スポーツ

2018年4月12日 (木)

韓国で二刀流は出現するか?

 エンゼルス・大谷翔平のメジャーリーグでの活躍は、韓国でも大々的に報じられている。大谷の名が韓国で最初に知られたのは、花巻東高校時代の2012年、ソウルで開催されたU18ワールドカップに日本代表として参加した時だった。この時は、投手としては調整不足で、もっぱら野手・大谷としての注目であった。

 日本ハム球団が、高校から即アメリカに行くことを希望していた大谷を説得する材料に、同じように高校からアメリカに行った韓国選手の失敗事例を用いた話もよく知られている。そして、日本ハムでの二刀流の活躍にも、韓国では高い関心が持たれていた。

 今年韓国プロ野球のktに入団した姜白虎は、打者としての素質が評価される一方で、150キロもの速球を投げることから、二刀流の起用も検討されていた。

 投打の二刀流は、韓国では「投打兼業」と表現されるが、この「投打兼業プロジェクト」には、「投手と打者では使う筋肉が完全に違う」などの理由から、否定的な意見も多く、結局外野手としてスタートした。

 姜はこの春、高卒ルーキーながら、開幕戦の初打席でいきなり本塁打を放った。これは高卒新人で韓国プロ野球最初のことである。

 身長184センチ、体重98キロと上体筋肉質の体は、やはり二刀流よりも、打者に専念した方がいいように思う。

 2015年に大阪、兵庫で開催されたU18ワールドカップの韓国代表には、二刀流の選手がいた。現在NC所属の朴俊泳は、遊撃手である一方で、150キロ近い速球を投げ、投手としても活躍していた。当時既にNCに投手として指名されていたが、本人に二刀流について聞くと「僕には無理です」と言い、大谷については、「あの人は天才です」と語っていた。

 朴はプロ入り後、肘を痛めて手術し、野手に転向した。現在手術のリハビリ期間でもあり、その間に入隊し、兵役問題を解決するという。

 韓国を代表するホームラン打者である李承燁は、高校時代は投手として有名であった。肘を痛めたため打者に専念したが、サムスンに入団した95年の秋に監督に就任した白仁天から、「ギャラを倍にするから、投手もやってみないか」と言われたという。日本のプロ野球でも活躍した白が、サムスンの監督に就任した頃には肘の状態も良くなっており、いい回転の球を投げていたが、「断られたよ」と、かなり前に白は語った。

 2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本打線を苦しめた奉重根(LG)は、高校時代は打者としての評価が高かった。高校からアメリカに渡り、投手に専念した。それでも、2009年のWBCの後、本人に聞くと、「打者としてやりたい気持ちもありますよ」と答えていた。高校時代にイチローに憧れ、背番号は今も51番だ。

 レンジャーズの外野手として活躍している秋信守は、高校時代は韓国の高校球界を代表する投手であった。アメリカに行かなかったら、投手としてプレーしていたはずだ。

 韓国プロ野球草創期のホームラン打者で、ヘテ(現KIA)の黄金時代の中心メンバーである金城漢は、プロ野球元年の1982年に本塁打13本で、投手としても10勝している。金は86年も1試合だけ投げているが、二刀流は、まだアマチュア時代の雰囲気が残っていた最初の数年だけである。

 日本でも、水野雄仁、桑田真澄、松坂大輔など、高校時代は打者としても注目された投手も少なからずいる。韓国に現在二刀流がいないのは当然のことで、大谷は常識を超えた例外中の例外であることは確かだ。では今後は出てくるかと言われれば、大谷の活躍に刺激される野球少年はたくさん出るだろうが、韓国では難しいのではないか。

 韓国では投打の二刀流以上に出現が困難なのは、今年東大から日本ハムに入った宮台康平のような文武の二刀流である。

 今は是正の動きがあるが、韓国ではスポーツをする人は徹底してスポーツだけで、勉強する人は徹底して勉強だけというケースが多い。両立を目指すより、人生の進むべき道に直結した方に集中すべきだという考えだ。

 野球部員でソウル大に入学する人も、いるにはいるが、ニュースになるくらいのレアケースで、選手としてはさほど有名ではない。

 公務員ランナーとして有名な川内優輝にしても、韓国の市民ランナーの憧れの存在ではあっても、専門家はマラソンに専念すれば、もっとすごい選手になるはずだという見方が多い。

 AもBも80点か、Bは捨ててAは90点、のどちらかを選ぶとすれば、韓国の指導者の多くは、後者を選ぶのではないか。韓国では、バランスよく力をつけるよりも、より上位を目指せる方に集中するべきだという考えが、一般的だからだ。両方できることに意味を見出すよりも、特化した部門でより高いレベルを目指すべきだという発想では二刀流が出現するのは困難で、韓国で二刀流が出るかどうかは、結局指導者次第である。

 

2018年3月28日 (水)

兵役問題で早まったプロ野球の開幕

平昌五輪、パラリンピックが終わったばかりだが、324日、日本やアメリカに先立ち、韓国でプロ野球が開幕した。27日からは、ナイトゲームも始まった。

 今年は韓国も結構暖かいようだが、基本的に、日本に比べて寒い。例年桜の開花も、ソウルは東京より10日ほど遅いことが多い。したがってプロ野球の開幕も、日本と同時期か遅い。韓国にはドーム球場は一つだけ。例年だと、体がまだ十分に仕上がっていないこの時期のナイターでは、故障のリスクすらある寒さになることもある。

 それでもこの時期に開幕したのは、今年は8月にインドネシアのジャカルタなどで、アジア大会が開催されるからだ。今シーズンは、アジア大会の期間である816日から93日までは、試合が行われない。首位争い、ポストシーズン進出争いの輪郭がはっきりし、ヤマ場に向けて、盛り上がりをみせる時期に、シーズンを中断することになる。

 韓国のプロ野球が、そこまでアジア大会を重視するのは、兵役の問題がかかっているからだ。現在、スポーツ選手が兵役免除を受けるには、五輪でメダルを獲得するか、アジア大会で優勝するしかない。

 この兵役免除、厳密には、「体育要員」としての服務ということになる。既述したような国威発揚に貢献する結果を残したスポーツ選手に対しては、4週間の軍事訓練と、選手あるいは監督、コーチなど、「体育要員」の資格を得た競技に34カ月従事することで、兵役を終えたとみなすということである。

 かつては、2002年のサッカー・ワールドカップや、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベスト4でも、兵役は免除されたが、兵役免除に対する社会の目は厳しく、2009年のWBCで準優勝した時は、免除にはならなかった。

 韓国の野球は、2008年の北京五輪で金メダルを獲得し、多くの選手が兵役を免除された。しかしこの大会以後、野球は五輪の競技種目から外された。2年後の東京五輪では復活するので、韓国球界でも期待は大きいが、五輪でメダルを獲得するのは、容易ではない。

 その点アジア大会では、日本は社会人野球の選抜チームで臨むので、プロ主体の韓国とは力の差がある。

 アジア大会でプロも参加できるようになった98年のバンコク大会以後、韓国は2006年のドーハ大会以外、全て優勝している。ただし、2006年のドーハ大会で韓国は、柳賢振(ドジャース),呉昇桓(ブルージェイズ)ら、錚々たるメンバーであったが、当時サムスンの呉昇桓が、日大生であった長野久義(巨人)にサヨナラ本塁打を打たれ敗れている。

 98年のバンコク大会は、当時ドジャースの中心投手であり、国民的な英雄であった朴賛浩の兵役を免除させるための大会であったと言って、過言でない。日本との決勝戦は、韓国が13-1のコールドで圧勝したが、優勝した瞬間、現役メジャーリーガーであった朴が、飛び上がって喜んでいた姿が印象的であった。

 アジア大会の野球では、韓国が優勝の最有力候補であることは間違いないが、露骨に兵役を終えていない選手を中心としたチームを組むと、世論の批判を受けることになる。したがって、兵役を終えていない若手選手は今シーズン、韓国代表に選ばれることに、納得してもらえるだけの力を示す必要がある。

 兵役には、かつてはいろいろな抜け穴があった。90年代半ばまでは防衛兵制度という、服務期間は、移動はできないものの、ホームゲームには出場できる制度があった。

 またスポーツ選手は負傷することが多いので、様々な理由をつけて、兵役を逃れることもあった。そうした口利きの意味もあって、韓国のプロ野球機構であるKBOの初期の総裁には、軍関係の人が多かった。

 政治家や財閥企業の息子に兵役逃れの人が多いなど、兵役問題は、社会の不公平の象徴のような存在となっており、かつてのように、融通を利かすことは難しくなった。それだけに、スポーツ選手としては、アジア大会が非常に大きな意味を持っている。

 ところで今回のアジア大会に出場できるかどうかが注目されているのが、サッカー・プレミアリーグ、トットナムで活躍している孫興民だ。韓国代表の中心選手として、ロシア・ワールドカップでの活躍が期待されている孫であるが、まだ兵役免除の資格を得ていない。

 あり得ない話だが、ワールドカップで仮に韓国が優勝したとしても、孫は兵役を免除されない(世論の動向で変わることもあるが)。兵役を免除されるには、アジア大会にオーバーエイジ枠で出場し、優勝するしかない。

 しかし、アジア大会が開催される時期は、シーズン開幕の重要な時期でもある。しかもワールドカップと違い、所属チームは、選手を代表チームに送り出す義務はない。

 韓国内の選手はプロ野球のように、多少無理をしても日程を調整し、アジア大会に合わせることができるが、海外の選手はそうはいかない。かつては、高校を卒業後メジャー目指してアメリカに行ったものの、兵役問題のために、韓国に戻れなくなったケースもある。

 一足早いプロ野球の開幕は、兵役という、韓国の若いスポーツ選手の厳しい現実を反映したものでもある。

 

2018年3月 3日 (土)

オリンピックの魔法が解けた後に来る現実

 平昌五輪も幕を閉じた。開会式後の観客の移動、大会前から懸念されていた風、ノロウィルスなど、問題は確かにあった。それでも、招致段階からウォッチしてきた私としては、小さい町がよく頑張ったという印象だ。

 そして何より感じたのは、「オリンピックの魔法」である。開会式の会場近くで保守団体のデモがあるなど、開幕直前まで不穏な雰囲気があった。けれども聖火が灯り、世界各地から来た人が町に溢れると、開催地では不穏な雰囲気はなくなり、盛り上がりに欠けるという大会前の懸念が嘘のように、開催地はオリンピックムードに染まった。

 まだパラリンピックが残っているが、聖火が消え、選手や応援の人たちが韓国を離れると、「オリンピックの魔法」が解け、現実と向かい合うことになる。

 山に閉ざされ、開発が遅れていた平昌・江陵地域での開催だけに、韓国や開催自治体はかなり無理をして開催にこぎつけた。そうした中で整備された施設やインフラは、大会の雰囲気を盛り上げ、成功の下支えになったが、大会が終わると韓国や開催地にとって、頭の痛い存在になる。

 まず屋根がなく、尋常でない寒さが懸念された開閉会式は、もちろん寒さはあったものの、懸念されたほどではなかった。その会場は陸上競技場などと違い、専用に作られた施設だけに制約が少なく、会場そのものが大きな舞台装置になっており、式典は非常に華やかで臨場感があった。

 けれどもパラリンピックが終われば、客席の大半が撤去される。4回の式典のためだけに作られた、極めて贅沢な施設だ。管理・維持費を考えれば、そうせざるを得ないだろう。問題は、スタジアム周辺にできた町そのものだ。

 オリンピックスタジアムができたことで、平昌郡大関嶺面の町は、「久々に来た人は分からなくなる」と地元の人が言うほど、様変わりした。私は韓国の田舎町も結構歩いているが、コンビニや飲食店などが、これほど充実している山里は見たことがない。

 しかし大会後は、記念館などが作られるのだろうが、ほとんど何もなくなる。リゾート地でもないので、どう人を呼び、町を維持していくかは、難しい問題だ。

 ソウル五輪のメイン会場であった蚕室は、かつては漢江の中洲の農村地帯であったが、オリンピックを契機に様変わりした。ただ当然のことながら、高度成長期の首都の一角と、過疎化が懸念される低成長期の山里では、事情が違い過ぎる。

 また江陵会場では、女子アイスホッケーの会場になった関東ホッケーセンターだけ別の所にあるだけで、江陵カーリングセンター、フィギュアスケートやショートトラックの会場になった江陵アイスアレナ、江陵スピードスケート競技場、江陵ホッケーセンターは、オリンピックパークやその隣接地域にある。

 そのため江陵駅や江陵バスターミナルからオリンピックパークに向かう一般用のシャトルバスが頻繁に出ており便利だった。そしてオリンピックパークが、観戦チケットがない人でもオリンピックムードを感じる場所になっていた。

 しかし、東京やソウルでも1か所にこれだけ氷上競技施設が集まると負担になる。まして江陵は人口が約21万人しかいない。一部は体育館や公演施設に転用するにしても、限界がある。

 韓国全体では、スケートリンクが不足している面もある。女子アイスホッケーの南北合同チームが練習試合を行った仁川のリンクは、4年前のアジア大会のハンドボール競技会場であった所だ。アジア大会後、スケートリンクになっていた。夏季大会もそうであるが、冬季大会はなおのこと、都市開催のという原則は、もはや相当無理があるのではないだろうか。

 平昌五輪で使用された施設には、維持・管理費を誰がどの割合で負担するのかだけでなく、管理主体が誰なのかということすら決めっていない競技場も少なくない。

 滑降競技などが行われた旌善アルペン競技場の加里王山は、朝鮮王朝時代から守られてきた自然保護林であった。大会のためにコース上の木は伐採され、他の所に移植した後、大会が終われば、再度元の場所に植え直すことになっていたが、伐採されたかなりの木が枯死しており、復元は困難になっているという。

 ジャンプ競技場の維持管理のための国庫負担も困難とされており、国は国家代表の練習期間だけ、使用料を負担する方針だと現地メディアは報じる。

 ここで問題となるのが、競技人口の少なさである。ジャンプの場合競技人口が、ジュニア層も含めて男子15人、女子3人しかいない。キム・ヨナでブームになったフィギュアスケート以外は、どの競技も似たり寄ったりだ。

 平昌五輪の余韻がある今は、競技普及のゴールデンタイムであるはずだ。

 韓国のように、一部の競技を除き、冬季スポーツが盛んでない地域で開催する意味は、競技の普及、底辺の拡大にあるはずだ。競技人口が増えてこそ、競技施設は利用されるし、施設に対する公費負担の大義名分にもなる。

 韓国の冬季スポーツは主に、スケートはサムスン、スキーはロッテが支援している。しかし両財閥とも朴槿恵・崔順実スキャンダルの当事者になっている。大韓スキー協会会長でもある韓国ロッテ会長の辛東彬(日本名・重光昭夫)は、大会期間中の213日、ソウル中央地裁から実刑判決を受けている。

 スキーもスケートも平昌五輪の出場選手登録においてミスを犯して競技団体は世論の非難を浴びただけでなく、スケートでは暴力事件に加え、国際的に韓国の恥部をさらしたパシュートでのいじめ問題などがあり、競技普及まで、ほとんど気が回らないのが実情だ。これではスポーツの視点からは、何のための大会かということになる。

 インフラ整備という面では、高速鉄道・KTXの開通、トンネルの開通などによる道路整備など、飛躍的に進歩した。

 KTXは、ソウルの東北部、東京の上野のような存在の清涼里と江陵を1時間40分で結んでいる。けれどもこの路線、途中に大きな都市を通っていない。人口約34万人の原州市をかすめてはいるが、中心部からは遠い。

 大会中は、平昌地区の会場へのシャトルバスの拠点になった平昌駅、珍富駅は、パラリンピックが終わると、周囲にほとんど何もない、山の中の駅に過ぎなくなる。

 さらにトンネルなどの整備により、東ソウルバスターミナルや、江南にある高速バスターミナルから江陵まで2時間40分ほどで行けるようになった。

 清涼里までは遠い、ソウルの南部地域の人たちにとっては、料金の安い高速バスで行っても、江陵までの時間はそれほど変わらない。

 人の行き来が激しい大都市間であれば、交通インフラが整備され、競争が生まれることはいいことだ。しかしながら、江陵は人口が約21万人だ。バスもKTXも、生き残りは厳しい状況に置かれている。

 地方の小さな駅だった江陵駅は、平昌五輪を契機にKTXが開通して様変わりした。けれども駅周辺は昔のままで、ほとんど何もない。このアンバランスこそ、オリンピックの魔法が解けた開催地の現状をよく映し出しているのではないか。

 大会を無事開催することは簡単ではないが、後味をよくすることは、もっと大変だ。地方の町の平昌・江陵と大都市・東京では事情はかなり異なるが、2年後の東京にも同じことが言える。

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江陵駅は五輪を契機に様変わりした

 

 

2018年2月25日 (日)

北風をおいやった五輪の力

 平昌五輪も間もなく終わろうとしている。開幕前の1カ月余り、話題の中心は北朝鮮であり、「平壌五輪」と揶揄される状況だった。

 北朝鮮との融和を図りたいが、核問題などで思うようにいかない文在寅政権にとっても、国際的な孤立を深める北朝鮮にとっても、平昌五輪は融和ムードを演出する絶好の機会であり、この際、できることは何でもしようとばかりに、風呂敷を目一杯広げた感じだった。

 それに対して、韓国の保守勢力の反発は強く、北朝鮮の国旗が燃やされたりもした。反発した北朝鮮側は、五輪参加の取りやめを示唆することもあった。同じような状況で、結局北朝鮮に振り回されることになった2003年の大邱ユニバーシアード大会の二の舞いになるのではないかと懸念したが、やはりオリンピックはアジア大会やユニバーシアードとは違う。今回は心配したほどのことはなかった。オリンピックに向けて起きた北風であったが、オリンピックの力は、北風が好き放題に吹き荒れることを許さなかった。

 平昌五輪が始まった頃、韓国メディアの話題の中心は、金正恩の妹・金与正であった。それでも大会2日目である10日に男子ショートトラックの林孝峻が韓国最初の金メダルを獲得すると、国民の関心は徐々に競技の方に移り、三池淵管弦楽団のソウル公演が終わり、金与正が北に戻ると、ようやくオリンピック本来の熱気がみられるようになった。

 冬季スポーツの多くは韓国人にとって馴染みが薄く、盛り上がりが懸念された。強風の影響を受けたり、空席の目立つ種目もあったりしたが、それでも現場では、オリンピック独特の雰囲気を感じることができた。

 そうした雰囲気を作ったのは、日本のほか、カナダ、アメリカ、ドイツ、オランダなど、世界各地から集まった応援の人たちと、4年に一度の大勝負に限界を超える死闘を繰り広げた選手たちであった。

 一方、金与正をはじめとする代表団、三池淵管弦楽団、テコンドー演武団などが相次いで北に戻ると、北朝鮮関係で残るのは、選手と応援団だけになった。

 選手団の中で存在を示したのは、実力で出場権を得ていてフィギュアスケート・ペアのリョム・テオク、キム・ジュシク組くらいで、あとは世界との力の差があり過ぎた。

 男子ショートトラックのチョン・グァンボムは、渡辺啓太を故意に妨害した疑惑を持たれている。映像を観た限りでは、確かにそう感じるが、真相は分からない。ただ一つはっきり言えることは、北朝鮮の選手は、オリンピックで競うだけの実力も技術もなかったということだ。

 韓国に来て、本番のリンクでの最初の練習で、北朝鮮の別の選手がコーナーを回り切れず負傷しているのもその表れだ。

 注目された女子アイスホッケーの南北合同チームに関しては、全敗に終わったが、だいたい実力通りの結果だったと思う。しかしながら、男女のアイスホッケーは、韓国としては珍しく、協会の一貫した支援の下、4年余りの間に確実に力をつけていただけに、大会前に政治が介入してきたことに、無念さもあっただろう。それでも合流した北朝鮮の選手は、最先端のアイスホッケーを学ぼうと一生懸命であったし、カナダ人のマリー監督もそれに応え、韓国選手も受け入れることで、チームは成り立った。

 とはいえ、本番の1カ月前に政治主導で合同チームが決まることなど、今後はあってはならない。また、韓国と北朝鮮の人が自由に接触できない以上、女子アイスホッケーの交流が今後も地道に続くように力添えするのは、政治の役目である。

 応援団に関しては、これまでも指摘してきたように、もともと応援スタイルが冬季スポーツに合わない。アルペンスキーの会場の、サンタクロースのような赤い服を着て、全員サングラスをした集団は、かなり異様であった。

 競技の流れに関係なく、「我々は一つだ」と叫ぶことは、南北の融和を求める人の中には心に響くのかもしれないが、真剣勝負の場にあっては、邪魔でしかない。

 それにしても今回の応援団、「美女軍団」と言われた過去のメンバーに比べると、随分見劣りした。根拠はないが、今回は金与正と三池淵管弦楽団の玄松月団長以上に目立ってはならないという、忖度があったのではないかという感じすらある。

 三池淵管弦楽団のソウル公演では、玄団長が舞台に上がり歌い出す前に、風邪でのどの調子が悪いとことわったうえで、「団長のプライドもあるので、先に歌った歌手よりちょっと大きく拍手してほしい」と語りかけている。冗談ぽい口調ではあったが、かなりのプライドである。

 応援団の方は、応援する競技も限られているので、オリンピックプラザや観光地などで、公演活動をすることになる。場所によっては、好評だったようである。けれども三池淵管弦楽団に比べると格下感は否めず、見る人の感想も、「何か珍しいね」といった程度のものだったようだ。

 平昌五輪を招致した段階から、韓国の人たち、特に政治家は、競技そのものにはあまり関心がなかったように思われる。しかし、オリンピックの中心にいるのは、アスリートである。

 ライバルである小平奈緒と李相花の友情物語に代表されるように、真剣勝負の中から生まれる交流こそ、本当の意味でのオリンピック精神であると思う。そうしたドラマが、多くの人を感動させた。

 閉会式を控え、またしても政治が表に出始めた。スポーツの感動が汚されぬよう、節度を持つことこそが、開催国の政治家の務めではないだろうか。

2018年2月18日 (日)

冬季五輪開催地の非日常~江陵編

 約1週間の平昌五輪の現地取材を終え、日本に戻ってきた。テレビを見る限りでは、韓国より、日本の方が盛り上がっているような感じがする。それでも現地は、普段とは違う、非日常の中にある。

 活動の拠点にしたのは、氷上種目が行われている江陵だった。大会前に懸念されたのは、宿泊施設不足であ。山の中の平昌はもちろん、人口約20万人の江陵も泊まる所は少なく、モーテルなどの料金が10倍以上跳ね上がっているという噂あった。

 そのため、現地に行く予定のあるソウル在住の友人に依頼し、江陵の中心部から少し離れた所にある、13万ウォン(約3000円)の海辺のゲストハウスを紹介してもらった。

 ゲストハウスは相部屋ではあるが、この時期3万ウォンならありがたい。しかしオーバーブッキングだった。江陵宿泊の最初の日、開会式を見たため帰りが遅かった私は、床の上に寝るしかなかった。

 翌日、江陵駅まで出たついでに、ダメもとで駅周辺のモーテルを当たってみた。すると入ったモーテルの1軒目で、15万ウォンの部屋が見つかった。入口の価格表には、週末7万ウォン、平日5万ウォンになっており、私が行ったのが土曜日だったが、5泊するということで、全日5万ウォンにしてもらった。ゲストハウスの3万ウォンに比べると高いが、利便性を考えると、結果としてはほとんど変わらない。

 江陵市内で会った大会ボランティアに、駅前で5万ウォンの宿に泊まっているという話をすると、驚いた表情で、「安いですね。この間カナダ人に聞いたら、駅前のモーテルに120万ウォンで泊っていると言っていました。暖房は効いていますか?テレビはありますか?インターネットは使えますか?」と言われた。もちろん宿泊するのに、何の不自由のない部屋だった。

 5万ウォンでも、通常よりは1、2万ウォン上乗せしている。私が泊まった2日目には、入口の料金表が10万ウォンになり、その翌日に5万ウォンに戻っていた。駅前の宿泊業者にすれば、平昌五輪はまたとない儲けるチャンスであったが、思ったほど宿泊客がおらず、宿泊価格が乱高下しているようだった。

 宿泊客が思ったほど集まらなかった要因として、料金が高いという評判がかなり広まっていたことに加え、昨年1222日に江陵とソウルの清涼里を1時間40分弱で結ぶ高速鉄道・KTXが開通し、ソウルからの日帰りが可能になったことがある。そのため江陵駅は、常に大勢の人でごった返していた。

 KTXが開通する前は、ソウルから鉄道で6時間なのに対し、高速バスだと3時間ほどだったので、交通の拠点は市外バスターミナルを併設した高速バスターミナルの方だった。実際、食堂やコンビニなど、旅行者が必要とする店は、バスターミナルの方に多い。

 それに対して、新たに建設された江陵駅の構内には、食堂とコンビニはそれぞれ1軒ずつだけで、いつも賑わっている。駅に外にも食堂は少なく、テントで立食のフードコートが作られていた。コンビニも、駅の近くには1軒だけ。深夜観戦帰りの人たちが押し掛けると、満員電車のような状況になった。その一方で、バスターミナル側の食堂やコンビニには人が少なく、KTXの開通で、街の人の流れが、完全に変わったようだった。

 旅行者にとっては、開催地のバス料金が無料なのはありがたかった。これは、渋滞解消のため、ナンバーの末尾が偶数か奇数かで通行制限をする2部制を実施するのに伴い、公共交通機関の利用を促すための措置である。

 また江陵市内には、競技施設の大半が集まるオリンピックパークと、女子アイスホッケーが行われる関東ホッケーセンターの2か所があるが、両方とも江陵駅や高速バスターミナルからシャトルバスが頻繁に出ている。こちらも、江陵駅発は混んでいるが、高速バスターミナル発は、乗っている人がほとんどいなかった。

 オリンピックパークに入るのには、2000ウォンで入場券を買う必要がった。最初の日曜日である11日には、入場券売り場に行列ができ、午後2時過ぎには、売り切れになった。

 オリンピックパークの中には、スポンサー企業や2020年の東京五輪などの広報館やイベント広場があり、パレードも行われていた。

 公園内では、マスコットのスホランが愛嬌を振りまいている。しかしこのマスコット、のぞき穴の位置に問題があり、自分だけではしっかりと歩けない。ボランティアに支えられて歩く姿は、微笑ましいようであり、痛々しくもあった。

 14日は江陵でも強風が吹き荒れ、オリンピックパーク内の施設が吹き飛ばされたり、閉鎖されたりした。

 江陵は海沿いの町であるので、風が強いこともある。しかし観光地の一つである、海のそばの大きな池のような鏡浦湖は、湖面に夜空の月が、鏡のように映し出されることで有名だ。昔の風流人は、夜空の月と湖面の月、盃の月と恋人の瞳に映る月を愛でたという。山の平昌と違い、江陵は湖面に波が立たないほど、風が穏やかだということだ。

 鏡浦湖の近くには、烏竹軒など観光地も多く、シーズンになると修学旅行生などで賑わう。ドラマや映画のロケ地でもあることから、日本人や中国人も江陵を訪れるようになった。

 私は24年前に初めて来たのを皮切りに、江陵に来るのは今回が5回目だ。街はオリンピックの影響で随分あか抜けてきたが、もともとは、映画館がシネコン1軒、芸術映画用の独立館が1軒しかない、古びた小さな街である。しかしオリンピックの期間中は外国人が増え、街は間違いなく、非日常の中にある。

 それでも、私が江陵での初日に泊まったゲストハウス近くの海岸の看板には、次のような注意書きがあった。「警告 この地域は、軍作戦地域です。(中略)24:00以後には、海岸線の出入りは、一切禁止するようお願いします」

 南北融和が謳われ、江陵の街全体がお祭りムードであっても、北朝鮮に近い地域ゆえの緊張という、変わらぬ日常がそこにはある。

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新設された江陵駅

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オリンピックパーク・江陵駅間のシャトルバス

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オリンピックパークの入場券を求める行列

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ボランティアに支えられて歩くスホラン

   ◆   ◆   ◆   ◆      

14日、女子アイスホッケーの日本・コリア戦でコリアは1ゴールを挙げた。左派系の「ハンギョレ新聞」は、「待ちに待った初ゴールが決まった…抱き合う南北統一チーム」という見出しを掲げ、第2面のほぼ全面を使い、これを報じた。 一方保守系の「朝鮮日報」は、第3面の左下6分の1くらいのスペースに、「オリンピック初ゴールは入れたが…単一チーム、日本に1対4で完敗」という見出しを掲げたうえ、ゴールについても「唯一のゴールが出た時、氷上に立つ選手は、韓国国家代表だけだった」と指摘し、冷めた見方で報じている。女子アイスホッケーの南北統一チームに関しては、韓国内でも温度差がかなりある。

2018年2月 4日 (日)

平昌五輪、ごく限られた北朝鮮コメントの注目点

 平昌五輪の開幕も、いよいよ迫ってきた。90年代末、韓国が冬季五輪の開催を目指していると聞いて、まさかと思った。当時はスケートのシュートトラック以外でのメダルはなく、施設も、冬季スポーツに対する関心もゼロに等しかったからだ。

 その後、フィギュアスケートのキム・ヨナの登場を経て、スケルトンなどメダル有望種目は増えたものの、冬季スポーツへの関心の低さは相変わらずだ。それでも開幕が近づき、徐々にお祭りムードにはなっているようだ。

 1日には、北朝鮮選手団が韓国に入った。フィギュアスケートのペアで出場するリョム・デオクの笑顔が話題になっているが、取材にはほとんど応じないのは、相変わらずだ。

 釜山アジア大会(2002年)、大邱ユニバーシアード(2003)、仁川アジア大会(2014年)で、北朝鮮の選手を中心に取材をして感じるのは、まず、まともなコメントを期待してはいけないこと。ただ、ごく限られた言葉の中に、それなりの変化を感じさせる言葉が含まれていることがあるということだ。

 金正日時代は、選手たちは「将軍様(金正日)」の教えとして、「胆力(度胸)」という言葉をやたらと使っていた。

 金正恩体制になった後の仁川アジア大会では、重量挙げ・男子56キロ級で優勝したオム・ユンチョルが、「最高司令官、金正恩同志におかれましては、『卵で岩を割ることはできないが、思想を注入すれば割ることができる』という教えを下さいました」と語ったのが、一番インパクトがあった。

 また女子体操の平均台で優勝したキム・ウンヒャンは表彰式の後、涙声で「異国の地で共和国の旗が空高く掲揚されるのは、元帥様(金正恩)が望んでいたことです。元帥様に金メダルを捧げたい」と発言した。釜山アジア大会などで北朝鮮の選手は、韓国を「南の地」と言うことが多かったが、「異国の地」という言葉に、南北が疎遠になっていること再認識した。

 再び融和ムードが演出される中で、今回はどのような発言をするのか。もっとも、北朝鮮の選手が取材に応じるのは、基本的に勝った時だけ。さほど活躍が期待できない今回は、どれだけコメントを残すかが注目される。

 コメントを残さないのは、美女軍団も同じ。大邱ユニバーシアードでは、閉幕が近づいたころ、事前に申請した記者に限り、北朝鮮の応援団と韓国側関係者との懇親会が始まる前の15分だけ、美女軍団への取材が許された。

 私もその中にいたが、韓国についてはどんな質問をしても、「同じ民族と思いました」「早く統一すればいいと感じました」としか言わない。質問をした後に一瞬の間があり、回答マニュアルのうち、どのファイルが一番相応しいか、探しているようですらあった。日本やアメリカに関する質問には、私の方も向いていた首を180度反対方向に動かして、完全に無視された。

 まともな話はできないけれども、まだ質問できる時間が残っていたので、近くに座っていた女性に「みなさん美人が多いですね」と声をかけると、隣の席の女性まで話に加わり、「平壌にはもっと美人が多いですよ」と言うので、「どうしてですか」と聞くと、「空気もいいし、住みやすいからですよ」と自慢げに答えていた。話の内容はともかく、かろうじて会話が成り立ったのは、これだけだった。

 果たして、今回はどうだろうか。冬の装いで登場するのは、今回が初めてなので、ファッションも含めそれなりに注目されるだろう。金正恩時代になってから、どんな変化があるのかも気になるが、彼女たちの声は、どこまでメディアに登場するだろうか。

 こうした北朝鮮代表団を、大会が行われる平昌、江陵の人たちはどのように思っているのだろうか。平昌、江陵から北朝鮮は近い。

 私が江陵に初めて行ったのは、ソウルに留学していた943月のことだ。後に「秋の童話」のロケ地として知られることになる束草から江陵に入ったが、バスが市街地に入る前に、軍人が乗り込んで、不審者がいないか、チェックしていた。かつては、北朝鮮の工作員が江陵の海岸から上陸し、銃撃戦になったこともあった。

 戦争になれば、真っ先に戦場になる地域だけに、平和、平穏であることへの思いは強い。ただ近いだけに、北朝鮮への不信感が強いのも確かだ。

 今回、北朝鮮は選手や応援団だけでなく、芸術団やテコンドー演技団など、韓国の想定を超えた代表団を送り込んできた。私も最初は驚いたが、北朝鮮にすれば、選手団だけ送るよりも、多様な形態の代表団を構成した方が、より韓国側を揺さぶり、自分たちのペースに持っていきやすい。

 韓国では、保守団体を中心に反北朝鮮世論は高まっている。北朝鮮の国旗を燃やすなどのパフォーマンスをする団体もある。こうした動きに対して、北朝鮮は選手団の帰国となると、それなりの覚悟が必要だが、応援団、芸術団ならば活動のボイコットや帰国を示唆して、韓国側を揺さぶることも可能と思っているのではないか。その時、韓国側はどこまで毅然とした対応ができるだろうか。

 北朝鮮に振り回され、オリンピックそのものに影響が出れば、南北融和に否定的な世論を、今まで以上に世界に拡散させる可能性がある。これは、「これでは南北大運動会ではないか」とう批判が出ていた、釜山アジア大会と大邱ユニバーシアードの教訓でもある。加えて、オリンピックは、アジア大会やユニバーシアードとは、注目度が全く異なることも、留意しておく必要がある。

 

 

2017年12月20日 (水)

北朝鮮、サッカー強化の本気

 16日に幕を閉じたサッカーの東アジアE‐1選手権は、男子は韓国、女子は北朝鮮が優勝した。言い古された表現であるが、朝鮮半島には昔から「東男に京女」に似た意味で、「南男北女」という言葉がある。サッカーでも、「南男北女」の現象が続いている。

 私は今回、2014年の仁川アジア大会以来3年ぶりに北朝鮮の男女のサッカーを取材した。3年前も優勝したのは男子が韓国で、女子が北朝鮮であった。今回北朝鮮の女子は、3試合で挙げた5得点のうち、4点を挙げたキム・ユンミが強烈な印象を残したが、3年前のメンバーで残っているのは、キム・ユンミを含めごく少数。今回は16歳の選手など、10代の選手を積極的に選抜し、メンバーはかなり若返った。

 北朝鮮は4月に平壌で開催されたアジアカップの予選で韓国と引き分け、予選全体の得失点差で2位となり、2019年にフランスで開催されるW杯の予選を兼ねたアジアカップの出場を逃している。

 そのことがよほど悔しかったのか、今大会でもキム・グァンミン監督は、「あのような悔しい思いはしたくない」と、繰り返し語っていた。

 アジアカップの予選の組み合わせで、平壌で行われる北朝鮮のグループに韓国が入った時、試合が無事に行われるか、懸念の声もあった。核やミサイルによる朝鮮半島の緊張に加え、これまで男子のW杯予選の南北対決では、北朝鮮ホームの試合は、中立地である中国で行われていた。

 平壌で韓国の国旗、国歌を使用することを許したうえで、平壌で予選を開催したことは、北朝鮮がサッカーに本気で力を入れていることの表れだ。それだけに韓国に続く2位に甘んじ、アジアカップの出場を逃したことは、北朝鮮にとっては屈辱だったはずだ。

 今回のE‐1選手権は、北朝鮮の女子サッカーにとっては再出発の舞台となり、選手も若返った。しかし朝鮮半島情勢を反映して、大会はかなり異例の形になった。この大会では、男子の優勝チームには25万ドル(約2880万円)、女子には7万ドル(約805万円)の賞金が贈られることになっており、2~4位のチームにも賞金が出ることになっているが、北朝鮮には支払わないことが発表された。

 経済制裁により、北朝鮮への資金源を断つという状況の下、スポーツといえども、北朝鮮にお金を渡すことがはばかれるのは確かだ。ただその一方で、参加国には同じ条件というのがスポーツの原則でもある。北朝鮮は、来年ロシアで開催される男子のW杯はもちろん、女子も2019年のW杯の出場を逃しているが、もし出場したら、FIFA(国際サッカー連盟)は、どのような判断を下すか気になるとことだ。

 五輪やアジア大会はともかく、スポーツの国際大会の多くで賞金が出される中、経済制裁を科されている国にどう対応すべきかは、議論がなされるべき問題だ。

 もっとも、E-1選手権で女子が優勝したことは、国際的な孤立の中で存在を誇示したということで、北朝鮮にとっては、賞金以上の意味があったはずだ。

 またキム・グァンミン監督の口からは、今回政治的な発言は出てこなかった。仁川アジア大会でもキム監督が指揮していた。この時は、準決勝までは普通にサッカーの話をしていたが、優勝するや会見での第一声は、「金正恩元帥様の愛と配慮のお陰である」というものだった。

 2002年の釜山アジア大会で北朝鮮の女子サッカーが優勝した時も、金正恩と金正日の違いだけで、会見内容は指導者礼賛であった。どの競技種目であれ、北朝鮮が優勝した時の指導者礼賛は、ある種、お決まりである。

 韓国での発言と、日本での発言は違うのだろうが、北朝鮮のスポーツを取材していて、政治的な発言なき優勝会見は、新鮮であった。もっとも、それが普通なのだが……。

 それでも、北朝鮮がサッカーの強化に本腰を入れていることは間違いない。今回北朝鮮の男子は、1分け2敗で最下位であったが、昨年からドイツ・ブンデスリーガで活躍したノルウェー人のヨルン・アンデルセンが監督に就任。平日は代表チームで練習し、週末は各チームに戻り試合をするという強化により、日本には敗れたとはいえ、互角以上の試合をするなど、確実に力をつけている。

 北朝鮮のスポーツは、政治の影響を非常に強く受ける。北朝鮮を取り巻く厳しい状況の中で、サッカーがこのまま順調に伸びていくかどうかは分からない。ただ、既に国際大会で実績を残している女子だけでなく、女子に比べ存在感が薄い男子も、日本サッカーの脅威になる可能性は十分ある。

 北朝鮮の女子は当面、来年のアジア大会、さらには2020年の東京五輪を目指すことになるだろうし、男子は2022年のW杯を目指すことになる。その時、北朝鮮はどういう状態になっているだろうか。純粋にサッカーの話だけというわけにはいかないところが、この国の悲しいところだ。

2017年12月 7日 (木)

平昌五輪、北朝鮮頼みが招く北朝鮮リスク

 1988年のソウル五輪では、ソ連の参加が大きな焦点になっていた。韓国と北朝鮮は長い間勢力を誇示する競争を繰り広げてきたが、韓国の経済成長が軌道に乗ってきた1980年代、南北の差は、はっきりし始めていた。

 そうした状況で、共産圏の盟主であるソ連がソウル五輪に参加することは、北朝鮮にとって決定的なダメージであった。金日成主席はゴルバチョフ書記長に、参加しないよう要請したが、拒否されたと言われる。ソウル五輪では、日本やアメリカはヒールであり、ソ連には、観客から声援が送られていた。

 ソ連が崩壊した後も、その中心であるロシアは、相変わらずスポーツ大国である。韓国でソウル五輪以来、30年ぶりに開催されるオリンピックである平昌五輪でロシアは、ドーピング問題により、国としての参加が禁止されることが決まった。

 ロシアが参加しないことは、それでなくても盛り上がらない平昌五輪に、また大きな難題を抱えたことを意味する。

 ドーピングで汚染された疑いのある選手が参加することは、大会の価値を下げることになる。その一方で、注目の選手が参加しないことも、大会の価値を下げることであり、平昌五輪は、ジレンマを抱えたまま、状況は厳しくなる一方だ。

 参加といえば、北朝鮮問題も大きい。北朝鮮は唯一自力で出場権を獲得したフィギュアスケートのペアで、出場の意思を示さないまま、期限が過ぎた。これにより北朝鮮は、フィギュアスケート・ペアの出場権を放棄したことになる。

 まだ特別枠での出場の可能性があるので、出場の可能性がなくなったわけではない。出場するにしても少人数の選手団になるだけに、逆にギリギリまで、態度表明を伸ばすことが可能だとも言える。

 そもそも北朝鮮は、出場の意思を十分に持っていたのではないか。4月には、平昌五輪の会場である江陵で開催された女子アイスホッケーの世界選手権、ディビジョン2・グループAの大会に、北朝鮮も参加している。同じ時期に平壌で開催された女子サッカーのアジアカップの予選に韓国も参加し、平壌に韓国の国歌が流れ、国旗が掲揚された。2013年に平壌で開催された重量挙げのアジアクラブ選手権で一度あるものの、これは極めて異例のことである。

 孤立を深める北朝鮮にとって、スポーツは軍事的な問題でなく、自国の存在をアピールできる数少ない機会である。金正恩体制になった後も、国防委員会所属でスポーツ担当機関である「国家体育指導委員会」を新設するなど、力を入れてきた。

 そうした中、5月に韓国では文在寅政権が誕生した。文政権は、北朝鮮に平昌五輪への参加と、一部種目の南北統一チームの結成などを呼び掛けた。

 文政権はもともと、北朝鮮に融和的な人たちの支持を受けて当選を果たしたものの、ミサイル発射や核実験などで、北朝鮮には厳しい態度を取らざるを得ない。平昌五輪は、北朝鮮に融和的な態度を示すことができる数少ない機会である。また北朝鮮の参加で、盛り上がりに欠ける平昌五輪の関心を高めることも期待されている。

 しかも、開幕まで2カ月余りとなった先月29日、北朝鮮がミサイルを発射した。オリンピック、パラリンピックが終わる318日までの間、北朝鮮が新たな挑発行為に出れば、緊張がますます高まるし、挑発がなければないで不気味な沈黙として、落ち着かない状況が続くに違いない。だからこそ、大会の安全な開催のために、北朝鮮の参加を求める声も大きい。

 国際社会で孤立を深めている北朝鮮にとって、平昌五輪は、歓迎されている数少ない機会であると同時に、最高のカードになっている。

 北朝鮮の権力者が何を考えているか、読めない部分はあるものの、平昌五輪そのものに対する妨害行為は、致命的な孤立を招くだけに行わないと思う。

 それでも、参加の可能性を残しながら、揺さぶることで、何かを得ようとする可能性は十分ある。北朝鮮の平昌五輪の参加をより切実に願っているのは、北朝鮮よりも韓国の方であるからだ。韓国は北朝鮮に足元をみられている状況だ。

 文在寅政権にとって、北朝鮮参加への思いが強いだけに、かえって平昌五輪開幕ギリギリまで、北朝鮮に揺さぶられるリスクを負いそうな感じがする。

 

 

2017年11月 2日 (木)

韓国人の聖火へのこだわり

 平昌五輪開幕100日前となった111日、聖火が韓国に上陸した。仁川国際空港に到着したチャーター便から降りる、フィギュアスケートの金メダリストであるキム・ヨナと、所轄官庁である文化体育観光部の都鍾煥長官が手にした聖火を、李洛淵国務総理が出迎えるという、超ⅤIP級の歓待ぶりだ。

 韓国女子フィギュアの有望選手であるユ・ヨンが、韓国内での最初の聖火ランナーになり、小平奈緒との金メダルをかけた対決が注目される女子スピードスケートのイ・サンファや有名芸能人らが初日の聖火ランナーになった。

 聖火リレーの距離は、2018年の開催にちなみ、2018キロ。聖火ランナーの数は、北朝鮮も含めた人口、約7500万人を象徴して、7500人と、韓国らしいこだわりである。

 韓国人は聖火に関心が高いので、大会の広報、雰囲気の盛り上げには一定の効果があるだろう。ただ、懸案の入場券の売り上げに効果があるかは、疑問である。

 オリンピックで聖火リレーが行われたのは、ナチス・ドイツの政権下で開催されたベルリン五輪であった。この大会に、日本選手団の役員として参加した李相佰は、聖火リレーに強い感銘を受けた。

 以前も取り上げたことがあるが、李相佰は戦前、早稲田大学に留学した韓国人で、早稲田大学ではバスケットボール部の主将や監督を務めた。英語が堪能で、アメリカのバスケットボールの最新の理論を日本に持ち込む一方で、日本バスケットボール協会の創設にも貢献した。バスケットボール協会創設後は、協会の常務理事とともに、大日本体育協会(現日本体育協会)の理事にもなり、ベルリン五輪には、本部役員として参加した。

 1940年に招致が決まった東京五輪では、組織委員会の競技部参与に就任。早稲田大学では津田左右吉に師事した歴史学者でもある李相佰は、ベルリンでの感動から、聖火をアテネからシルクロードを通る聖火リレーを計画していたという。1940年の聖火リレーは、戦争により幻に終わった。

 李相佰は解放前に祖国に戻り、解放後は、大日本体育協会の役員として培った人脈を基に、韓国のIOC(国際オリンピック委員会)加盟に尽力した、「韓国のクーベルタン」とも呼ばれる人物だ。

 聖火にこだわりを持つ李相佰は、韓国の国体である全国体育大会で、1955年から聖火リレーを行うようにした。採火の場所は、民族の始祖と呼ばれ、神話の存在である檀君が祭祀を行った場所とされる、仁川に隣接した江華島の摩尼山の山頂にある塹星壇で行い、それは今日でも続いている。さらにここ十数年の全国体育大会での聖火の最終点火は、オリンピックばりの派手なものになっている。

 聖火にこだわりが強い分、悲劇を含め、聖火にまつわる、様々なエピソードがある。

 1988年のソウル五輪では、最終点火者が3人と凝ったものになったが、点火の際、先に放たれていた鳩がまる焦げになったのは有名な話だ。

 民主化に向かいつつあったものの、まだ軍事政権の時代であったソウル五輪の聖火リレーでは、リレーのコースの周辺にあったバラックは強制的に壊された。そして住んでいた人は、古代人のように、穴を掘って暮らしたという。

 2002年に釜山で開催されたアジア大会では、参加各国に、それぞれの国で採火した火を持って来るように求めた。アジアの火を一つに集めるという趣旨だったが、独自に採火しなければならない参加国のオリンピック委員会には、不評だったようだ。

 2014年の仁川アジア大会では、火と水の調和ということで、聖火台が噴水の中央に火が灯る構造になっていたが、大会の途中で火が消えるハプニングがあった。

 しかも聖火の最終点火者の1人が、女優のイ・ヨンエであったことを問題視する人が多く、大会のプレスセンターで行われた閉会式の記者会見では記者からは、閉会式に関する質問はほとんど出ないで、開会式の聖火点火者がイ・ヨンエであったことに、質問や意見が集中したという話を、現場にいた記者から聞いた。

 果たして平昌五輪の聖火では、どのようなエピソードを残すだろうか。開会式会場の聖火台はカバーに覆われ、点火の方式などはベールに包まれている。

 ただ一つ推察できるのは、最終点火者は、キム・ヨナだろうということだ。韓国の冬季スポーツでは唯一と言っていいほどの世界的な知名度により、五輪招致に果たした役割、五輪広報での貢献などを考えれば、他の人物は考えにくい。もっとも、聖火には凝りたいお国柄だけに、思わぬ人物が登場するかもしれないが、それはそれで、ハプニングと言っていいのではないか。

 

2017年10月27日 (金)

日韓それぞれのドラフト会議

 今年もドラフト会議が終わった。注目の清宮幸太郎(早稲田実)は7球団の競合の末、日本ハムが交渉権を獲得した。

 清宮は、入学式から数日後の春季都大会3回戦の駒大高戦から、常に多くの観衆とメディアに囲まれながら試合をし、結果を出してきた。はっきり聞き取りやすい話し方で、ポイントを外さない受け答えなど、私も取材者の1人として、感心することが多かった。それにしも、高校の野球部生活は短いなと感じる。プロの世界での活躍を期待したい。

 ドラフト会議は、プロもアマチュアも、その成り行きを固唾を呑んで見守るという意味では、日本の野球、最大のイベントと言っていい。ドラフト会議の盛り上がりを支えているのは、プロ野球人気もさることながら、高校野球をはじめとするアマチュア野球への関心の高さだろう。これは、日本独特のものではないだろうか。

 韓国にもドラフト会議はあるが、日本のように注目されることはない。それ以外にも、制度面も含め、日本と異なる点も多い。

 制度面で一番異なるのは、各球団のフランチャイズ地域の高校の選手(出身者を含む)を1人、優先的に指名できる、地域縁故指名の制度があることだ。

 1982年に韓国にプロ野球が誕生したころ、高校野球の人気が非常に高かった。プロ野球は、全斗煥政権下、政府主導で始まったが、行政当局は、この高校野球人気を徹底的に利用することを考えた。それが地域縁故指名のもともとのはじまりであった。

 プロ野球が始まり、人気が高まるのと反比例して、高校野球人気はどんどん落ち込んでいった。韓国の高校野球部は、学校からの支援がほとんどなく、部員の親が、監督の給料をも賄っている状態で、慢性的に資金難である。そのためプロ野球の各球団は、地元の高校チームを支援している。現在の地域縁故制度は、その動機付けという側面がある。

 その分、韓国の高校野球では、プロの意向を無視できない。この夏、U18ワールドカップで韓国は日本を破り準優勝した。これは、優勝した2008年の大会以来の好成績である。その要因となったのが、ドラフト会議の日程変更であった。

 地域縁故指名は6月に行われたが、全体のドラフト会議は、例年なら8月半ばだが、今年はU18の大会が終わった直後の911日に行われた。そのため選手たちは、少しでも上位で指名されるよう、プレーにも力が入った。

 しかも、昨年までのようにドラフト会議の後だと、プロ球団の中には、指名した選手が故障するのを恐れて、選手起用にも干渉することがあったようだ。そうしたしがらみがないことも、好成績の要因とも言われている。

 また、野球に限らず、バスケットボールなどでもそうだが、韓国のドラフト会議で、最も違和感があるのは、プロ志望届を出した人は、原則としてドラフト会議の会場に来ることになっていることだ。今年のドラフトでも、多くの選手が、学校のユニホームを着て参席していた。そして、指名された選手は、指名球団のユニホームを着て、記念写真に応じる。

 しかしドラフト指名は、あくまでも交渉権獲得であって、入団が決まったわけではない。そのうえ、指名されなかった選手は、寂しくさらし者になる。

 日本のプロ野球は、ごく限られた、特別な選手がいくところというイメージがある。それに対して韓国では、高校のチーム数は74であるのに対し、各球団は、地域縁故指名の1人を加え、11人、10球団なので、計110人が指名される。高校の野球部員は、プロに行くことを前提にしている。そのうえメディアも、指名が予想される選手のいる学校の記者を派遣するなど、面倒なことはしない。そこで選手の方を呼んでいるわけだが、選手の側の立場の弱さを感じる。

 なお、ドラフト指名の選手の数が多いのは、韓国には兵役制度があることも影響している。

 プロの世界は入ってからの競争がさらに激しい。上位、下位問わず、日韓それぞれのドラフト指名選手から、球界を盛り上げるスター選手が育ってほしいものだ。

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