スポーツ

2017年4月20日 (木)

韓国プロ野球を沸かす日本ゆかりの若手選手

 世代交代がなかなか進まない韓国のプロ野球であるが、今年は打者ではあるものの、久々にいきのいい若手が登場し、話題になっている。

 1人は、戦前は朝鮮人だけのチームで唯一日本の全国大会に出場実績のある、名門・徽文高校出身の李政厚(ネクセン)だ。韓国にはフランチャイズ地域の高校生(もしくはその学校の卒業生)を1人、優先指名できる制度がある。通常この制度で指名されるのは、投手が多いが、李政厚は、野手でありながら指名された。

 李政厚は3月31日の開幕戦から419日現在、全試合に出場。開幕戦は途中出場であったが、すぐにセンターのレギュラーになり、12番を任されるようになった。419日現在の成績は、63打数21安打、打率.333で、高卒新人でなくても、十分な成績だ。

 李政厚の存在は、昨夏、日本のメディアでも注目されていた。U18アジア野球選手権の韓国代表のメンバーであり、その柔らかい打撃は、韓国チームの中では、群を抜いていた。

 もっとも、李政厚が注目されたのは、その実力もさることながら、父親が、中日でもプレーした李鍾範の息子であることが大きい。しかも、李鍾範が中日でプレーしていた時期に生まれており、名古屋生まれである。

 韓国のプロ野球では、1990年代初めまで、在日韓国人の選手が多くプレーしていた。またハンファの金星根監督のように、京都出身の人もいる。しかし、細かく調べたわけではないが、優先指名を含めたドラフト指名で、日本生まれというのは、初めてだと思う。

 李政厚が生まれたのは1998年。韓国で金融経済危機があり、スポーツ選手の海外進出が進んだ時代だ。李政厚の歩みにも、当時の韓国の状況や、日本との関係も浮かび上がる。

 李政厚の父親である李鍾範が韓国のプロ野球(ヘテ〈現KIA〉)でデビューした1993年、私はソウルで留学生活を送っていた。中日では、日本野球への対応に苦しみ、ハツラツさは影を潜めていたが、デビュー当時、がむしゃらに打球を追い、守備範囲が広く、俊足・巧打のプレーは、強く印象に残っている。

 1年目から活躍した李鍾範であったが、新人王はサムスンの梁埈赫の手に渡り、受賞を逃している。果たして息子はどうか、注目される。

 李政厚とともに、開幕間もない韓国のプロ野球を沸かせているのが、入団2年目の金東燁(SK)だ。昨年143打席を記録しており、今年の新人王の資格はないものの、415日のハンファ戦から19日のネクセン戦まで4試合連続本塁打を記録中である。

 金東燁は、天安北一高校を卒業後、シカゴ・カブスの傘下球団で2012年までプレーしたが芽が出ず、帰国後公益勤務要員として兵役を終えた後、2015年のドラフトで、9巡目、その上にフランチャイズの優先指名があるから、実質的にドラフト10位でSKに入団した。

 私は8年前、天安北一高校時代の金東燁と父親の金相国に取材したことがある。2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で韓国は日本との死闘に敗れたものの、準優勝に輝いた。この大会で大活躍した金泰均(ハンファ)が、どのように成長したかを取材していたが、金相国は、金泰均が天安北一高校在学中の監督であり、金相国自身もピングレ(現ハンファ)などでプレーした経験がある。

 息子の金東燁も天安北一高校の中心打者であったが、私が会った時は、卒業後、シカゴ・カブスに入ることが決まっていた。そして、私が会った前の年まで、宮崎の日南学園に留学していた。日本の思い出を聞くと、「日本では、午後3時まで授業を受けるのが、不思議でした」と答えた。

 今は変わっているが、当時韓国の高校の運動部の生徒は、授業を受けず、練習や試合に没頭するのが一般的であった。

 だからこそ、父親の金相国は、日本に留学させ、アメリカの球団に入団させた。「人生は長い。成功すればいいけれども、韓国、アメリカ、日本の野球を経験するだけでも意味がある」と語っていた。金相国自身、プロ野球を辞め、高校の監督を務めたりもしたが、野球だけで食べていくのは容易でない。そのために、いろいろなことを見ておけ、ということだ。

 金東燁は高校時代、おとなしい青年というイメージだった。その後どうなったか、気にはなっていたが、最近本塁打を連発して報道されるようになり、成長した姿をみることができた。

 最近は在日の選手が韓国でプレーするのは、ほとんど不可能になってきたし、日本人選手が出現する可能性も低くなっている。それでも韓国のプロ野球には、いろいろな形で日本と関わりのある選手がいる。

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天安北一高校時代の金東燁

 

2017年4月14日 (金)

NHLの選手が参加しない平昌五輪

 4月3日、北米プロアイスホッケーリーグ(NHL)は、所属選手の平昌五輪不参加を表明した。もともとその話はあったし、1月中にも結論が出るとの話だったのが4月まで延びたということは、それなりにやり取りはあったのだろうが、結論は変わらなかった。選手会はこの決定に不満を示し、強行出場の意向を持っている選手もいるようだが、契約の問題もあり、そう簡単ではないだろう。

 NHLの選手は1998年の長野五輪以降、続けて参加していたが、今回は、選手の旅費や保険料の支払い問題で折り合いがつかなかったうえ、韓国はNHLの市場拡大戦略の対象外であったことも大きいようだ。

 実際韓国でアイスホッケーはそれほど盛んでない。今回、韓国男子のアイスホッケーチームには6人の帰化選手がいるが、これはそうしないと、平昌五輪に出場できなかったからだ。国内の選手は、私学の両雄である延世大学と高麗大学の定期戦種目の中に、アイスホッケーが含まれているため、辛うじて命脈が保たれているのが実情だ。

 1996年にチャン・ドンゴン主演の「アイシング」というアイスホッケーのドラマが放送され、話題になった。しかし、同じチャン・ドンゴンが主演したバスケットボールのドラマ「最後の勝負(邦題「ファイナル・ジャンプ」)」が、社会現象にまでなり、空前のバスケットボールブームを起こしたのに比べると、影は薄い。

 そういう状況だから、NHLの選手が参加しないからといって、韓国人がそれほど残念がっている様子はない。ただし、外国人の観客の入場を期待しているだけに、影響は大きい。

 そもそも、NHLの選手が出場しないのであれば、1万人もの観客を収容する施設は必要だったのかという問題がある。

 それでなくても、人口約22万人の江陵市に、アイスホッケー場2個、フィギュアスケート・ショートトラック、スピードスケート、カーリングの各1個の、計5個のスケート場を作ること自体、過剰投資であり、負担であった。加えて、アイスホッケーのメイン会場は、NHLの選手の参加を前提に、競技場のキャパを大きくしている。

 平昌五輪に限った問題ではない。今日の五輪は、トップ選手の参加を前提に、施設の設置条件が厳しくなり、それが開催国の負担になっている。

 五輪はそろそろ、トップ選手が集まる最高峰の大会という位置づけにこだわるべきではないと思う。五輪以外に、注目を集める大会があるという競技は、無理に五輪に出る必要はないと思う。実際ワールドカップを最高峰の大会としているサッカーは、23歳以下になっている。

 NHLについては詳しくないので、下部リーグや、他のリーグとのレベルの差がどれほどあるか、よくわからない。

 ただ野球についていえば、確かにメジャーリーグが、最高峰のリーグであることは間違いない。アメリカがようやく本気になってきた今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、確かに面白かった。

 しかし、U18の大会を何度か取材したことがあるが、スカウトの目に留まろうと、目をギラギラさせて必死に戦っている選手たちもまた、知名度は低くても、魅力的である。

 今回のNHLの選手の不参加を契機に、五輪を最高レベル選手が集まる大会から、五輪を最高だと思う選手が集まる大会に変えていくべきではないか。そして、開催国の該当競技に対する実情を無視し、不釣り合いに立派な施設の建設も、是正すべきだと思う。

 今回のNHLの選手の不参加問題は、五輪を身の丈に合った大会にする契機にするべきだ。

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神宮外苑、20174月の風景

 学生野球シーズンが始まり、神宮外苑に行く機会が増えるようになった。新国立競技場の建設工事が本格的に始まり、静かだった神宮外苑にも、工事車両の通行が目立つようになった。

 都営住宅の隣り、旧日本青年館と、神宮第2球場の間の、カーブするところにある公園に桜の木があった。第2球場で高校野球の春季大会を取材する合間に、桜を鑑賞するのを毎年楽しみにしていたが、今年はバッサリ切られ、都営住宅や、公園もろともなくなっていた。

 神宮球場の三塁側スタンドの外側には、日本スポーツ振興センターの本部棟の建物が、威容を現した。この建物、数100㍍青山通り側であれば、それほど違和感はないだろう。しかし、神宮外苑に隣接し、隣に国学院高校や都立青山高校がある、このエリアでは、かなりの違和感だ。それに、これだけの大きさの建物だと、神宮球場の風にも影響が出るのではないか。

 加えて、神宮球場と秩父宮ラグビー場の敷地交換の話である。場所交換の理由の一つに、青山通りに近い、現在のラグビー場の位置だと、ビル風の影響を受けやすいことも挙げられている。日本スポーツ振興センターの本部棟のビル一つなら、影響は少ないかもしれないが、風の影響はあるにはあるだろう。となると、交換の意味は本当にあるのか、ますます分からない。

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昨年の4月、角地の公園の桜

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上の写真のほぼ同じ場所の今年の状況

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神宮球場に隣接した場所に立つビル




2017年3月31日 (金)

全員外国人になった韓国プロ野球の開幕投手

 3年間、海の中に沈んでいたセウォル号が引き上げられ、朴槿恵前大統領が逮捕される。韓国は時代の転換期の大きなうねりの中にいる331日、日本と同様、プロ野球開幕の日を迎える。

 プロ野球ファンにとっては待ちに待ったシーズン開幕かもしれないが、世の中が騒然とする中、盛り上がりには欠けている。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は1次ラウンドで敗退し、それでなくても気勢が上がらない。開幕戦を盛り上げる要素に、開幕投手があるが、今回、史上初めて、10球団の開幕投手が全て外国人になった。日本のプロ野球の開幕戦では外国人は3人で、残りは日本の選手になっている。

 これまで韓国のプロ野球は土曜日の昼に開幕戦が行われていたが、昨年から金曜日の夜に行われるようになった。この時期の韓国の夜は、底冷えがする寒さだ。ネクセンの本拠地である高尺スカイドームを除けば、韓国人の看板投手は、より多くの観客が見込める、デーゲームで行われる土日の試合に登板させる営業的な事情もなくはないだろう。ただし、現状をみれば、開幕投手が全員外国人というのも、妥当なところではある。

 それでも昨年は、一時DeNA移籍の話もあったKIAの梁玹種をはじめSKの金廣鉉など、韓国人投手が4人いた。KIAの開幕戦は大邱であるため、梁は光州で行われるホームの開幕戦に登板すると予想されている。一方、故障のためWBCにも出場できなかった金廣鉉は、いつ復帰できるか、分からいない状態だ。これでは、WBCで韓国が勝てなかったのも、無理からぬ気がする。

 韓国のプロ野球で外国人選手が出場できるようになったのは、1998年から。最初は日本でもプレーしたウッズ(斗山)など、圧倒的なパワーを持つ強打者を据えるケースが多かった。しかし、登録も出場も2名だけに限られていた外国人選手の能力を、最大限有効に活用するには、投手の方が効果的という考えが広がり、ここ10年以上前から、外国人選手はほとんどが投手になった。

 韓国のプロ野球は長年8球団体制であったが、4年前のNCに続き、2年前にKTが加わり、韓国のプロ野球が10球団体制になると、水準維持のため、外国人選手枠を1人増やした。ただし同じポジションは2人までとなったため、1人は必然的に野手になり、打高投低現象がより際立つようになった。その対策として、外国人投手がより重宝され、韓国人投手の立場は弱まるという循環になっている。

 2000年頃、韓国のプロ野球は、打高投低であった。当時ドジャーズで活躍していた朴賛浩に刺激され、高校や大学の有望な投手が次々とアメリカに旅立ったからだ。ところが、アメリカで活躍するのは容易でないという認識が韓国内で広がり、栁賢振(ハンファ→ドジャーズ)や金廣鉉のように、まず韓国でプロ生活を始める選手が増え、奉重根(現LG)のようなアメリカからのUターン組も出てきたことから、投手の質が上がり、投高打低になっていた。

 しかしながら、世代交代が進まず、外国人の打者が増えたことで、またも打高投低になっている。韓国のプロ野球機構であるKBO(韓国野球委員会)は、今年から、高めのストライクゾーンを広げるなど、打高投低対策に乗り出したが、成果がどれほどあるか。

 もっとも、開幕投手が全員外国人であったとしても、韓国の野球ファンがそれを受け入れ、納得して声援を送るのであれば、韓国人の意識の変化として、それはそれで興味深い。

 話は変わるが、319日、ソウル国際マラソン(東亜マラソン)が開催された。この大会を報じる『東亜日報』の320日付一面の見出しは、「“マラソン名品”5位まで2時間6分台」というものだった。

 近年、この大会を報じる東亜日報の関心は、韓国人選手の記録より、大会のトップグループの記録に集まっている。好記録が出る大会には、ハイレベルの選手が集まり、大会の価値が高まるのは確かだ。

 けれども、上位の選手はケニアなどのアフリカ勢。最初から外国人選手部門と国内選手部門に分けられている。ちなみにこの大会の国際男子1位の記録は2時間554秒、国内男子1位の記録は2時間141秒になっている。

 東亜マラソンは、ベルリン五輪金メダリストの孫基禎、アトランタ五輪銀メダリストの李鳳柱など、韓国マラソンの英雄たちが優勝した大会である。日本も厳しい状況にあるが、韓国はもっと世界との距離が広がっている。

 自国の選手の実力が伸び悩んでいる中、外国人でそれを補うというのは、スポーツに限らず、今の韓国社会を象徴しているようにも思える。成り行きを注目したい傾向だ。

2017年1月31日 (火)

李承燁、現役最後の年に、李大浩が韓国球界に復帰

 韓国では旧正月の連休最後の日である130日、オリックスやソフトバンクでも活躍した李大浩の、韓国・ロッテ復帰の記者会見が行われた。キャンプインを2日後に控えた時点での、超大物の復帰会見である。

 その実力は、多くを語る必要がないだろう。2010年、韓国のプロ野球で、本塁打、打率、打点など、盗塁を除く攻撃のタイトルを独占し、MVPにも選ばれた。2012年にオリックスに入団すると、91打点で打点王のタイトルを獲得した。李承燁(現サムスン)、李鍾範(元KIA)ら、鳴り物入りで日本球界に入った打者も1年目は、配球の違いや、日本の投手の制球の良さに戸惑い、結果を残していないが、李大浩は、体重が百数十宇キロの巨漢にもかかわらず、打撃はパワフルかつ柔らかく、抜群の対応能力を示した。

 その威力はソフトバンクに移籍してからも続き、2015年の日本シリーズでは、MVPにも輝いている。昨年はアメリカに渡り、最初はマリナーズとのマイナー契約だったが、メジャー契約に切り替わり、公式戦で代打サヨナラ弾を含め、14本塁打を放つなど、1年目としては、まずまずの成績を残した。

 今年については去就が注目されていたが、李が選んだのは、元の所属チームである韓国のロッテであった。総額150億ウォン(約15億円)の4年契約。昨年、打率と打点のタイトルを獲得し、サムスンからKIAにFA移籍した崔炯宇が4100億ウォンだから、韓国としては、破格の扱いだ。逆に言えば、ロッテとしては、それほどの待遇であっても、迎え入れたい存在であった。

 ロッテの本拠地・釜山は、球都と呼ばれ、韓国を代表する野球どころである。日本に近く、日本の植民地時代から野球が盛んで、テレビの放送が始まると、アンテナを日本に向けて、日本のプロ野球を観ていた。

 1982年に韓国でもプロ野球が誕生すると、釜山を本拠地とするロッテは、韓国球界を代表する人気球団となった。

 その熱狂ぶりから、韓国の野球関係者の中には、「ロッテは日本の阪神のような存在です」という人もいる。けれども阪神の場合は、弱い時でも、観客数が極端に落ちることはない。それに対して釜山のロッテは、弱いと客足は一気に遠のく。

 李大浩が在籍していた時は、上位にいることが多かったロッテであるが、2013年以降は、下位に甘んじている。それにつれ、2012年まで1試合平均2万人を上回っていた観客動員数は、110002000人台に落ち込み、スタンドには空席も目立つようになった。近年韓国プロ野球全体の人気は高まっているが、ロッテだけが取り残された格好だ。

 それだけに、今年は主将も務めることになった李大浩に、チームの成績アップと、観客数増加の期待がかかっているわけだ。

 しかも李大浩は、生まれも育ちも釜山。高校は金泳三元大統領の母校でもある、釜山の名門・慶南高校である。高校時代は、釜山高校のエースで4番であった秋信守(レンジャーズ)と、釜山の高校球界を二分し、秋信守、金泰均(ハンファ)らとともに、18歳以下の世界選手権で優勝したこともあった。

 高校時代からの釜山の英雄であるだけに、地元ファンの期待も大きい。そして今回の移籍により、李承燁との韓国を代表する巨砲の対決が、韓国のプロ野球で事実上初めて実現する。

 2003年、李承燁は当時のアジア記録である56本の本塁打を放ち、翌年千葉ロッテに移籍した。一方李大浩は、2001年に韓国のロッテに入っているが、試合に本格的に出るようになったのは、李承燁が去った後の2004年から。李承燁は2011年にオリックスでプレーした後、2012年にサムスンに復帰しているが、李大浩は入れ替わるようにして、オリックスに入団している。

 李承燁と李大浩は、韓国代表チームで一緒にプレーしたことはあるものの、韓国球界では常に入れ違いになっている。

 そして李承燁は、今シーズンを最後に引退することを発表している。まだもう数年できるような気もするが、韓国には「拍手を受けているうちに去れ」という言葉もある。惜しまれつつ去るのが、「国民的打者」と呼ばれた李承燁の美学なのだろう。

 ともかく、李承燁が引退するその年に、李大浩が復帰する。ロッテとサムスンはもともとライバル意識が強い。この両チームの対決は、例年以上に熱を帯び、韓国のプロ野球を盛り上げるに違いない。

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 選抜高校野球の出場校が決まり、21日からはプロ野球のキャンプも始まり、いよいよ球春到来です。

 ところで、私も出演している、在日韓国人の高校球児を描いた韓国のドキュメンタリー映画「海峡を越えた野球少年」が、24日(土)から10日(金)までの1週間、横浜市のジャック&ベティ(電話045-243-9800)という映画館で上映されます。

 時間は、1155分から1345分までです。期間も短いし、昨夏ポレポレ東中野で上映された時と同様、いい時間帯ではないですが、関心のある方は、この機会に是非観てください。

ジャック&ベティは、京急・黄金町駅から徒歩5分の所にあります。

http://www.jackandbetty.net/cinema/detail/1045/

 

2016年12月21日 (水)

日本球界も注目した韓国左腕投手、KIA残留の事情

 このオフ、FAの資格を取得し、DeNAなど日本の球団も獲得に乗り出していた韓国プロ野球を代表する左腕投手・梁玹種が、1年契約、契約金7億5000万ウォン(約7500万円)、年俸15億ウオンの計225000万ウォンでKIAに残留することが決まった。金額と1年契約であることはやや意外であったが、もともと今年海外に出ることはないとは思っていた。

 梁は今年1012敗で、防御率は3.68。この防御率は全体で5位、韓国人投手の中では2位になる。しかも2年前は16勝、去年は15勝と、3年連続で2桁勝利を挙げている。

 また先発投手の合格基準である6回以上投げて自責点3以内に抑えるQS(クォリティスタート)は22回で全体のトップ。この3年間、韓国人投手の中では最も多く記録しており、安定感では群を抜いている。

 現在韓国のプロ野球は、極端な打高投低の状況にある。韓国プロ野球は10チームあるが、規定打席に達している打者で、3割打者は40人。日本では、セ・リーグが9人、パ・リーグが6人なので、その多さは半端でない。その一方で、防御率2点台はニパート(斗山)だけで、3点台も6人しかおらず、そのうち韓国人は梁を含め3人だけだ。セ・リーグでは2点台が5人、3点台も6人、パ・リーグでは2点台、3点台とも5人ずついる。近年、チーム数が8チームから10チームに急激に増やしたこともあり、選手層の薄い韓国では、投手難が深刻になっている。

 そのため、投手の報酬はどうしても高くなる。このオフのFAで最も注目されたサムスンの崔炯宇は、4年契約の契約金40億ウォン、年俸15億ウォン、計100億ウォンでKIAに移籍した。崔は今年打率、打点、安打数で1位という、韓国プロ野球を代表する強打者だ。

 一方FAで注目投手の1人であったサムスンの車雨燦は4年契約、総額95億ウォンでLGに移籍した。車には元の所属のサムスンが4年契約、総額100億ウォンを提示したというから、95億ウォンという数字に疑念が持たれている。それはともかく、車は今年126敗だが、防御率は4.73である。韓国を代表する左腕の1人であることは確かだが、それほど目立った存在ではない。しかし強打者の崔とほぼ同じ条件でFA移籍を果たしている。

 海外に移籍するとなると、外国での生活に適応するために、意外と経費がかかる。そのため、外国のチームの提示額が、国内のチームの提示額より少し多いくらいでは、割に合わないことがある。しかも梁の場合、韓国であれば絶対的なエースでも、海外に出ればローテーション入りが保証されているわけではない。したがって、梁がKIAに残留することは予想できた。問題は、なぜ1年契約かということだ。

 韓国メディアの報道によれば、再度FA資格を得るのは4年後だが、1年で海外を含めた移籍の自由が保証されているという。

 KIAは今年5位で、もう少し打線の援護などがあれば、梁はもっと勝ち星を挙げられたという。その点来年はFAで崔炯宇を獲得するなど、戦力は上がっている。KIAで優勝、あるいは、もう少し良い成績を残したうえで、海外進出を考えるということのようだ。さらに来年はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)もあるので、海外のスカウトにアピールする機会も増える。いずれにしても、梁の海外進出は来年の成績をみてということになる。

 ただ気になることが2つある。まず韓国プロ野球出身の先発投手で、日本のプロ野球で成功した人はほとんどいないということだ。

 中日の宣銅烈も、ヤクルトの林昌勇(現KIA)も、阪神の呉昇桓(現カージナルス)もいずれも抑えであった。メジャーでは、栁賢振(ドジャース)が201314年に14勝を挙げている。けれどもその柳もここ12年は肩、肘の故障に苦しんでいる。

 梁は最速が150キロを超え、スライダー、カーブ、チェンジアップなど多彩な変化球を駆使するが、四死球が79と多いのが気になる。

 また宣銅烈が中日に入った1996年頃、韓国のプロスポーツでは年俸1億ウォンの選手は、宣銅烈やサッカーの洪明甫など、ほんの一握りのスター選手に限られていた。金銭的には日本と韓国のプロ野球は、明らかな開きがあったが、今はそれほどでもなくなった。そのため条件面などで日本と韓国を天秤にかける選手も出てきた。

 実力の面でも日本と韓国で差が縮まったとはいえ、海外でプレーするのは容易でない。エージェントの交渉戦術ということもあるのだろうが、日本であれ、アメリカであれ、海外に出る選手は、その意志をはっきり示すべきだ。梁はやや掴みどころがない感じの選手であるがあるが、1年後もし海外進出を希望するのであれば、その意志の強さが成功のカギになるのではないか。

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 西鉄、巨人の投手として活躍した加藤初氏が亡くなった。引退後は、SKなど韓国のプロ野球でも投手コーチとして活動していたので、何度か話を伺ったことがある。

 現役時代は鉄仮面の異名があったが、非常に穏やかな人だった。北京五輪で日本を苦しめた金廣鉉は、入団当初から指導していた。素材の良さは認めながらも、「あの投げ方は肘を壊す。結果を残しているから、言っても聞かないんだよ」と心配していた。実際金は、肘の故障に苦しんでいる。

 最近の野球は、様々な変化球を駆使する投手がもてはやされているが、「投手で一番重要なのは、アウトコース低めにしっかり投げられるかどうかです」と、よく語っていた。高校野球を取材することが多くなったが、この言葉は大事にしている。

2016年12月 7日 (水)

韓国の大谷世代は兵役中~2012年U18日韓代表選手のその後

 2016年のプロ野球の主役は、二刀流が一段と進化した大谷翔平(日本ハム)であった。韓国でも日本の野球への関心は高く、大谷は広く知られた存在である。しかし、彼が高校(花巻東)時代、韓国で試合をしたことを知っている人は、そう多くない。

 ソウルで開催されたU18世界野球選手権のことである。もっともこの大会での日本代表の主役は、藤浪晋太郎(阪神)と森友哉(西武)の大阪桐蔭バッテリーであった。

 それでも大谷は、初戦のカナダ戦に4番・投手で出場し、登板しない時は、外野手やDHで中軸を務めるなど、二刀流の原点をみせた。この大会日韓戦は、第2ラウンドと5・6位決定戦の2回あった。第2ラウンドでは、藤浪が完投して4-2で日本が勝ち、5・6位決定戦では、先発した大谷が2点を失うなどして3-0で韓国が勝った。

 この大会、韓国は優勝したアメリカや準優勝のカナダに勝ち、日本は3位の台湾に勝っており、上位チームにはほとんど差がなかった。あれから4年。日韓の代表選手たちはどうなったか。改めて調べてみると、日本と韓国の環境の違い、韓国野球の状況が浮き彫りになった。

 

【日本】

投手

藤浪晋太郎 大阪桐蔭→阪神(投球回数169711敗、防御率3.25

岡野祐一郎 聖光学院→青山学院大

大谷翔平 花巻東→日本ハム(投球回数1401041ホールド、防御率1.86、打数323、打率.322、本塁打22、打点67

濱田達郎 愛工大名電→中日(投球回数4、1敗、防御率15.75

佐藤拓也 浦和学院→立教大⇒JR東日本

大塚尚仁 九州学院→楽天

神原友 東海大甲府→東海大

捕手

中道勝士 智弁学園→明治大⇒オリックス(育成)

田村龍弘 光星学院→千葉ロッテ(打数371、打率.256、本塁打2、打点38

☆森友哉 大阪桐蔭→西武(打数392、打率.292、本塁打10、打点46

内野手

金子凌也 日大三→法政大⇒Honda鈴鹿

田端良基 大阪桐蔭→ →日本ウェルネス大北九州

北條史也 光星学院→阪神(打数385、打率.272、本塁打5、打点33

菅原拓那 常総学院→国学院大学

城間竜平 光星学院→東北福祉大⇒パナソニック

伊與田一起 明徳義塾→専修大学⇒JR西日本

外野手

笹川晃平 浦和学院→東洋大⇒東京ガス

高橋大樹 龍谷大平安→広島

呉屋良拓 浦添商→日本大

水本弦 大阪桐蔭→亜細亜大⇒東邦ガス

【韓国】

投手

☆沈載珉 開成高→kt(投球回数54-1/323敗、防御率5.47)

金鍾守 蔚山工高→ハンファ

尹炯培 天安北一高→NC→兵役(公益)

宋周永 天安北一高→斗山→兵役

☆李建郁 東山高→SK(投球回数2/3、防御率27.0

張現植 ソウル高→NC→警察(兵役)→NC(投球回数78-1/3131ホールド、防御率4.48

☆李受珉 商苑高→サムスン→尚武(兵役)

☆安圭賢 徳寿高→サムスン→警察(兵役)

捕手

韓承澤 徳寿高→ハンファ→警察(兵役)→KIA(打数28、打率.179、打点5)

☆安重烈 釜山高→kt→韓国ロッテ(打数28、打率.179、打点3)

内野手

尹大瑛 真興高→NCLG→警察(兵役)

姜勝淏 天安北一高→LG2014年警察(兵役)→LG(打数38、打率.184、打点3)

桂廷雄 信一高→建国大

鄭永俊 徳寿高→NC→警察(兵役)

外野手

崔允赫 中央高→延世大

宋浚碩 奬忠高→サムスン→現役入隊

金仁泰 天安北一高→斗山→警察(兵役)→斗山(打数18、打率.167、打点3)

李遇成 大田高→斗山→尚武(兵役)→斗山(打数5、打率.200

沈載倫 天安北一高→LGNC→兵役(公益)→NC

▽ポジションは大会登録時のもの。( )は今シーズンの1軍公式戦の成績。☆は当時2年生。⇒は今後の進路予定

 

 大谷や、今年やや不振であった藤浪の活躍はもちろん、今年は田村が捕手でベストナインに輝き、北條が内野手でスタメン出場するようになった。森はもっとやれるという思いはあるが、打撃センスの良さはみせている。

 しかし濱田は2年前に5勝を挙げたが、その後は肘を痛め、このオフ、戦力外を告げられ、育成契約を結ぶことになった。

 大学に進んだ選手は、佐藤、中道、金子がプロ志望届を提出したが、中道がオリックスに育成枠で指名されただけだった。社会人で改めてプロを目指すことになる。

 田端のように、亜細亜大に合格したものの辞退し、しばらく野球から離れていたが、この春から日本ウェルネス大北九州で野球を再び始めた者もいる。

 日本の場合、プロに行くのはごく一握りの選手だが、それでも独立リーグはあるし、チーム数が少なくなったとはいえ、社会人野球もあるなど、選択肢は多い。

 韓国の場合、社会人野球は15年ほど前になくなり、プロで戦力外になったり、入団できなかったりした選手の受け皿としては、韓国のプロ野球機構(KBO)に所属しない漣川ミラクルというチームが独立球団としてあるだけである。

 韓国の選手は、桂廷雄と崔允赫が大学に進学した他は、すぐにプロ入りしている。桂も斗山に10位指名されており、高校で指名されなかったのは、当時の代表では崔だけである。

 もっとも、当時の3年生で9球団、2年生は翌年から1球団増えて10球団になり、1球団当たり10人が指名される。それに対して高校のチーム数は最近70校に増えたが、当時は60校余り。代表クラスの選手であれば、大半が指名されて当然ともいえる。

 膨大な資源の中から宝石を探さなければならない日本と違い、限られた人材の中から選ぶ韓国では、スカウト活動がそれほど活発でない。近年大学の試合は地方で開催されることが多く、スカウトの目が行き届かないこともあり、大学に進んだ2人は、今年のドラフトで指名されることはなかった。しかも、崔順実の娘、チョン・ユラの不正入学の影響で、スポーツ特待生の入学や、入学後の成績管理が厳しくなり、大学スポーツは大変な時代になっている。

 プロ入りした選手では、兵役中もしくは兵役を終えたばかりの選手が多い。一口に兵役と言っても、軍隊のチームである国軍体育部隊の尚武や警察のチームに所属する、自治体や公共企業体の現場で働く公益勤務、軍の部隊に配属される現役入隊という3つのケースがある。

 U18の大会の5・6位戦で、大谷から先制二塁打を放った宋浚碩は肩を故障し、昨年から、軍部隊に配属されている。

肩や肘の故障は、日本でも問題になっているが、韓国ではより深刻だ。この時の代表の投手はほとんどが、肩や肘、とりわけ肘に故障を抱えていた。手術をして1年は本格的な投球ができないのなら、この際、兵役を解決しようというケースもある。当時韓国高校球界ナンバー1と言われた尹炯培もこのケースで、昨年から自治体の公益勤務要員になっている。

兵役期間中も野球を続けられる尚武や警察のチームの入団は、競争が激しい。ただ入れたとしても、2つのケースがある。

1軍で活躍していた選手は、元のチームが復帰を待ちわびている。仮に兵役期間中に他の選手が台頭したとしても、貴重なトレード要員となる。

一方、入団数年で兵役に入ったU18の代表のような選手たちは、尚武や警察であろうと、公益勤務であろうと、軍部隊に配属されようと、除隊後の実力をみて、今後の野球人生が決まる。

近年は、尚武や警察を経てブレイクするケースが目立っている。今年の新人王である申在永(ネクセン)は警察の、昨年の新人王である具滋昱(サムスン)は尚武を経験している。

その一方で、入団した年に新人王になったのは、2007年の林泰勲(当時斗山)以後いない。この年はシーズン終盤になって、北京五輪で日本キラーとなる高卒ルーキーの金廣鉉(SK)も台頭している。その前の年は、現ドジャーズの栁賢振(当時ハンファ)が、高卒ルーキーながら、新人王とMVPを独占した。高卒ルーキーが活躍したのは、この頃までで、その後は若手が伸び悩んでいる。

今回、早々に兵役を終えた選手は、元のチームでないケースもあるものの、とりあえずプロ野球に戻ることができた。けれども、これから数年が正念場になる。

当時の韓国代表では、まだ1軍で本格的に活躍している選手はいない。それでも、来年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は無理としても、今後のWBCや五輪などの舞台で、日韓の大谷世代が再び相まみえる日は来るのだろうか。韓国の選手にとっては、ここ数年が勝負どころになる。

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小倉全由(日大三)監督を囲む、

2012年、U18日本代表の選手たち


 

 

2016年11月29日 (火)

政治スキャンダルに巻き込まれた韓国スポーツの悲劇

 朴槿恵大統領が条件付きながら、任期前での退陣を表明した。これで韓国情勢が落ち着くとは思えない。それでも、少なくとも政治家は、朴大統領の退陣がゴールではなく、混乱をいかに最小限に抑えて、次の政権につなぐかに力を注ぐべき時期になったはずである。

 それにしても、朴槿恵―崔順実を中心とした一連のスキャンダルは、留まることなく、広がっている。事件の震源地の一つが、スポーツの所轄官庁である文化体育観光部であるだけに、スポーツ界も巻き込まれている。

 2000年以降、韓国スポーツの星であり、希望であったのは、水泳の朴泰桓とフィギュアスケートのキム・ヨナである。この2人にも、火の粉が降りかかってきた。

 崔順実、チャン・シホとともに、スポーツ利権に大きく関わっていた人物に、「スポーツ大統領」とも呼ばれ、スポーツ界に絶大な影響を及ぼしていた金鍾という人物がいる。

 もともとスポーツビジネスの権威で、大学の学部長であった2013年、文化体育観光部の次官に就任すると、スポーツ界の不正の根絶を訴え、ドーピング違反者は、国際競技団体の処分期間が終わった後も3年間は国家代表に選ばないという規則を新たに作った。

 その規定に、水泳の英雄・朴泰桓が抵触する。2014年にドーピング違反が発覚したものの、リオ五輪を前に、国際水泳連盟の処分期間は過ぎ、記録の面でも、五輪出場要件を満たしていた。ただ国内の規則があるために、出場できない状況になっていた。これに対し、二重処罰ではないかという批判があり、朴泰桓も出場を求め、国内の裁判所やスポーツ仲裁裁判所の裁定を求めており、韓国内でも、朴泰桓の出場を求める世論が強かった。

 そうした中金鍾は、五輪に出場した場合、様々な不利益を受けることになるなどと、五輪出場を諦めるよう、朴泰桓を脅迫していた事実が、明らかになった。仮にも教育者であった人間が、立場を利用して選手を脅迫するなど、あってはならないことである。

 また201411月に、崔順実の側近であるチャ・ウンテクが企画し、国民体操として広めようとしたヌルプン体操の披露会に、キム・ヨナが出席しなかったことで、キム・ヨナが様々な不利益を受けたという話も広がった。この披露会、朴大統領自ら参加するなど盛大に行われたが、キム・ヨナの不利益という話は、疑わしい部分が多い。

 一方、新体操の孫延在やロンドン五輪・跳馬の金メダリストである梁鶴善は、披露会に参加している。孫延在はキム・ヨナに続く韓国スポーツ界のヒロインとして、国民的な人気があっただけに、いわくつきの体操の行事に参加したことによるダメージは大きい。

 とはいえ、大統領が出席する行事に、文化体育観光部や大韓体育会、韓国の体操協会などから参加を指示されれば、現役の選手が断れるわけがないので、気の毒な感じがする。

 それに対して、決定的なダメージを受けたのは、スピードスケートの李奎爀である。崔順実の姪であるチャン・シホが設立した冬季スポーツ英才センターの設立に、李奎爀も関わっていた。李奎爀は五輪のメダルこそないものの、1994年のリレハンメル大会から2014年のソチ大会まで、冬季五輪に6回出場し、世界スプリントなどでも優勝した世界的なスケート選手である。

 冬季スポーツ英才センターに関しては、政府の特別扱いや、財閥などからの支援金の横領疑惑などが問題になっている。李奎爀とチャン・シホは以前から面識があったようで、李奎爀がこの組織の不正に、どこまで関係していたかは分からない。

 ただ一般論として言えば、冬季スポーツの英才を育てる所轄官庁肝いりの組織で、引退した選手の活動の場にもなると誘われれば、断る理由はないだろう。

 ことの真相は分からない。ただ言えることは、20年以上世界のトップの舞台で活動し、経験を積んできた貴重な人材であっても、この事件に対する韓国人の感情を考えれば、致命的な傷を負ったことは確かだ。

 韓国のスポーツは、その発展過程から、国と密接な関係にあった。となれば、政治権力がおかしくなれば、スポーツも影響を受ける。

 これは韓国に限ったことではない。トランプがアメリカの大統領に当選したように、今後どのような人物が政治のトップになるか分からない。そうした政治の影響を受けないためには、スポーツ界の自立が必要だが、これは容易でない。それでも、その意識は持っているべきだろう。

 また、スポーツの不正腐敗の追放を訴えていた「スポーツ大統領」自らが、崔順実一派の不正に大きく加担していたというのは、笑えない喜劇であるが、スポーツ界の側にも彼らの介入を招く、腐敗体質があったことも確かである。当局から介入を受けないためにも、いかに自らを律することができるか。自立と自律。今回の一連のスキャンダルがスポーツ界にもたらした教訓である。 

2016年11月 2日 (水)

韓国政治の混迷と平昌五輪

 いわゆる「崔順実ゲート」で韓国政治は大揺れである。韓国のポータルサイトでも「下野」「弾劾」「ラスプーチン」といった言葉が、検索ランクの上位に並んだ。ことの始まりは、40年以上前にさかのぼるこの事件、ドラマとしてなら非常に面白いが、現実に起きたことであるだけに、韓国の国民だけでなく、関係国などもたまったものではない。

 そもそも朴槿恵大統領と崔順実が近づくきっかけになったのは、朴大統領の母親が、流れ弾により死亡した、1974年8月15日のいわゆる「文世光事件」だったとされる。この事件も、かなり謎が多い事件ではあるが、この事件を契機に、朴槿恵と崔順実の父親である崔太敏が近づいたことは、かなり問題になっていたようだ。

 1990年代、韓国でベストセラーになり、日本でも講談社から翻訳本が出ている『実録KCIA~南山と呼ばれた男たち』(金忠植著、鶴眞輔訳)には、このあたりのことが、詳しく書かれている。

 当時KCIAの部長であった金載圭は、崔太敏が朴槿恵に影響を与えている問題で、父親である当時の朴正熙大統領に崔太敏の利権介入やセックス・スキャンダルなど違法行為を報告したところ、「槿恵が崔太敏をかばい、逆に金載圭部長が閣下の前で質問を浴びせられ、恥をかく羽目になった。

 天下の情報部長が、”エセ牧師”と顔を合わせて言い争いをしたということは、実に情けない屈辱だった」(「実録KCIA」)とあり、この本では、情報部捜査担当局長の陳述として、「金載圭部長は、”崔のように百害あって一利なしの者は、交通事故にでも遭って死んでもらうべきだ”と憎悪を表わした」とあり、「朴大統領の家族、いわゆるロイヤルファミリーのために生じた金載圭のストレスも、一〇・二六の一因だったと当時の情報部の幹部たちは証言している」と書かれている。

 一〇・二六とは、1979年10月26日起きた朴正熙大統領暗殺事件であり、暗殺したのが、KCIA部長であった金載圭であった。朴正熙大統領暗殺に関しては、大統領警護室長であった車智澈との対立など、いろいろ言われているが、この本では、朴槿恵と崔太敏の関係によるストレスも、その一つとしている。

 母親と父親を殺害され、父親の周辺にいた人たちも背を向ける中、朴槿恵を支えたのは、崔太敏、崔順実親子であったようだ。権力を失った瞬間、多くの人は離れていくが、それでも朴正熙の子供の状況は、見られている。そうした時、朴槿恵と崔親子の関係に対する周囲の視線は、決して好ましいものではなかっただろう。

 崔太敏は1994年に死亡するが、朴槿恵との関係は、崔順実と、ともに再婚した関係である鄭允会夫婦に引き継がれた。韓国は1997年に金融経済危機を迎え、外貨がほとんど底をつくなど、経済破綻の危機を迎えていた。こうした中、韓国の経済成長を成し遂げた朴正熙への郷愁が高まっていた。そこに1998年に朴槿恵が国会議員の補欠選挙で当選し、政治の表舞台に登場してきた。この立候補を支えたのも、崔順実夫妻だったという。

 朴槿恵は2013年に大統領に就任するが、この時は主に鄭允会の存在が注目されていたが、夫婦で朴政権に関わっていたようだ。

 鄭允会の不正の影がささやかれたのは、スポーツに関してだった。2014年に開催された仁川アジア大会にまだ高校生だった娘が、国家代表選手に選抜される。この選抜過程で、韓国の乗馬協会の人事にまで介入したとされ、問題になった。

 仁川アジア大会では、鄭允会、崔順実の娘は、馬術の団体で金メダルを獲得している。現在、崔順実がサングラスをかけた動画がたびたび放送されているが、これは仁川アジア大会の時のものだ。どの種類かは分からないが、首に仁川アジア大会のIDカードをかけている。

 仁川アジア大会の頃には、鄭允会、崔順実夫婦は離婚していたようだが、夫婦は、朴槿恵政権誕生当時から、スポーツ界に深く関与していたようだ。2013年にはスポーツの所轄官庁である文化体育観光部の幹部が更迭または辞任に追い込まれ、大学教授など、外部の人間が次官など、幹部に就任した。また崔順実の側近として検察の調査を受けたコ・ヨンテと言う人物は、フェンシングの元韓国代表で、1998年のバンコクアジア大会で、団体の金メダルを獲得している。

 朴槿恵政権のスポーツ行政で力点を置かれたのが、不正の追放と、学校の部活を軸とした少数エリート主義を脱し、スポーツクラブを中心として、エリートスポーツと、市民スポーツを融合させることだ。

 審判の買収や八百長、判定や、選手選抜の不正など、是正すべき課題が多いのは間違いない。しかし、行政官庁自体の不正が疑われていては、改革は進まない。

 また、朴正熙政権時代に始まる、韓国スポーツの少数エリート主義は、もはや限界に達しており、選手層を広げるためには、市民スポーツとの融合は不可欠である。しかし、韓国スポーツの現状を無視し、リオ五輪直前の大事な時期にエリートスポーツの団体である大韓体育会と市民スポーツの団体である生活体育会が統合されたのは、何か不自然であった。

 そうした中、先月行われた2つの団体が統合された新生大韓体育会の会長選挙では、エリートスポーツの立場から、文化体育観光部が推し進める統合に反対してきた元水泳連盟会長である、イ・ギフンが当選した。所轄官庁と対立する立場の人物が当選するのは、異例なことである。けれども、水泳連盟自体、公金横領など、不正が問題になっていた団体で、水泳関係者の中からイギフンの会長就任に反対の声があるというから、韓国のスポーツ界は、前途多難である。

 また今回崔順実の存在が表に出るきっかけになったKスポーツ財団であるが、学校スポーツの対案として、各地に設立を推進しているKスポーツクラブの運営にも深く関わっているという。

 スポーツ界の不正追放も、スポーツクラブ設立も、方針としては正しいが、いわくつきの人間が関与することにより、完全に歪んでしまった。

 さらに1年数カ月に迫った平昌五輪にしても、開閉会式の会場建設や、施設の運営、マスコットの選定など、様々な利権に崔順実が関与したことが疑われている。マスコットは文化体育観光部、ひいては背後で糸を引く崔順実が推し進めた珍島犬の案は退けられ、虎と熊になったが、組織委員会と文化体育観光部の対立は尾を引いたようだ。今年の5月、組織委員会の会長である趙亮鎬韓進グループ会長が、組織委員会の会長を突然辞任した。これは、韓進海運の経営悪化が原因とされていたが、こうした利権に関する文化体育観光部との対立が本当の理由であったという報道もされている。

 さらに平昌五輪の開会式の開会宣言は誰がやるのかも、以前から問題になっていた。平昌五輪の時は、朴槿恵政権の任期中ではあるは、次期大統領は決まっており、閉会式の日に次期大統領の就任式も行われる予定とされている。もともと自分の実績にならない平昌五輪には、朴槿恵政権は熱心でなかったと言われている。そこに、この利権疑惑である。

 これでは大会に向けて、盛り上がりようがない。平昌五輪に向けて盛り上がっている数少ないパーツが、不動産関連である。今まで山間へき地とされてきた平昌を含む江原道であるが、五輪を契機に交通インフラが整備され、便利になることは間違いない。新聞には平昌、江原道などの不動産関連の広告をが連日掲げられている。その平昌に崔順実も不動産を持っているという。

 2002年のサッカーワールドカップの時は、船頭多くして、の感があったが、今回は船頭なく迷走の感じすらしてきた。

 船頭がいようがいまいが、アスリートたちは、平昌五輪に向けて汗を流している。混乱の中でも、その汗に報いる大会にすることが、最低限求められている。それは、船頭多くしての感がある、4年後の東京も同じである。

2016年10月27日 (木)

日本ラグビーのレガシーを壊してもいいのか?

 いまは値札表示をするようになってきたが、かつてはソウルの南大門市場などでは、店の人の言い値で、日本人などをみると、「お客さん、これ1万エン」と日本語で吹っ掛け、「高い」と言って店を出ようとすると、「7000エン」「5000エン」と平気で、半分くらいまで値段が下がることがよくあった。これと同じとは言わないが、東京五輪の競技施設の建設コストの上がり下がりは、市場の値段交渉を彷彿させる。

 ボート・カヌーの会場など、五輪施設の問題がメディアを賑わせていた先週、秩父宮ラグビー場が2019年のラグビーワールドカップが開催された後解体されると、ラグビー場を運営する日本スポーツ振興センターから日本ラグビー協会に連絡があったという小さな記事が載った。

 五輪期間中、ラグビー場を解体して駐車場などにし、五輪後はラグビー場の地に神宮球場を移転し、新球場完成後、野球場の地にラグビー場を移転するということは、このコラムでも、何度か書いた。しかし、旧国立競技場解体後に起きた、建設コストを巡るトラブルやデザイン変更、そして五輪会場を巡る一連のゴタゴタをみると、安易に今ある施設を壊すべきではないと、改めて感じる。

 何より気になるのは、2020年の東京五輪では、レガシー(遺産)を残すということが、大きなキーワードになっているが、その一方で、今あるスポーツのレガシーに対する敬意が感じられないということだ。

 くしくも秩父宮ラグビー場の解体の時期の連絡があった日の翌日、日本ラグビーのスーパースター、平尾誠二氏が亡くなった。私は観た平尾氏の試合では、平尾氏が大学4年生と時の新日鉄釜石との日本選手権、神戸製鋼の時の社会人選手権決勝で、ロスタイムに入ってからのウィリアムスの逆転優勝につながる同点トライのあった試合、それから、日本代表がスコットランドを破った試合などが、印象に残っている。そのうち、日本選手権の会場であった国立競技場は今はなく、社会人ラグビーやスコットランド戦の会場であった秩父宮ラグビー場も解体されようとしている。

 秩父宮ラグビー場にしても、神宮球場にしても、古いがゆえに問題が多いことも事実である。けれども、国内の試合を行う分にさほど支障がない。それどころか、ラガーマンや学生野球の選手にとっては、それぞれ聖地である。そして、日本スポーツのレガシーと言って過言でない。

 確かに東京五輪の時は、駐車場や資材置き場のようなものは必要だろう。都会の中にあるだけに、使える場所は限られている。それでも以前にも書いたように、開閉会式の時は、周辺の道路を大会関係車両以外は通行止めにして、一部を駐車場にすることもできる。秩父宮ラグビー場を使うにしても、解体を一部分に限定することは可能なはずだ。ラグビー場は、東西のメインスタンド、バックスタンド、南北のゴールポスト裏のスタンドと、完全に分かれて建設されている。

 これまでの経緯をみていると、どうもまず解体ありきの感じがする。何とか日本スポーツのレガシーを残そうとする、気持ちが感じられない。今あるレガシーを尊重せず、4年後の東京五輪でレガシーを、と言って、どこまで説得力があるのだろうか。

 まだ実際に解体されるまで、3年の時間がある。新国立競技場や豊洲新市場の問題から、教訓とするところは多いはずだ。

 23日の日曜日、私は神宮第2球場で、来年のセンバツの出場をかけた、高校野球の秋季都大会を取材していた。第2試合の途中、球場の外から、法政大学の校歌が聞こえてきた。神宮球場では、明治大学が東京6大学の秋季リーグの優勝に王手をかけ、立教大学と試合をしていた。第1試合で秋季リーグの全日程を終えた法政大学が、球場の外で、4年生の応援団員の引退式を行っているようだった。その隣の秩父宮ラグビー場では関東大学ラグビーの慶応・帝京の試合などが行われていた。神宮外苑界隈には、若者の歓声がよく似合う。

 その一方で、日本青年館も解体され、日本青年館と明治公園の土地と、旧国立競技場の土地が、一体となって整地され、もうすぐ新国立競技場の建設工事が本格的に始まる。2020年までは、工事などで不便が生じることは仕方ないと思う。しかし、その後も、工事が続くのは、如何なものかと思うのだが。

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新国立競技場の建設現場。手前に日本青年館があった

◇  ◇  ◇  ◇    ◇  ◇  ◇  ◇

 かねてより噂になっていた影の権力者の存在が明るみになって、韓国政界は、大混乱である。この影の権力者、スポーツ財団の設立や、娘のスポーツ特待生としての名門・梨花女子大学の入学にも疑惑が持たれており、この問題、スポーツ界にも飛び火しそうだ。

 しかも、最近行われた大韓体育会の会長選挙では、政府の方針に否定的な人物が当選した。2年後の平昌五輪は、東京五輪とはある意味似ているが、違った状況で混乱が深刻化しそうだ。その点については、改めて書きたいと思う。

2016年9月16日 (金)

韓国プロ野球の申し子・李承燁の日韓通算600号本塁打

 8月24日に韓国プロ野球の通算最多打点である1390打点を記録し、9月7日には韓国プロ野球で通算2000本安打を記録した李承燁(サムスン)が、14日、日韓通算600号本塁打を記録した。韓国での本塁打が441本、日本での本塁打が159本で、韓国で400本以上の本塁打を記録しているのは、李承燁だけ。日本でも600本を超えているのは王貞治と野村克也だけなので、偉大な記録である。

 もちろん、日韓通算にどれほどの意味があるのか、日本と韓国では球場の広さもレベルも違うという意見もあるだろう。しかし王貞治が本塁打記録を樹立している時、アメリカから球場の広さやレベルの違いを指摘する声があった時、日本人としていい思いをしなかったように、記録の評価を下げるのは、好ましいことではない。本塁打を600本も積み重ねることは、並大抵のことではない。

 李承燁は高校時代、好投手として知られていた。後に韓国代表やヤクルトの抑えとして活躍する同学年の林昌勇(現KIA)より、投手としての評価は高かった。

 その後肘を痛め、プロ野球では打者に専念する。サムスンに入団して間もない李承燁を指導した白仁天(東映など、日本のプロ野球で活躍)監督は、故障から回復した李承燁の投手としての素質にほれ込み、「給料を倍やるから投手もやらないか」と提案したほどだった。もちろん本人が断り、打者に専念したわけだが、若いころは、キャッチボールをしているのをみても、球のキレは抜群であった。

 李承燁は1999年に本塁打54本、2003年には本塁打56本と当時のアジア記録を樹立し、「国民的打者」と呼ばれるようになる。1999年はシドニー五輪の2003年はアテネ五輪のアジア予選が行われたが、いろいろなつてを頼って取材を申し込むと、「今は大統領より取材するのが難しい。無理だ」と断られた。しかし韓国に行って直接本人に依頼すると、短い時間ではあったが、あっさり応じてくれた。

 真面目で、練習熱心。大スターである李承燁は、常にそう言われてきた。ただし、真面目さゆえに、日本に来てうまく適応できなかった時、周りの話を聞きすぎて、余計調子を崩したこともあった。

 2004年から2011年まで千葉ロッテ、巨人、オリックスでプレーした日本時代は、41本の本塁打を放った年もあったが、故障もあり、不本意なものだった。それでも、2008年の北京五輪では、準決勝の日本戦や決勝のキューバ戦で本塁打を放ち、韓国の金メダル獲得に貢献した。

 韓国に戻って最初の2年は、目立った活躍ができず、限界もささやかれたが、2014年に本塁打32本、打率も3割を超え、存在感をアピールしている。

 李承燁は、高卒ルーキーが定着した第1世代になる。李承燁は今年で40歳。日本では広島の新井貴浩らと同世代となる。李承燁が生まれたのは、韓国でまだプロ野球が誕生していない、1976年。韓国では1982年からプロ野球が始まったが、中日でも活躍した宣銅烈ら、プロ野球誕生初期のスター選手はもちろん、李承燁より1学年上で、斗山や韓国代表の中心打者として活躍した金東柱、巨人でもプレーした3学年上の趙成珉らのように、大学を経てプロに行くのが当然視されていた。日本以上に学歴を重んじる韓国では、大卒は韓国社会で生きていくうえで必須であり、大学の野球部もまだ、それなりに力を持っていた。

 しかし李承燁の世代は、小学校に入ってからプロ野球が誕生し、野球を始める時は、プロ野球選手になることを前提にしていた。それに、プロ野球の誕生に伴い、アマチュア野球の存在感は薄まっていった。そのため、李承燁の世代あたりから、高校から即プロに入る選手が増えはじめ、今では、プロに入れなかった選手が大学に行くという感じになった。日本のように、高校の注目選手が、プロか大学か悩むということは、今ではあまりなくなっている。

 野球を始めた時から、プロを目指した第1世代である李承燁も、40代になり、いつまで現役を続けるかが注目されるようになってきた。それでも、まだ当分はできそうな雰囲気だ。いつまで続け、どう現役を終え、その後の人生をどう歩むか。どのような歩みをするにしても、後に続く世代の道標として期待されている存在であることは確かだ。

 

 

 

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