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2016年7月 1日 (金)

ソウル五輪、ボクシング会場の行方

 以前このブログでも書いた、韓国でヒットした話題のドラマ『応答せよ1988』が6月15日からCSのMnetで放送が始まり、日本でも見れるようになった。このドラマは、いわば韓国版の「三丁目の夕日」。社会はまだまだ混乱しているし、いろんな面で遅れているが、人情があり、活力があった時代だ。私は留学時代も含め、長年韓国をみているが、80年代終盤から90年代初めにかけてが、様々な意味で、一番面白い時代であったと思う。ドラマのBGMで流れる当時の歌は、作り込まれた今の歌に比べ、緩い感じはあるものの、歌詞が大事にされ、心に響く。

 ドラマは、ソウル五輪開幕をまじかに控えた、ソウル北東部の町・双門洞から始まる。主人公の女子高生、ソン・ドクソンは、ソウル五輪の開会式で、マダガスカル選手団のプラカードを持つことになっていたが、大会直前になって不参加を表明(北朝鮮との関係を意識したもの)。ドクソンは、急遽ウガンダ選手団のプレカードを持つことになった。

 開会式後、ドクソンが家に持ち帰った袋の中には、ウガンダ選手団などからもらった記念品が詰め込まれていたが、かわいそうだから、と持ち帰った、焼け焦げた鳩の死骸も入っていた。

 ソウル五輪は軍事政権の暗いイメージがあった韓国のイメージを一新し、発展の起爆剤になった。しかしその中でいくつか、ネガティブな出来事もあった。その一つが、開会式での聖火点火による、鳩の焼死事件がある。

 私はサッカーの国際試合などで何度も、蚕室のメインスタジアムに入ったことがあるが、あの聖火台を見るたびに、鳩が焼死した場面が思い出された。鳩を放すのを、聖火が点火された後にすれば良かったのだが、五輪旗が掲揚されてすぐに放したため、かなりの鳩が犠牲になった。その後の五輪の開会式では、本物の鳩は放さなくなったのだから、ある面では、歴史的な出来事である。

 それとボクシングでは、2度ネガティブな場面があった。

 まずは2回戦で韓国の選手が負けると、コーチがリングに上がり、審判に詰め寄り、乱闘騒ぎになった。しかもまだ他の試合は予定されるのに、場内の照明が消されるという騒ぎになった。

 さらにはライトミドル級の決勝で、アメリカの選手が圧倒的に優勢であったが、勝ったのは韓国の選手であった。これはソウル五輪の汚点として残った。当時の大韓体育会の幹部も、「我が国はソウル五輪で金メダルを12個取りましたが、1個はインチキですね」と語っていた。

 韓国としては、あまりいい記憶でないが、ソウル五輪で注目されたボクシング会場が、ソウル・蚕室の総合運動場の中にある、学生体育館である。今日その学生体育館を巡り、周辺部を含めた再開発により、移転を求めるソウル市と、この体育館の所有者で、この場所での存続を求めるソウル市教育庁の間で対立しているという記事が、韓国の東亜日報で報じられた。

 学生体育館が完成したのは、1977年。西隣の野球場が82年、北側にあるメインスタジアムが84年なので、蚕室総合運動場のスポーツ施設の先駆けとなる。

 1970年代、漢江の南側(江南地区)は、農村地帯であった。その一方で、北側のエリアは、地方から流入する人々で、飽和状態になっていた。都市機能を分散させるため、名門高校の多くやバスターミナルなどを南側に移転させた。スポーツ施設の建設も、その一環であり、当初はアジア大会の開催を想定していた。

 国際的なスポーツ大会を開催するには、サブトラックや駐車場といった付属施設も含め、広い土地が必要になる。となると、まだ開発の手が伸びていない所が好都合である。そして国際スポーツ大会を開催すれば、道路などのインフラも整備され、街全体の開発が進む。

 この発想は、2002年のサッカーワールドカップでも、採り入れられた。かつてはゴミの埋め立て地で、「捨てられた土地」と呼ばれていた北西部の上岩洞地区は、ワールドカップの開会式などが行われたスタジアムの完成で再開発が進み、今ではデジタルメディアシティ―として、ソウルの中でも、先端を行く街として、注目されている。

 ソウル五輪後、ソウルのビジネスの中心は、江南地区に移った。そのうち、サムスンの本社が移った江南駅周辺は、既に飽和状態になっている。そうした中ソウル市は、地下鉄2号線で総合運動場の隣駅で、貿易センタービルやコンベンションセンターのCOEXのある三成洞の地下に、首都圏高速鉄道や地下鉄の駅に、バスターミナルなどの入った巨大都市を作る計画がある。

 その流れで、総合運動場も再開発され、メインスタジアムは歴史的な建造物として保存されるものの、野球場はメインスタジアムのサブトラックの場所に移転。学生体育館は撤去し、そこに新たなコンベンションセンターを作るというのだ。

 開発されていない地域を開発するのに、スポーツ施設は好都合であるが、地域が発展し、さらにコンベンションセンターやショッピングセンターを作ろうとすれば、まとまった土地があるのはスポーツ施設であり、そこが狙われるというのも、皮肉な話である。

 学生体育館を撤去すると言っても、代替地は決まっておらず、そのため、再開発をすすめるソウル市と、体育館の所有者である教育庁が対立しているというわけだ。

 再開発計画自体、バブリーな感じがしないでもないが、そのことは置いておこう。ただスポーツ施設の行方は、スポーツライターとして、気になる。

 私はソウルで留学していた1993年から94年、冬場はよく学生体育館に通った。当時韓国は、冬のスポーツの華はバスケットボールであった。日本のアニメ『スラムダンク』の影響で、韓国ではバスケットボールブームが起き、さらにこの時期放送された韓流スター、チャン・ドンゴンの出世作のドラマ『最後の勝負(邦題・ファイナルジャンプ)』により、ブームは最高潮に達していた。

 特に、今でも「永遠のオッパ(お兄さん)」として人気があるイ・サンミンら、イケメンの選手が多く、実業団のチームも含めた総合大会で優勝するなど、実力もあった延世大学の人気はものすごく、「オッパ部隊」と呼ばれる、追っかけの女性が殺到した。『応答せよ1988』の前作である『応答せよ1994』の主人公である女子大生も、イ・サンミンの熱心な追っかけという設定であった。

 こうしたバスケットボールのメイン会場が学生体育館であった。延世大学の試合のある日は、冬の寒い中、試合開始の何時間も前から長蛇の列ができ、切符が売り切れることも珍しくなかった。

 この熱気がプロバスケットボールの誕生につながり、今でも男子プロリーグ・ソウルSKのホームになっている。

 スポーツ施設の撤去は、そうした歴史や思い出も一緒に壊すことになる。しかも、代替施設の建設は容易でないだろう。

 2007年、韓国の高校野球の中心地であった東大門野球場は、今日のデザインプラザ建設のため、撤去された。その後、客席がほとんどない、いわゆる簡易球場はすぐにできたが、本当の意味でも代替施設は、昨年秋のドーム球場完成を待たなければならなかった。その間、既に人気が下火であった韓国の高校野球は、さらに関心が低下した。

 こうしたことは、何も韓国だけの話ではない。東京の国立競技場は、サヨナライベントから2年経っても更地のままだ。さすがにこれは、国の威信にかけても、完成させるだろうが、駐車場にするため取り壊すという話のある秩父宮ラグビー場はどうだろうか。

 もちろん、施設の老朽化など、考えるべき点は多くあるにしても、歴史のあるスポーツ施設を、どう保存し、どう取り壊すかということは、その国のスポーツ文化に対する認識が問われる問題である。

 

 

 

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