の韓国選手権で崔順実の娘チョン・ユラを2位にしたことに崔順実が猛抗議。大韓乗馬協会と崔順実側が対立した時、当時文化体育観光部の体育局長であったノ・テガンが調査に入り、双方に問題があるという結論を出した。これに朴槿恵大統領(当時)が激怒し、「本当に悪い人だ」と、ノ・テガンを公職から追放した。これが韓国社会を揺るがした崔順実ゲートの出発点になった。

 ノ・テガンが文化体育観光部のスポーツ担当次官である第2次官に任命されたということは、4年前の状態に戻ったともいえる。

 とはいえ、平昌五輪も、スポーツ行政も、4年前とは情勢が変わっている。さらに文化体育観光部は崔順実ゲートの震源地だけに、事情はどうであれ、現在の職員の中に何らかの形で加担した人も少なくない。今後末端の人事などで一波乱ありそうな気配だ。

 文化体育観光部が約2カ月前に行った世論調査では、平昌五輪に関心があると答えた人は、わずか35.6%だった。高まらない国民の関心に、落ち着かないスポーツ行政の足元。

 東京五輪も懸念材料が多いが、平昌五輪は開幕までの時間が少ないだけに、より深刻だ。

 

 

2017年6月 7日 (水)

テニスでも新たな日韓ライバル物語が始まるか?

 男女を問わずバレーボールの日韓戦は、強烈なスパイクの打ち合いになる欧米のチームの試合と異なり、拾い合いのレシーブ合戦になることが多い。種目が違っても、ネットを挟む競技は、似たような傾向になるのか。錦織圭と鄭現の一戦は、激しい粘り合いの試合になった。

 鄭現は、「テニスの神童」として、韓国ではかなり前から知られていた。最近は随分たくましくなった感じがするが、初めてメディアに取り上げられたころは、やせた体に眼鏡が印象的だった。外見はテニスプレーヤーらしくないため、むしろ目立っていた。2013年にウィンブルドンのジュニアのシングルで準優勝したことで、期待が一気に高まっていた。

 今回全仏オープンで3回戦の相手が錦織圭に決まった時、韓国のメディアは、「運命の韓日戦」と騒ぎ、ポータルサイトの検索ランキングでは、錦織圭の名が上位にランキングされた。

 とはいえ、錦織の世界ランクは9位。鄭現は67位と、歴然とした差がある。日韓対決といえども、韓国は騒ぎ過ぎのような気がした。

 第1、第2セットは鄭現の粘りに錦織は苦戦を強いられたものの、しっかりものにした。しかし、第3セットはタイブレークの末に鄭現が取ると、流れは完全に鄭現に傾いた。

 第4セットは鄭現がリードする展開に、錦織はイライラが募り、ラケットを地面に叩きつける場面もあった。錦織危うしの状況で雨が降り出し、試合は中断し、翌日に持ち越された。

 再開された試合では、フルセットに持ち込まれたものの、フルセットには慣れている錦織が落ち着いて試合をし、勝利をものにした。それでも試合後錦織が「雨がなければ100%負けていた」と語るように、雨に助けられた勝利だった。65日付の韓国の東亜日報は、「よくやった鄭現 雨が薄情だ(憎い)」と、演歌の歌詞のような見出しを掲げたが、気持ちは分かる。

 鄭現が注目されているといっても、韓国ではテニスはマイナースポーツだ。そんな韓国のテニスの扉を開いたのは、2007年に世界ランクが36位になった李亨澤だった。李亨澤は2014年の仁川アジア大会で、アスリート出身では聖火の最終走者として、聖火台につながるスタジアムの階段を上った。その時、テレビ中継のアナウンサーが、練習する場所がなく、水を抜いたプールで練習をしたという逸話を紹介していた。そうした韓国テニスのパイオニアである李亨澤が2009年に引退した後台頭してきたのが、鄭現であった。

 今回、錦織に善戦したことで、鄭現の韓国での知名度は一層高まったが、同時に錦織の存在も韓国でより有名になった。

 歴史的に様々な問題があり、国民感情も複雑である日本と韓国の試合は、歪んだナショナリズムと介在すると、見たくないトラブルが起きることもある。

 それでも日韓戦は関心が高いだけに、双方のスポーツ界にとって競技の活性化のまたとないチャンスでもある。また反日のイメージが強い韓国であるが、サッカーの中田英寿、野球のイチローら、世界で活躍する日本選手のファンや敬意を持っている人も少なくない。キム・ヨナの存在があるため大きな声で言えなくても、「浅田真央のファンです」と言う韓国人もいる。

 鄭現の場合まだまだではあるが、今後順位を上げていけば、韓国のテニス人気も高まるだろう。そこに錦織の存在は、さらに関心を高める要素になるし、それは日本にも影響を及ぼすことになるだろう。

 錦織が27歳であるのに対して鄭現は21歳。それだけ鄭現の伸びしろは大きい。しかし韓国では様々な競技種目において、20歳前後までは有望視されていても、そこから先で伸び悩む選手が多い。2日かがりで繰り広げられた錦織と鄭現の一戦が、日韓の新たなライバル物語の始まりになるかどうかは、鄭現の成長にかかっている。

 

 

2017年4月27日 (木)

チョン・ユラ問題の余波に揺れる韓国の大学スポーツ

 大統領選挙が終わり、朴槿恵前大統領の裁判が始まるまでは、一連のスキャンダルの追及は、小休止といったところだ。しかし、このスキャンダルの余波で、大学のスポーツは大きく揺れている。

 朴槿恵、崔順実ゲートで韓国の若者たちを怒らせたのは、崔順実の娘のチャン・ユラの梨花女子大へのスポーツ特待生としての不正入学問題であった。権力を背景に、大学幹部も絡んだ露骨な不正は、怒りを買うに十分ではあった。

 けれども、スポーツ特待生に関しては以前から不正が横行しており、大学の運動部の監督らが、収賄容疑で逮捕されることも、珍しいことではない。真偽不明の話もあるが、トップ選手を入学させるために、レベルの下がる選手もセットで入学させることもよくあるといった話も聞いたことがある。

 チョン・ユラの問題を契機に、スポーツ特待生に絡む不正に世間の目が厳しくなる中、教育部(省)が昨年の1226日から今年の226日まで、スポーツ特待生の規模が100人以上である17の大学を調査したところ、調査した全ての大学で不正が発覚し、不正に関与した教授・講師は448人、学生は332人だった。

 違反行為としては、授業に欠席した学生に対する課題の代理提出、出席数の足りない学生に対する単位の付与などがある。

 また高麗大学、延世大学、漢陽大学、成均館大学では、学業不振で警告を3回以上受けた学生は退学処分を受けることになっているが、そうした措置を取らず卒業させていたケースが、1996年から2006年まで、394人に達していた。

 教育部の調査とは別に、KUSF(韓国大学スポーツ総長協議会)では、成績が一定基準を満たしていない学生は、大会などの出場を禁止している。

 これまで大目に見られていた部分もあったが、チョン・ユラの問題が社会的な関心を呼んでから、成績管理が厳しくなった。そのためこの春、延世大学が大学サッカーのリーグ戦であるUリーグの参加を辞退した。28人中14人が基準の成績を満たしておらず、そのうえ、韓国で開催されるU20のワールドカップに選手を出さなければならず、リーグ戦参加が不可能だという理由だ。延世大学は、校名が延禧専門だった時代から、韓国サッカーの歴史を作ってきた名門チームであった。その延世大学すら、チョン・ユラ問題の余波から逃れることはできなかった。

 スポーツの強豪校といえども、学業を優先すべきとの姿勢は、日本でも同じだ。私が明治大に通っていた頃は、強豪チームに属する体育会の学生は、あまり授業に出なかった。時おり配られる出席カードは、授業によっていくつか色が違うが、全ての色を集め、代筆するのもマネージャーの仕事の一つだった、という話を聞いたことがある。今は出欠の管理が厳しくなり、そうしたズルい行為はできなくなっているようだ。練習も早朝や夕方など、できるだけ授業に支障のない時間に行うようになっている。

 スポーツだけやっていれば大学を卒業できるという慣習は、問題が多いのは間違いない。といって、入口の部分では、スポーツさえできていれば良しとしていたのに、入ってから厳しくなるのも、酷ではある。

 特に韓国の場合、以前は、高校の運動部の生徒はほとんど授業に出なかった。近年では授業に出ることを義務付けているものの、受験競争が日本以上に厳しく、運動部の生徒と、勉強だけをしている生徒は完全に2分されている。

 勉強だけをしている生徒にすれば、大会出場のため授業に出ないことも少なくなく、放課後に行われる補習や自主学習に出てこない運動部の生徒に対して、ネガティブな感情もあるようだ。

 韓国のスポーツが強くなった背景に、メダリストなどに対する兵役免除や生涯年金とともに、スポーツ特待生制度もあった。今その柱の一つが大きく揺れている。

 問題の根本的な解決は容易ではない。勉強との両立は小学生の段階から習慣づけなければならないし、勉強だけをしている生徒との垣根もなくしていかなければならない。そして、過渡期の混乱をいかに最小限にすることができるかが、今後の韓国スポーツの活躍のカギとなる。

 

 

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