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2018年9月25日 (火)

祭りの後②~ソウル五輪から30年―北朝鮮への対抗から融和へ

 30年前の917日、ソウルオリンピックの開会式が行われた。秋、しかもアメリカのゴールデンタイムに合わせる意味があったとはいえ、昼間に開会式が行われたことに、時代の変化を感じる。

 ソウルの中心部・光化門の近くにあるソウル歴史博物館では、「88オリンピックとソウル」という特別展が行われている(1014日まで。入場無料)。先日、韓国に行った折に見てきたが、なかなか見応えがあった。

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 展示は、招致過程から始まる。その最初の項目が、1970年のアジア大会の招致成功と返上であった。1966年にタイのバンコクで開催されたアジア大会において、次期大会の開催都市がソウルに決まった。

 しかし、韓国最初の総合スポーツ大会になるはずであった70年のアジア大会開催は、経済発展を優先させる朴正熙政権に却下され、安保情勢の不安定さを理由に返上している。この返上によって、韓国のスポーツ界は信頼を失い、88年のオリンピック招致活動にも影響を及ぼした。その意味でも、展示の最初に持ってきたのは、正しい認識だと思う。

 その後オリンピック招致の話が出ては消えたが、最後は全斗煥大統領の指示により進められたことが、当時の業務推進日誌などから明かされている。

 またこの特別展では、オリンピック開催とソウルの街の変化も展示されている。韓国発展の象徴でもあるソウルの江南地域は、70年代までは農村であった。当時の映像で、「江北の人たちの糞を蒔いて農業を行い」という字幕は、インパクトがあった。

 70年代までは漢江の北側に人が集まっていたが、都市機能として限界に達していた。漢江の南側に人を移動させるため、高校の学区制導入し、有名高校を江南地域へ移転させた。それと同時に、オリンピック開催が、江南発展の決定的な契機になった。

 この特別展は、必ずしもソウルオリンピック大成功といったイケイケのトーンだけではない。現在のソウル市長が進歩(革新)系ということもあるのかもしれないが、負の側面もしっかり紹介している。

 ソウルオリンピックの聖火リレーが通るというだけで、沿道にあったバラックの家は取り壊され、住む家を失った都市の困窮民は、古代人のように、穴を掘って暮らすという映像も紹介されている。オリンピックは、ソウルの街の景観を一変させた。

 さて、ソウルオリンピックで使われた競技場であるが、柔道会場であった奬忠体育館のように、建て替えられたものもあれば、体操競技場のように、K-POP公演場として、用途変更したものもある。その競技の競技施設として、現在も有効に活用されているのは、野球場くらいではないか。その野球場も現在、移転、建て替えの話が持ち上がっている。

 メインスタジアムは、現在も健在である。しかし2002年のワールドカップ開催により、サッカーの国際試合は主にワールドカップ競技場に持っていかれ、陸上競技場としても、ワールドカップの会場であり、世界陸上も開催された大邱などが担うようになった。

 2013年にサッカーの東アジア選手権の会場の一つになったり、Kリーグの下部リーグのホームに使われたりしたが、約7万人を収容する競技場の規模に合った利用は、ほとんどされていない。

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 ソウルオリンピックの開会式では、鳩が焼死して話題になった聖火台であるが、あの時以来、聖火は点火していない。来年、第100回全国体育大会(日本の国体に相当)がソウルで開催されることを契機に、あの聖火台に31年ぶりに火が灯るという。そのための点検作業が行われたことが、韓国メディアで報じられた。陸上競技のトラックの内側にあり、使い勝手の悪い聖火台ではあるが、あの時以来使われていなかったというのは、言われてみれば確かにそうだが、驚きである。

 ソウルオリンピックは、韓国を様々な面で変えたし、ソウルオリンピック後、民主化が進み、本格的な地方自治が始まったことで、国威発揚に町おこしも相まって、次々と国際スポーツ大会を招致するきっかけになった。

 ソウルオリンピックは、北朝鮮にも変化をもたらした。1960年代、北朝鮮が国際スポーツ大会に本格的に参加し始めると、国家体制の優劣を激しく競い合ってきた韓国は、スポーツの強化に本格的に乗り出す。

 60年代にナショナルトレーニングセンターなどインフラが整備され、70年代には、メダリストの兵役免除や年金など、いわゆるニンジン政策が推進された。

 80年代、スポーツにおいても韓国が対北朝鮮で優位であることは動かなくなった。外交的には、共産圏の中国やソ連がソウルオリンピックに参加したことで、北朝鮮は孤立感を深めることになる。北朝鮮はソウルオリンピックに対し、様々な妨害工作も行っている。

 30年の歳月が流れ、北朝鮮との融和を推し進める現在の文在寅政権にとって、スポーツは、北朝鮮に接近するための有効な手段になっている。先の南北首脳会談では共同声明で、「2032年の夏季オリンピックの共同開催招致に協力」という一文が盛り込まれた。これにIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長も、歓迎の意を表明している。

 ソウルと平壌のオリンピック共同開催が実現すれば、画期的なことだし、それが首脳同士の共同声明に盛り込まれた意味も大きい。

 しかし14年後北朝鮮がどうなっているかなど、誰も分からないし、韓国の状況も流動的だ。実際に招致活動を行うにしても、具体的なことは、韓国の次期政権ということになる。

 それまでに個別競技のアジアや世界選手権を開催して、選手、役員、大会人員、観客、メディアの受け入れや、現地での行動の自由がどこまで認められるかなど、開催能力と本気度を点検する必要がある。

 かつて、スポーツが代理戦争の様相を呈したことを考えれば、スポーツで交流が広がることは、好ましいことだ。ただその一方で、交流の名のもとに、スポーツが政治に振り回されることは、あってはならない。

 

 

 

 

 

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