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2018年2月25日 (日)

北風をおいやった五輪の力

 平昌五輪も間もなく終わろうとしている。開幕前の1カ月余り、話題の中心は北朝鮮であり、「平壌五輪」と揶揄される状況だった。

 北朝鮮との融和を図りたいが、核問題などで思うようにいかない文在寅政権にとっても、国際的な孤立を深める北朝鮮にとっても、平昌五輪は融和ムードを演出する絶好の機会であり、この際、できることは何でもしようとばかりに、風呂敷を目一杯広げた感じだった。

 それに対して、韓国の保守勢力の反発は強く、北朝鮮の国旗が燃やされたりもした。反発した北朝鮮側は、五輪参加の取りやめを示唆することもあった。同じような状況で、結局北朝鮮に振り回されることになった2003年の大邱ユニバーシアード大会の二の舞いになるのではないかと懸念したが、やはりオリンピックはアジア大会やユニバーシアードとは違う。今回は心配したほどのことはなかった。オリンピックに向けて起きた北風であったが、オリンピックの力は、北風が好き放題に吹き荒れることを許さなかった。

 平昌五輪が始まった頃、韓国メディアの話題の中心は、金正恩の妹・金与正であった。それでも大会2日目である10日に男子ショートトラックの林孝峻が韓国最初の金メダルを獲得すると、国民の関心は徐々に競技の方に移り、三池淵管弦楽団のソウル公演が終わり、金与正が北に戻ると、ようやくオリンピック本来の熱気がみられるようになった。

 冬季スポーツの多くは韓国人にとって馴染みが薄く、盛り上がりが懸念された。強風の影響を受けたり、空席の目立つ種目もあったりしたが、それでも現場では、オリンピック独特の雰囲気を感じることができた。

 そうした雰囲気を作ったのは、日本のほか、カナダ、アメリカ、ドイツ、オランダなど、世界各地から集まった応援の人たちと、4年に一度の大勝負に限界を超える死闘を繰り広げた選手たちであった。

 一方、金与正をはじめとする代表団、三池淵管弦楽団、テコンドー演武団などが相次いで北に戻ると、北朝鮮関係で残るのは、選手と応援団だけになった。

 選手団の中で存在を示したのは、実力で出場権を得ていてフィギュアスケート・ペアのリョム・テオク、キム・ジュシク組くらいで、あとは世界との力の差があり過ぎた。

 男子ショートトラックのチョン・グァンボムは、渡辺啓太を故意に妨害した疑惑を持たれている。映像を観た限りでは、確かにそう感じるが、真相は分からない。ただ一つはっきり言えることは、北朝鮮の選手は、オリンピックで競うだけの実力も技術もなかったということだ。

 韓国に来て、本番のリンクでの最初の練習で、北朝鮮の別の選手がコーナーを回り切れず負傷しているのもその表れだ。

 注目された女子アイスホッケーの南北合同チームに関しては、全敗に終わったが、だいたい実力通りの結果だったと思う。しかしながら、男女のアイスホッケーは、韓国としては珍しく、協会の一貫した支援の下、4年余りの間に確実に力をつけていただけに、大会前に政治が介入してきたことに、無念さもあっただろう。それでも合流した北朝鮮の選手は、最先端のアイスホッケーを学ぼうと一生懸命であったし、カナダ人のマリー監督もそれに応え、韓国選手も受け入れることで、チームは成り立った。

 とはいえ、本番の1カ月前に政治主導で合同チームが決まることなど、今後はあってはならない。また、韓国と北朝鮮の人が自由に接触できない以上、女子アイスホッケーの交流が今後も地道に続くように力添えするのは、政治の役目である。

 応援団に関しては、これまでも指摘してきたように、もともと応援スタイルが冬季スポーツに合わない。アルペンスキーの会場の、サンタクロースのような赤い服を着て、全員サングラスをした集団は、かなり異様であった。

 競技の流れに関係なく、「我々は一つだ」と叫ぶことは、南北の融和を求める人の中には心に響くのかもしれないが、真剣勝負の場にあっては、邪魔でしかない。

 それにしても今回の応援団、「美女軍団」と言われた過去のメンバーに比べると、随分見劣りした。根拠はないが、今回は金与正と三池淵管弦楽団の玄松月団長以上に目立ってはならないという、忖度があったのではないかという感じすらある。

 三池淵管弦楽団のソウル公演では、玄団長が舞台に上がり歌い出す前に、風邪でのどの調子が悪いとことわったうえで、「団長のプライドもあるので、先に歌った歌手よりちょっと大きく拍手してほしい」と語りかけている。冗談ぽい口調ではあったが、かなりのプライドである。

 応援団の方は、応援する競技も限られているので、オリンピックプラザや観光地などで、公演活動をすることになる。場所によっては、好評だったようである。けれども三池淵管弦楽団に比べると格下感は否めず、見る人の感想も、「何か珍しいね」といった程度のものだったようだ。

 平昌五輪を招致した段階から、韓国の人たち、特に政治家は、競技そのものにはあまり関心がなかったように思われる。しかし、オリンピックの中心にいるのは、アスリートである。

 ライバルである小平奈緒と李相花の友情物語に代表されるように、真剣勝負の中から生まれる交流こそ、本当の意味でのオリンピック精神であると思う。そうしたドラマが、多くの人を感動させた。

 閉会式を控え、またしても政治が表に出始めた。スポーツの感動が汚されぬよう、節度を持つことこそが、開催国の政治家の務めではないだろうか。

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