ムラ社会の論理がもたらす日韓のスポーツ界の病理
韓国のスポーツと長年関わってきて、うんざりすることが、いくつかある。
一つは手段を選ばない勝利至上主義だ。アマチュアの大会でも、審判に金銭を渡したという話をよく聞く。
次に挙げられるのが、極端な派閥主義やパワハラである。柔道であれば、かつては大韓柔道学校という校名であった龍仁大学が、絶対的な権力を握っており、他大学の出身者は代表選考などで、不利な扱いを受けてきた。ある柔道家は、党派争いを描いている韓国の歴史ドラマを指して、「そっくりだ」と語っていた。
平昌五輪で問題になったスケートのパシュート競技の置き去り問題も、根底には派閥争いに派生するパワハラがあった。
韓国は70年代以降、スポーツ立国の名の下に、選手強化を図り、その手段として、報奨金などによる、いわゆるニンジン政策をとった。ニンジンは利権となり、派閥争いをさらに深刻なものにした。
それから、暴力である。かつては試合会場などで、負けた選手が監督やコーチにボコボコにされるということもあった。SNSの普及により、最近では人目のあるところでの暴力は減ったようだが、暴力自体がなくなったわけではなく、平昌五輪の前には、女子のショートトラックの金メダリストも指導者の暴力にあっている。
さらに、サッカーの試合などでは、相手が負傷してもお構いなしのラフプレーがよく問題になる。特に試合の趨勢が決まった後や、審判の判定が信用できないと考えた時などは、急に荒れることがある。
指導者や先輩などによる暴力事件をはじめとして、日本でも似たような問題は昔からあるものの、まだましだと思っていたが、このところ起きたこと、発覚したことをみると、そうとも言えなくなってきた。
さすがに、審判の買収事件のようなことは発生していない。しかし、1月に発覚したカヌーの禁止薬物の混入事件は、日本でもこんな事件が起きるようになったかと、驚きを禁じ得なかった。2020年の東京五輪に関心が集まる中、日本のスポーツ界ももはや、性善説では成り立たなくなっていることを感じさせられた。
そして、伊調馨の処遇を巡り発覚した女子レスリングのパワハラ問題。女子レスリングでは至学館大学があまりに力を持っているため、韓国柔道の龍仁大学のような存在になりつつある。龍仁大学は、パワーを持ちすぎるための弊害を指摘されながらも、実際に強いのは確かだし、実績も残してきたので、問題がそれほど大きくならなかった。
女子レスリングの至学館大学はさらに実績を残しており、レスリング界には栄和人監督を擁護するような動きもある。しかし、権力の集中は様々な弊害を生む。既に代表選考などで疑惑を持たれている案件もある。結果を残せば許されるということにはならない。
そして、この1カ月世間を賑わせている、日大アメフトの悪質タックル問題である。
韓国でも悪質で、危険なタックルなどを数多く見てきたが、今回のように、試合開始早々、プレーに絡んでいない選手をタックルするなど、見たことがない。
選手と監督・コーチの認識の乖離などではなく、監督・コーチの指示があったのだろうが、スポーツの常識からみて、何を考えているのか分からない。
相手のQBを潰せば、冬の甲子園ボウルで有利と思ったようだが、試合が盛り上がってこそ、大学としても宣伝効果が大きい。主力を負傷させて勝っても、後ろめたさが残るだけではないか。
それに春のこの時期は、相手チームの分析が重要なはずである。主戦のQBには、少しでも長い時間プレーしてもらった方が、データの蓄積になるはずだが。
しかも少子化の今日、野球などでも、競技人口の減少は深刻な問題になっており、対策に頭を抱えている。そうした状況で、日本のアメリカンフットボールを長くリードしてきた日大が、自分たちの狭い世界のことしか考えていないことは、日本のアメリカンフットボールにとって、不幸なことである。
韓国のスポーツ界で不祥事が多い理由として、狭いムラ社会の論理に凝り固まっていることにある。競技の普及の重要性は言われてはいるものの、少数のエリート主義で、底辺を広げることにさほど熱心ではない。広い社会を意識しないことが、不正が起きる土壌を作っている。
今回のアメフトの一件では、アメフトの問題が、ここまで世間から注目されると思っていなかったのだろう。しかも今回はムラ社会の論理の中心が、スポーツ界よりも、大学の権力構造であることが、問題を複雑かつ、不快なものにさせている。
それに韓国は、年功序列、上下関係にこだわりが強い。最低限の礼節としては大切かもしれないが、絶対視されるとパワハラの原因になる。同様の傾向が、日本にあることも否めない。
今回、日大のアメフト部の事件で、選手を追い込むような指導が、いまだに行われていることに、少々驚いた。
私は高校野球の取材を多くしているが、追い込んだり、叱りつけたりする指導が、効果がないことは、今の指導者はよく知っている。真面目だけど、すぐにシュンとしてしまう今の若者をどう指導すればいいか、多くの指導者が悩んでいる。
少なくとも過去の成功体験だけで、上から押し付けるような指導では通用しないことは、日本も韓国も同じである。そして、日ごろ注目されていなくても、何かの拍子に問題があっという間に広まるのが、今日のネット社会である。
五輪の開催地は今年の平昌に始まり、2年後の東京、4年後の北京と続き、東アジアがスポーツの中心になっている。しかし、この核となる日本と韓国は、ムラ社会の論理が、様々な弊害を招いている。
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