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2018年9月12日 (水)

祭りの後①~平昌五輪から半年―既に撤去されたオリンピックスタジアム

 平昌オリンピック・パラリンピックが終わり半年も経っていないが、先週、韓国に行ったついでに、ソウルから日帰りで、平昌オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の会場になった、平昌のオリンピックスタジアムに行ってきた。

 平昌にはまず、ソウルの清涼里からKTXで江陵に行き、そこからバスで平昌を目指した。

 大会期間中は1時間に3本程度走っていた江陵行きのKTXであるが、現在は、朝の時間を除き、1時間に1本程度になっている。私が乗ったのは、平日の午前中であったが、乗車率は6、7割といったところだった。それでも、私が思っていたよりは多かった。江陵駅のホームから改札に上るエスカレーターを待つ列も、大会期間中より、長い気がする。

 江陵市はスケート競技の会場で、江陵駅は大会期間中、アクセスの拠点であった。しかし駅構内は、コンビニと軽食堂が1軒ずつと、利用者には、不便な駅であった。

 現在は食堂が1軒増え、大会中はカード専用の臨時の乗車券販売所であったスペースに、ダンキンドーナッツができていた。

 駅前の五輪マークは、そのまま残されている。駅近くのロータリーの中央にあった五輪マークも、そのままだ。駅の外には、大きなテント形式のイベント施設があったが、今は駐車場になっている。

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現在の江陵駅

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大会期間中、江陵駅前のイベントスペース

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現在は駐車場になっている江陵駅前

 路線バスで、江陵のバスターミナルに向かう。バスターミナル近くにある江陵市役所の上部には、大会前、大会期間中と変わらず、IOCの建物かと見まがうほどの大きな五輪マークが掲げられている。

 バスターミナル周辺には、五輪マークやマスコットのイラストが至る所にあり、街はまだ、オリンピックの余韻の中にある感じだ。

 江陵から30分ほどで、平昌オリンピックスタジアムに近い、横渓のバスターミナルに着いた。高原地帯だけに、かなり涼しい。

 横渓のバスターミナルからオリンピックスタジアまでは、歩いて5分もかからない。

 オリンピックスタジアムの近くには、セブンイレブンのほか、韓国系のCU、GS25というコンビニや、韓国では有名なパンのチェーン店など、店の並びはソウルの街とほとんど変わらない。ただ、平日の昼間ということはあるにしても、店の中は、店員以外の人影は見当たらない。

 それでも、この地域の名物である黄太(スケトウダラ)料理の店は、昼食の時間が過ぎていたが、客がかなりいた。

 さて肝心のオリンピックスタジアムであるが、実はもうない。残っているのは、白い聖火台と、本部棟の土台となる建物だけだ。

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スタンドの外に立てられた聖火台

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現在は聖火台だけ取り残されている

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外から見たスタジアムのスタンド

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現在は本部棟の土台の建物だけが残っている

 大会中は、スタンドの外側に置いてあった、岡本太郎の色遣いを彷彿とさせるモニュメントも、工事の資材に囲まれ、異様な感じになっている。

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スタンドの外にひっそり置かれたモニュメント(写真のほぼ中央)

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現在は異様な目立ち方をしている

 羽生結弦や小平奈緒らが金メダルを授与されたメダルプラザのある、オリンピックプラザ一帯も、参加国の国旗が掲揚されていたポールなど、一部を残して取り壊され、跡地には、雑草が生えている。

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五輪開会式の日のオリンピックプラザ

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現在は更地になっている

 オリンピックスタジアムは仮設スタンドであり、最初から取り壊されることになっていた。とはいえ、街にはまだオリンピックの余韻があるのに、あまりにもあっけない。

スタジアム建設までは、かなりすったもんだがあり、完成したのは、昨年の秋だ。そして大会が終わると、さっさと取り壊された。残していれば維持費がかかるとはいえ、味気ない。

 オリンピック・パラリンピックの記憶は、たくさんの映像に残されている。それでも、現場に行けば、蘇る記憶があるし、想像できることもある。そうした現場は、早くもなくなっている。

 跡地は、オリンピック記念館のほか、サッカーグランドや、陸上競技のトラック、テニスやフットサルのコートなどがある公園として整備されることになっている。

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 昨年も9月に平昌を訪れているが、その時は、スタジアムやその周辺の整備のため、街全体が工事中であった。あれから1年。今度はスタジアムの取り壊しや、公園整備のために、またも工事中である。

 ただ、スキーやスノーボードの会場となった龍平や普光は、リゾート地だけに、やり方次第では、人が集まることもあるかもしれない。しかし横渓のバスターミナル一帯は、オリンピックスタジアムというシンボル的な存在がなくなれば、元の山里に戻るのではないか。大会によりソウルと変わらないようになった街並みも、また変わっていくだろう。

 大会期間中、凍っていた川は、今は勢いよく流れている。大会期間中、この川の上で雪像が展示され、普通に歩いていたことを考えると、この地域の冬の寒さを改めて感じる。

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 横渓のバスターミナルから一旦江陵に戻るつもりでいたが、私がバスターミナルに着いた時に、東ソウルターミナル行きのバスが来た。KTXより1時間多く時間がかかるが、江陵まで行く時間や、江陵での待ち時間を考えれば、そう変わらないので、バスでソウルに戻ることにした。

 バスは平昌郡内の3か所に停車したが、高齢者が多い乗客は、ほとんどそこで降り、東ソウルまで行く人は、5人ほどだった。KTXの開通で、バスは影響を受けているようだ。

 平昌のオリンピックスタジアムは撤去された。思うところはいろいろあるが、始めから撤去することを前提に作られており、撤去すること自体は、難しいことではない。

 その一方で、アルペン・滑降などの会場になった加里王山は、木を切ってコースを作り、大会が終われば、元に戻すことになっていたが、これは簡単にはいかない。木が切られた山は、この夏の豪雨で、かなり荒れたようだ。

 北朝鮮情勢の変化など、平昌オリンピックは、歴史に残る大会になった。けれども、地元の人にとっては、いい思い出として残るのは、かなり厳しそうだ。

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