2018年5月11日 (金)

金星根、SBコーチングアドバイザーのホークスとの縁

「今季ソフトバンクに加わった金星根さん(75)も新しい挑戦を始めた。韓国球界では『野神(野球の神様)』と呼ばれる名指導者だ」

 430日付の「朝日新聞」の「天声人語」でその名を見た時、ついに「天声人語」にまで登場するようになったかと、正直驚いた。活字離れが進む今日、かつてほどの権威はないかもしれないが、「天声人語」と言えば、中学生や高校生が文章の手本として必死に書き写した、名物コラムである。

 韓国のプロ野球で歴代2位となる監督通算1372勝を挙げた金星根氏が、今年からソフトバンクのコーチングアドバイザーに就任したことに関する文章であった。

 私が初めて金星根氏に会ったのは、19年前のことだ。当時はサンバンウルという、やがて解体されることになる超貧乏球団の監督であった。エースや4番打者を金銭トレードで出して運営資金を賄う状況でも、やり繰りしながら、しっかり結果を出していた。

 20070810年の3回、SKの監督として優勝しているが、金星根氏のすごさは、弱小チームを上位に引き上げる手腕にある。

 京都出身の金星根氏は、選手起用や戦術がかなり細かい。そうした野球を韓国のメディアなどで、「チョッパリ(日本人の蔑称)野球」と非難されることもあった。

 それでもチームは強くなるから、成績が振るわないチームは、金星根氏を呼ぶ。しかし結果が出てくると、親会社である財閥の幹部が現場に介入してくるから、対立するの繰り返しで、球団を転々とした。

 私は『韓国野球の源流』(新幹社)の取材などで、何度も金星根氏に会ったことがあるが、よく「勝負をする人間は、いつも崖っぷちや」という言葉を口にしていた。

 空気を読んで権限のある人に従えば、気持ち的には楽に生きられたかもしれない。けれども、結果が出なければ解任されるのがプロの世界である。それなら、ぶつかっても信念を貫くというのが、金星根氏の生き方であった。

 少なくとも韓国で、2000年以前にプロ野球に入った人で、金星根氏の指導を全く受けていないという人は、そう多くない。ドジャースなどで活躍した朴賛浩氏も、オフには金星根氏の指導を仰いでいた。

 そんな金星根氏の野球理論の原点は、テスト生として参加した1961年の南海のキャンプにある。

 金星根氏が在学していた頃の京都の桂高校は、甲子園は遠く、在日韓国人ゆえに当時は大企業への就職は絶望的であり、中小企業で細々と野球をしていた。

 現役時代は投手であったが、南海のキャンプでは、投手としての腕の振り方など、野球の基礎を習い、トレーニングのやり方のなども教わった。結局南海に入団することはできなかったが、この時教わったことが、野球の知識の土台となった。

 南海キャンプに参加した1961年、金星根氏は祖国の実業団でプレーする在日韓国人の先輩に呼ばれて韓国に行く。この年の秋、解放後日本の野球チームとして初めて訪韓した新三菱重工名古屋との試合で好投し、韓国代表に選ばれる。翌年台湾で開催されたアジア野球選手権では、韓国代表のエースとして活躍した。 

 ただ当時はまだ、日韓の国交が正常化していなかった。64年の秋、在日としての立場を維持するために必要な日本への再入国許可が下りないまま、母親ら家族の反対を押し切り、韓国に向かった。

 ところがその後すぐに肩や肘を痛める。そして言葉も流暢に話せない祖国で生き抜くため、野球の指導者の道を歩んだ。

 監督やコーチとして在籍した韓国のプロ野球チームだけでも8球団。他にも千葉ロッテのコーチや、韓国のプロ野球機構に属さない独立球団(高陽ワンダラーズ)の監督も務めた。

 韓国で暮らして半世紀以上の歳月が流れ、今度はソフトバンクのコーチを指導するコーチングアドバイザーという、これまでない新しい立場で、日本のプロ野球で活動することになった。南海からソフトバンク。本拠地が大阪から福岡に変わっても、同じホークスである。

 入団はかなわなかったが、ホークスのキャンプで身につけた知識を基に韓国での野球生活を始め、祖国で生きていくために必死になって磨きをかけ、積み上げてきた野球の知識や哲学を携えて、ホークスに入る。

 金星根氏の波乱の野球人生を考えれば、75歳の年齢であっても、野球人生の新たな章が待っているのかもしれない。それでも、最終章に極めて近い段階でホークスに関わるというのも、何かの縁であろう。

 金星根氏が半世紀以上の歳月を経て培った経験が、今のホークスにどのような変化をもたらすか、注目したい。

 

2018年5月 5日 (土)

強引過ぎた女子卓球・南北合同チーム

 5月4日に行われた卓球の世界選手権、女子団体の準決勝、日本対南北合同チーム「コリア」の一戦の中の、石川佳純と北朝鮮のキム・ソンイの試合は、手に汗握る熱戦であった。最終第5ゲームの終盤、3回ものエッジボールで失点する不運にもかかわらず、盛り返して勝利した、石川の精神力は見事だった。

 準々決勝の韓国・北朝鮮戦を行わず、急遽結成された南北合同チームは、コリアオールスターチームと言っていい。中国から帰化した韓国の新エース・田志希、2009年に15歳で韓国代表に選ばれた梁夏銀に、北朝鮮のキム・ソンイが加わった。

 もし準々決勝で南北対決があり、韓国が勝っていたら、キムの位置には長く韓国代表のエースとして活躍した徐孝元が入っただろう。キムも徐も、日本が苦手とするカットマン型の選手だ。それでもキムの方が、攻撃力があるだけに、日本としては嫌な相手だったはずだ。

 卓球の南北合同チームといえば、91年の千葉で開催された世界選手権での、女子団体の優勝を思い出す。緊張が続く韓国と北朝鮮が一つになり、強豪・中国を破っての優勝は、スポーツの枠を超え、多くの人を感動させた。

 金大中、盧武鉉大統領の「太陽政策」により、南北融和ムードが高まった00年代前半にも、統一チームを結成するなら卓球ではないかということで、統一チーム結成を希望する声が多くあった。

 卓球、特に女子の卓球で南北合同チームを結成しやすいのは、韓国と北朝鮮で力の差がそれほどないうえに、ともに世界の上位にあること。しかも91年の世界選手権には団体戦にもダブルスがあったが、現在はシングルスのみなので、チームプレーをさほど考慮しなくてもいいということがある。

 さらに韓国の梁夏銀、徐孝元、北朝鮮のキム・ソンイなどトップクラスの選手は、国際大会でしばしば会っており、顔なじみであることも、合同チーム結成には有利である。

 ただそうであるにしても、今回の合同チーム結成はあまりに強引であり、問題が多い。

 そもそも今回の合同チームは、準々決勝でたまたま南北対決が組まれたために生じた、偶然の産物でもある。準々決勝はメダルがかかった重要な試合であり、各国とも体力を消耗し、手の内をさらすことにもなる。韓国は合同チームを結成することで、1次リーグを1位通過した段階でメダル確定ということになる。

 言語や文化が異なる人たちが集まって行われる国際大会は、公平、公正の原則に基づいた、ルールや大会規定を守ることで運営されている。

 南北融和の雰囲気を大事にしたいというのであれば、今回のケースでは、まず韓国と北朝鮮がしっかり試合をする。そのうえで敗者は勝者を民族の代表として、次の試合はスタンドから勝者を応援するということが最も相応しいのではないか。

 今回の南北合同チームは、427日のいわゆる「板門店宣言」で、国際競技に韓国と北朝鮮が共同で参加することが盛り込まれたことに起因するという。確かに首脳同士の合意の意味は大きい。そして「板門店宣言」から、大会まで時間がなかったのも確かだ。

 しかし平昌五輪以後、南北の融和ムードが高まり、韓国のアイドルグループなども含めた芸術団の平壌公演も行われている。世界選手権の開幕前に、合同チームに向けて話し合う時間は十分にあったはずだし、合同チーム結成の障害は、平昌五輪の女子アイスホッケーより、はるかに少ないはずだ。もし大会が始まる前に南北合同チーム結成されていたら、受け取り方はかなり違ったのではないか。

 南北のトップが会談をし、芸術団の相互訪問が行われるようになったといっても、実際に韓国と北朝鮮が交流できることは限られている。それだけに、南北が力を合わせて試合をする合同チームは、意味があると思う。しかしそれが本当に意味を持つためには、世界の人たち、特に大会に参加するアスリートから受け入れられるものでないといけない。強引なやり方は、合同チームへの拒否感を引き起こす可能性がある。

 合同チームは特例だけに、しっかりと筋を通すことが重要である。

 

2018年4月26日 (木)

国際試合では韓国人、国内試合では外国人のバスケ帰化選手

 韓国のバスケットボール界は、センターの駒不足が悩みの種であった。そうした不安を解消するため、身長199センチのアメリカ人、リカルド・ラトリフを特別帰化させた。帰化とともに、羅健児(ラ・ゴナ)という韓国名も名乗っている。

 NCAAバスケットボールの名門・ミズーリ大でプレーしたラトリフは、NBAからは声がかからず、2012年に韓国のプロバスケットボール(KBL)の蔚山モービスに入団し、15年からはソウル・サムスンに移籍している。2015年と17年に外国人選手賞を受賞するなど、韓国のプロバスケットボールを代表する外国人選手であった。

 そして今年特別帰化をしたわけだが、特別帰化とは、スポーツなどの分野で特別な才能を有する者に、元の国籍を残したままでの帰化を認める制度で、平昌五輪に出場したアイスホッケーの選手なども、この制度を利用して、韓国代表になっている。

 国際大会で好成績を挙げるため、外国人選手を安易に帰化させることに問題があるのは確かだ。ただ卓球では、中国系の選手が世界各地に活動しているように、今のスポーツ界の趨勢になっているのも間違いない。

 帰化した先の国に、ほとんど行ったことがないというケースまである中で、ラトリフの場合、韓国のプロリーグで活動しているのだから、問題は少ない方かもしれない。

 ラトリフは2月にはバスケットボールのワールドカップ・アジア予選に韓国代表として出場している。そして8月にジャカルタで開催されるアジア競技大会にも、韓国代表で出場する見込みだ。

 ところが423日、韓国・KBSの午後9時のニュースで、耳を疑う報道があった。韓国人になったはずのラトリフが、韓国のプロリーグでは外国人選手扱いされるというのだ。KBLでは、各チーム外国人選手は2人保有で、2人同時に試合に出ることはできない。したがって、ラトリフの出場機会も制限されるということだ。

 KBSの取材に対して、KBLの事務総長も矛盾を認めている。しかし、ラトリフが一般の韓国人選手と同じように活動することで、チーム間の戦力不均衡が生じることを防ぐための苦肉の策ということだ。

 けれども国際試合では、その実力を発揮することで、韓国チームの強化を図り、国内では、その実力ゆえに外国人扱いして、活動の場を制限するというのは、あまりに自分勝手なご都合主義ではないか。

 もちろん逆のケースで、外国籍であっても、永住者や長期在留者に関して、国内リーグでは外国人選手扱いをしないということはあるだろう。日本のプロ野球では、留学生も含め、日本の学校を卒業した者は、外国人選手扱いしないことになっている。

 しかし今回のように、国際試合では韓国人、韓国内の試合では外国人扱いというのは、かなり問題がある。最近はあまり言わなくなったが、韓国では外国人選手のことを「傭兵」という。国際試合だけ韓国人になるのであれば、まさに「傭兵」ではないか。国際試合で韓国人なら、韓国内でも当然韓国人だろう。

 日本も韓国も少子高齢化が急速に進んでいる。人口の減少が確実な中で、かつては「単一民族」であることにこだわってきた韓国は今、「多文化社会」に舵を切っている。けれども、多文化社会への移行の必要性は感じていても、受け入れに抵抗があったり、外国出身者への差別があったりするのが実情である。

 外国人をどう受け入れるのか。帰化選手の活動が進むスポーツは、韓国社会の先行指標でもある。

2018年4月12日 (木)

韓国で二刀流は出現するか?

 エンゼルス・大谷翔平のメジャーリーグでの活躍は、韓国でも大々的に報じられている。大谷の名が韓国で最初に知られたのは、花巻東高校時代の2012年、ソウルで開催されたU18ワールドカップに日本代表として参加した時だった。この時は、投手としては調整不足で、もっぱら野手・大谷としての注目であった。

 日本ハム球団が、高校から即アメリカに行くことを希望していた大谷を説得する材料に、同じように高校からアメリカに行った韓国選手の失敗事例を用いた話もよく知られている。そして、日本ハムでの二刀流の活躍にも、韓国では高い関心が持たれていた。

 今年韓国プロ野球のktに入団した姜白虎は、打者としての素質が評価される一方で、150キロもの速球を投げることから、二刀流の起用も検討されていた。

 投打の二刀流は、韓国では「投打兼業」と表現されるが、この「投打兼業プロジェクト」には、「投手と打者では使う筋肉が完全に違う」などの理由から、否定的な意見も多く、結局外野手としてスタートした。

 姜はこの春、高卒ルーキーながら、開幕戦の初打席でいきなり本塁打を放った。これは高卒新人で韓国プロ野球最初のことである。

 身長184センチ、体重98キロと上体筋肉質の体は、やはり二刀流よりも、打者に専念した方がいいように思う。

 2015年に大阪、兵庫で開催されたU18ワールドカップの韓国代表には、二刀流の選手がいた。現在NC所属の朴俊泳は、遊撃手である一方で、150キロ近い速球を投げ、投手としても活躍していた。当時既にNCに投手として指名されていたが、本人に二刀流について聞くと「僕には無理です」と言い、大谷については、「あの人は天才です」と語っていた。

 朴はプロ入り後、肘を痛めて手術し、野手に転向した。現在手術のリハビリ期間でもあり、その間に入隊し、兵役問題を解決するという。

 韓国を代表するホームラン打者である李承燁は、高校時代は投手として有名であった。肘を痛めたため打者に専念したが、サムスンに入団した95年の秋に監督に就任した白仁天から、「ギャラを倍にするから、投手もやってみないか」と言われたという。日本のプロ野球でも活躍した白が、サムスンの監督に就任した頃には肘の状態も良くなっており、いい回転の球を投げていたが、「断られたよ」と、かなり前に白は語った。

 2009年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本打線を苦しめた奉重根(LG)は、高校時代は打者としての評価が高かった。高校からアメリカに渡り、投手に専念した。それでも、2009年のWBCの後、本人に聞くと、「打者としてやりたい気持ちもありますよ」と答えていた。高校時代にイチローに憧れ、背番号は今も51番だ。

 レンジャーズの外野手として活躍している秋信守は、高校時代は韓国の高校球界を代表する投手であった。アメリカに行かなかったら、投手としてプレーしていたはずだ。

 韓国プロ野球草創期のホームラン打者で、ヘテ(現KIA)の黄金時代の中心メンバーである金城漢は、プロ野球元年の1982年に本塁打13本で、投手としても10勝している。金は86年も1試合だけ投げているが、二刀流は、まだアマチュア時代の雰囲気が残っていた最初の数年だけである。

 日本でも、水野雄仁、桑田真澄、松坂大輔など、高校時代は打者としても注目された投手も少なからずいる。韓国に現在二刀流がいないのは当然のことで、大谷は常識を超えた例外中の例外であることは確かだ。では今後は出てくるかと言われれば、大谷の活躍に刺激される野球少年はたくさん出るだろうが、韓国では難しいのではないか。

 韓国では投打の二刀流以上に出現が困難なのは、今年東大から日本ハムに入った宮台康平のような文武の二刀流である。

 今は是正の動きがあるが、韓国ではスポーツをする人は徹底してスポーツだけで、勉強する人は徹底して勉強だけというケースが多い。両立を目指すより、人生の進むべき道に直結した方に集中すべきだという考えだ。

 野球部員でソウル大に入学する人も、いるにはいるが、ニュースになるくらいのレアケースで、選手としてはさほど有名ではない。

 公務員ランナーとして有名な川内優輝にしても、韓国の市民ランナーの憧れの存在ではあっても、専門家はマラソンに専念すれば、もっとすごい選手になるはずだという見方が多い。

 AもBも80点か、Bは捨ててAは90点、のどちらかを選ぶとすれば、韓国の指導者の多くは、後者を選ぶのではないか。韓国では、バランスよく力をつけるよりも、より上位を目指せる方に集中するべきだという考えが、一般的だからだ。両方できることに意味を見出すよりも、特化した部門でより高いレベルを目指すべきだという発想では二刀流が出現するのは困難で、韓国で二刀流が出るかどうかは、結局指導者次第である。

 

2018年3月28日 (水)

兵役問題で早まったプロ野球の開幕

平昌五輪、パラリンピックが終わったばかりだが、324日、日本やアメリカに先立ち、韓国でプロ野球が開幕した。27日からは、ナイトゲームも始まった。

 今年は韓国も結構暖かいようだが、基本的に、日本に比べて寒い。例年桜の開花も、ソウルは東京より10日ほど遅いことが多い。したがってプロ野球の開幕も、日本と同時期か遅い。韓国にはドーム球場は一つだけ。例年だと、体がまだ十分に仕上がっていないこの時期のナイターでは、故障のリスクすらある寒さになることもある。

 それでもこの時期に開幕したのは、今年は8月にインドネシアのジャカルタなどで、アジア大会が開催されるからだ。今シーズンは、アジア大会の期間である816日から93日までは、試合が行われない。首位争い、ポストシーズン進出争いの輪郭がはっきりし、ヤマ場に向けて、盛り上がりをみせる時期に、シーズンを中断することになる。

 韓国のプロ野球が、そこまでアジア大会を重視するのは、兵役の問題がかかっているからだ。現在、スポーツ選手が兵役免除を受けるには、五輪でメダルを獲得するか、アジア大会で優勝するしかない。

 この兵役免除、厳密には、「体育要員」としての服務ということになる。既述したような国威発揚に貢献する結果を残したスポーツ選手に対しては、4週間の軍事訓練と、選手あるいは監督、コーチなど、「体育要員」の資格を得た競技に34カ月従事することで、兵役を終えたとみなすということである。

 かつては、2002年のサッカー・ワールドカップや、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のベスト4でも、兵役は免除されたが、兵役免除に対する社会の目は厳しく、2009年のWBCで準優勝した時は、免除にはならなかった。

 韓国の野球は、2008年の北京五輪で金メダルを獲得し、多くの選手が兵役を免除された。しかしこの大会以後、野球は五輪の競技種目から外された。2年後の東京五輪では復活するので、韓国球界でも期待は大きいが、五輪でメダルを獲得するのは、容易ではない。

 その点アジア大会では、日本は社会人野球の選抜チームで臨むので、プロ主体の韓国とは力の差がある。

 アジア大会でプロも参加できるようになった98年のバンコク大会以後、韓国は2006年のドーハ大会以外、全て優勝している。ただし、2006年のドーハ大会で韓国は、柳賢振(ドジャース),呉昇桓(ブルージェイズ)ら、錚々たるメンバーであったが、当時サムスンの呉昇桓が、日大生であった長野久義(巨人)にサヨナラ本塁打を打たれ敗れている。

 98年のバンコク大会は、当時ドジャースの中心投手であり、国民的な英雄であった朴賛浩の兵役を免除させるための大会であったと言って、過言でない。日本との決勝戦は、韓国が13-1のコールドで圧勝したが、優勝した瞬間、現役メジャーリーガーであった朴が、飛び上がって喜んでいた姿が印象的であった。

 アジア大会の野球では、韓国が優勝の最有力候補であることは間違いないが、露骨に兵役を終えていない選手を中心としたチームを組むと、世論の批判を受けることになる。したがって、兵役を終えていない若手選手は今シーズン、韓国代表に選ばれることに、納得してもらえるだけの力を示す必要がある。

 兵役には、かつてはいろいろな抜け穴があった。90年代半ばまでは防衛兵制度という、服務期間は、移動はできないものの、ホームゲームには出場できる制度があった。

 またスポーツ選手は負傷することが多いので、様々な理由をつけて、兵役を逃れることもあった。そうした口利きの意味もあって、韓国のプロ野球機構であるKBOの初期の総裁には、軍関係の人が多かった。

 政治家や財閥企業の息子に兵役逃れの人が多いなど、兵役問題は、社会の不公平の象徴のような存在となっており、かつてのように、融通を利かすことは難しくなった。それだけに、スポーツ選手としては、アジア大会が非常に大きな意味を持っている。

 ところで今回のアジア大会に出場できるかどうかが注目されているのが、サッカー・プレミアリーグ、トットナムで活躍している孫興民だ。韓国代表の中心選手として、ロシア・ワールドカップでの活躍が期待されている孫であるが、まだ兵役免除の資格を得ていない。

 あり得ない話だが、ワールドカップで仮に韓国が優勝したとしても、孫は兵役を免除されない(世論の動向で変わることもあるが)。兵役を免除されるには、アジア大会にオーバーエイジ枠で出場し、優勝するしかない。

 しかし、アジア大会が開催される時期は、シーズン開幕の重要な時期でもある。しかもワールドカップと違い、所属チームは、選手を代表チームに送り出す義務はない。

 韓国内の選手はプロ野球のように、多少無理をしても日程を調整し、アジア大会に合わせることができるが、海外の選手はそうはいかない。かつては、高校を卒業後メジャー目指してアメリカに行ったものの、兵役問題のために、韓国に戻れなくなったケースもある。

 一足早いプロ野球の開幕は、兵役という、韓国の若いスポーツ選手の厳しい現実を反映したものでもある。

 

2018年3月11日 (日)

緊張緩和の一方で、合同入場はお役御免か?

 39日、平昌パラリンピックが開幕した。前日は大雪で、スタジアムは客席も含め雪に覆われていたが、映像を観る限り、スタジアムもその周辺も、きれいに除雪されていた。土壇場の追い込み作業は、さすが韓国である。

 しかしこの日の話題の中心はパラリンピック開幕よりも、米国のトランプ大統領が、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長との会談に応じるという、ビッグニュースであった。

正月、金正恩委員長が平昌五輪に代表団を派遣することを表明して以来、その後の展開が、あまりに速い。平昌五輪は融和ムードのきっかけであったが、平昌パラリンピックは、融和ムードが保証される期限であった。融和ムードを継続、または前進させるには、パラリンピックが終わるまでに、新たな動きが必要であったが、開会式の日に、事態は想像を超えて動いたということになる。

それにしても、金正恩体制になってから、核やミサイルについても、平昌五輪への代表団派遣などの動きについても、南北首脳会談の合意、米朝首脳会談の道筋をつけた今回の動きにしても、相手の動きも見ながら、慎重にカードを切るよりも、手持ちのカードを一気に切って、自分のペースに持ち込もうとする動きが目立つ。

北朝鮮がそれだけ切羽詰まっているとも言えるが、腰を据えて交渉する堪え性がないようにもみえる。堪え性のなさは、トランプ大統領も似ているだけに、会談には不安もある。朝鮮半島情勢では起伏が激しいことは、よくあることではあるが、融和ムードに向かう矢印が、一気に反対方向に向かうことは避けてもらいたい。

1カ月前の平昌五輪の開会式は、南北の合同入場など、南北融和を強調したものであった。パラリンピックの開会式では、聖火リレーなどで南北融和を演出する場面もあったが、合同入場はなく、韓国も北朝鮮も、それぞれの国旗を持っての入場になった。

一時はパラリンピックでも合同入場が行われると報じたメディアもあったが、北朝鮮側と折り合わなかった。

理由とされるのが、入場の際に掲げるいわゆる「統一旗」のデザインだった。朝鮮半島の地図が描かれた「統一旗」に、北朝鮮側は竹島(韓国名・独島)を描くことを主張したが、受け入れられなかったからだという。

竹島を描くことに関しては、平昌五輪の間も北朝鮮は不満を示していたし、IPC(国際パラリンピック委員会)との話し合いの中でも、重ねて主張していたようだ。

「竹島問題」は理由の一つかもしれないが、平昌五輪の他にも、竹島抜きの「統一旗」で合同入場をしたことはあるだけに、理由の本質でないと、私は思う。

 これまで北朝鮮は、合同入場に関しては、人数をできるだけ揃えることにこだわっていたし、合同チームに関しては、南北が同格であることにこだわっていた。

 しかしながら現在、冬季スポーツで南北の力の差は歴然としている。問題になった女子アイスホッケーの南北合同チームにしても、ベースは韓国代表であり、北朝鮮はプラスαで加わったに過ぎない。これまでなら、拒否反応を示したのではないか。

 けれども、同格にこだわれば合同チームは成立しない。平昌五輪では融和ムードを醸成するため、合同チームが成立することを優先したのではないか。合同入場も似たような事情だったと思う。

 その点パラリンピックの時点では、南北首脳会談が決まり、米朝関係も改善の兆しがみえた。私の想像に過ぎないが、北朝鮮はもはやスポーツの場面で、必要以上に譲歩しなくてもよくなり、韓国選手団の中に組み込まれた形での合同入場より、初の冬季パラリンピックの参加であるだけに、北朝鮮の国旗を掲げての行進を優先させたのではないか。しかも、領土問題を理由にすれば、韓国人の理解を得やすいという側面もある。

 これも平昌五輪の時とは、違った形での政治利用のように思える。

 話は変わるが、平昌五輪で、そり競技ではアジア勢初となる男子スケルトンの尹誠彬の金メダルと、男子ボブスレー4人乗りの韓国の銀メダルは快挙であり、大会を盛り上げた。

 しかしそり競技はパラリンピックにないこともあり、平昌五輪が終わると会場であるスライディングセンターはすぐに閉鎖され、代表選手たちが使用できない状況になっている。

 平昌スライディングセンターができるまでそり競技の選手たちは、陸上でスタート練習をしたり、海外の施設を借りて練習したりしていた。韓国代表の選考競技を、長野五輪の会場である長野スパイラルで行ったこともあった。それだけに自前の施設は、韓国のそり競技界にとっては悲願であった。

 しかし、長野スパイラルが平昌五輪後は製氷を中止し、競技施設としては使用できなくなったように、そり競技場の維持・管理には金がかかる。韓国では平昌スライディングセンターの維持・管理に年間17億ウォン(約17000万円)を見込んでいるが、国も所有者の江原道も費用負担に難色を示している。

 そり競技の会場は、最初から維持・管理が困難だと思われていたが、大会が無事に終われば、すぐにお役御免とばかりに閉鎖されるとは、随分あっさりし過ぎている。

 平昌五輪やパラリンピックでは、スポーツそのものの価値よりも、スポーツの「利用価値」の方が目立ち過ぎているように思う。

 

 

2018年3月 3日 (土)

オリンピックの魔法が解けた後に来る現実

 平昌五輪も幕を閉じた。開会式後の観客の移動、大会前から懸念されていた風、ノロウィルスなど、問題は確かにあった。それでも、招致段階からウォッチしてきた私としては、小さい町がよく頑張ったという印象だ。

 そして何より感じたのは、「オリンピックの魔法」である。開会式の会場近くで保守団体のデモがあるなど、開幕直前まで不穏な雰囲気があった。けれども聖火が灯り、世界各地から来た人が町に溢れると、開催地では不穏な雰囲気はなくなり、盛り上がりに欠けるという大会前の懸念が嘘のように、開催地はオリンピックムードに染まった。

 まだパラリンピックが残っているが、聖火が消え、選手や応援の人たちが韓国を離れると、「オリンピックの魔法」が解け、現実と向かい合うことになる。

 山に閉ざされ、開発が遅れていた平昌・江陵地域での開催だけに、韓国や開催自治体はかなり無理をして開催にこぎつけた。そうした中で整備された施設やインフラは、大会の雰囲気を盛り上げ、成功の下支えになったが、大会が終わると韓国や開催地にとって、頭の痛い存在になる。

 まず屋根がなく、尋常でない寒さが懸念された開閉会式は、もちろん寒さはあったものの、懸念されたほどではなかった。その会場は陸上競技場などと違い、専用に作られた施設だけに制約が少なく、会場そのものが大きな舞台装置になっており、式典は非常に華やかで臨場感があった。

 けれどもパラリンピックが終われば、客席の大半が撤去される。4回の式典のためだけに作られた、極めて贅沢な施設だ。管理・維持費を考えれば、そうせざるを得ないだろう。問題は、スタジアム周辺にできた町そのものだ。

 オリンピックスタジアムができたことで、平昌郡大関嶺面の町は、「久々に来た人は分からなくなる」と地元の人が言うほど、様変わりした。私は韓国の田舎町も結構歩いているが、コンビニや飲食店などが、これほど充実している山里は見たことがない。

 しかし大会後は、記念館などが作られるのだろうが、ほとんど何もなくなる。リゾート地でもないので、どう人を呼び、町を維持していくかは、難しい問題だ。

 ソウル五輪のメイン会場であった蚕室は、かつては漢江の中洲の農村地帯であったが、オリンピックを契機に様変わりした。ただ当然のことながら、高度成長期の首都の一角と、過疎化が懸念される低成長期の山里では、事情が違い過ぎる。

 また江陵会場では、女子アイスホッケーの会場になった関東ホッケーセンターだけ別の所にあるだけで、江陵カーリングセンター、フィギュアスケートやショートトラックの会場になった江陵アイスアレナ、江陵スピードスケート競技場、江陵ホッケーセンターは、オリンピックパークやその隣接地域にある。

 そのため江陵駅や江陵バスターミナルからオリンピックパークに向かう一般用のシャトルバスが頻繁に出ており便利だった。そしてオリンピックパークが、観戦チケットがない人でもオリンピックムードを感じる場所になっていた。

 しかし、東京やソウルでも1か所にこれだけ氷上競技施設が集まると負担になる。まして江陵は人口が約21万人しかいない。一部は体育館や公演施設に転用するにしても、限界がある。

 韓国全体では、スケートリンクが不足している面もある。女子アイスホッケーの南北合同チームが練習試合を行った仁川のリンクは、4年前のアジア大会のハンドボール競技会場であった所だ。アジア大会後、スケートリンクになっていた。夏季大会もそうであるが、冬季大会はなおのこと、都市開催のという原則は、もはや相当無理があるのではないだろうか。

 平昌五輪で使用された施設には、維持・管理費を誰がどの割合で負担するのかだけでなく、管理主体が誰なのかということすら決めっていない競技場も少なくない。

 滑降競技などが行われた旌善アルペン競技場の加里王山は、朝鮮王朝時代から守られてきた自然保護林であった。大会のためにコース上の木は伐採され、他の所に移植した後、大会が終われば、再度元の場所に植え直すことになっていたが、伐採されたかなりの木が枯死しており、復元は困難になっているという。

 ジャンプ競技場の維持管理のための国庫負担も困難とされており、国は国家代表の練習期間だけ、使用料を負担する方針だと現地メディアは報じる。

 ここで問題となるのが、競技人口の少なさである。ジャンプの場合競技人口が、ジュニア層も含めて男子15人、女子3人しかいない。キム・ヨナでブームになったフィギュアスケート以外は、どの競技も似たり寄ったりだ。

 平昌五輪の余韻がある今は、競技普及のゴールデンタイムであるはずだ。

 韓国のように、一部の競技を除き、冬季スポーツが盛んでない地域で開催する意味は、競技の普及、底辺の拡大にあるはずだ。競技人口が増えてこそ、競技施設は利用されるし、施設に対する公費負担の大義名分にもなる。

 韓国の冬季スポーツは主に、スケートはサムスン、スキーはロッテが支援している。しかし両財閥とも朴槿恵・崔順実スキャンダルの当事者になっている。大韓スキー協会会長でもある韓国ロッテ会長の辛東彬(日本名・重光昭夫)は、大会期間中の213日、ソウル中央地裁から実刑判決を受けている。

 スキーもスケートも平昌五輪の出場選手登録においてミスを犯して競技団体は世論の非難を浴びただけでなく、スケートでは暴力事件に加え、国際的に韓国の恥部をさらしたパシュートでのいじめ問題などがあり、競技普及まで、ほとんど気が回らないのが実情だ。これではスポーツの視点からは、何のための大会かということになる。

 インフラ整備という面では、高速鉄道・KTXの開通、トンネルの開通などによる道路整備など、飛躍的に進歩した。

 KTXは、ソウルの東北部、東京の上野のような存在の清涼里と江陵を1時間40分で結んでいる。けれどもこの路線、途中に大きな都市を通っていない。人口約34万人の原州市をかすめてはいるが、中心部からは遠い。

 大会中は、平昌地区の会場へのシャトルバスの拠点になった平昌駅、珍富駅は、パラリンピックが終わると、周囲にほとんど何もない、山の中の駅に過ぎなくなる。

 さらにトンネルなどの整備により、東ソウルバスターミナルや、江南にある高速バスターミナルから江陵まで2時間40分ほどで行けるようになった。

 清涼里までは遠い、ソウルの南部地域の人たちにとっては、料金の安い高速バスで行っても、江陵までの時間はそれほど変わらない。

 人の行き来が激しい大都市間であれば、交通インフラが整備され、競争が生まれることはいいことだ。しかしながら、江陵は人口が約21万人だ。バスもKTXも、生き残りは厳しい状況に置かれている。

 地方の小さな駅だった江陵駅は、平昌五輪を契機にKTXが開通して様変わりした。けれども駅周辺は昔のままで、ほとんど何もない。このアンバランスこそ、オリンピックの魔法が解けた開催地の現状をよく映し出しているのではないか。

 大会を無事開催することは簡単ではないが、後味をよくすることは、もっと大変だ。地方の町の平昌・江陵と大都市・東京では事情はかなり異なるが、2年後の東京にも同じことが言える。

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江陵駅は五輪を契機に様変わりした

 

 

2018年2月25日 (日)

北風をおいやった五輪の力

 平昌五輪も間もなく終わろうとしている。開幕前の1カ月余り、話題の中心は北朝鮮であり、「平壌五輪」と揶揄される状況だった。

 北朝鮮との融和を図りたいが、核問題などで思うようにいかない文在寅政権にとっても、国際的な孤立を深める北朝鮮にとっても、平昌五輪は融和ムードを演出する絶好の機会であり、この際、できることは何でもしようとばかりに、風呂敷を目一杯広げた感じだった。

 それに対して、韓国の保守勢力の反発は強く、北朝鮮の国旗が燃やされたりもした。反発した北朝鮮側は、五輪参加の取りやめを示唆することもあった。同じような状況で、結局北朝鮮に振り回されることになった2003年の大邱ユニバーシアード大会の二の舞いになるのではないかと懸念したが、やはりオリンピックはアジア大会やユニバーシアードとは違う。今回は心配したほどのことはなかった。オリンピックに向けて起きた北風であったが、オリンピックの力は、北風が好き放題に吹き荒れることを許さなかった。

 平昌五輪が始まった頃、韓国メディアの話題の中心は、金正恩の妹・金与正であった。それでも大会2日目である10日に男子ショートトラックの林孝峻が韓国最初の金メダルを獲得すると、国民の関心は徐々に競技の方に移り、三池淵管弦楽団のソウル公演が終わり、金与正が北に戻ると、ようやくオリンピック本来の熱気がみられるようになった。

 冬季スポーツの多くは韓国人にとって馴染みが薄く、盛り上がりが懸念された。強風の影響を受けたり、空席の目立つ種目もあったりしたが、それでも現場では、オリンピック独特の雰囲気を感じることができた。

 そうした雰囲気を作ったのは、日本のほか、カナダ、アメリカ、ドイツ、オランダなど、世界各地から集まった応援の人たちと、4年に一度の大勝負に限界を超える死闘を繰り広げた選手たちであった。

 一方、金与正をはじめとする代表団、三池淵管弦楽団、テコンドー演武団などが相次いで北に戻ると、北朝鮮関係で残るのは、選手と応援団だけになった。

 選手団の中で存在を示したのは、実力で出場権を得ていてフィギュアスケート・ペアのリョム・テオク、キム・ジュシク組くらいで、あとは世界との力の差があり過ぎた。

 男子ショートトラックのチョン・グァンボムは、渡辺啓太を故意に妨害した疑惑を持たれている。映像を観た限りでは、確かにそう感じるが、真相は分からない。ただ一つはっきり言えることは、北朝鮮の選手は、オリンピックで競うだけの実力も技術もなかったということだ。

 韓国に来て、本番のリンクでの最初の練習で、北朝鮮の別の選手がコーナーを回り切れず負傷しているのもその表れだ。

 注目された女子アイスホッケーの南北合同チームに関しては、全敗に終わったが、だいたい実力通りの結果だったと思う。しかしながら、男女のアイスホッケーは、韓国としては珍しく、協会の一貫した支援の下、4年余りの間に確実に力をつけていただけに、大会前に政治が介入してきたことに、無念さもあっただろう。それでも合流した北朝鮮の選手は、最先端のアイスホッケーを学ぼうと一生懸命であったし、カナダ人のマリー監督もそれに応え、韓国選手も受け入れることで、チームは成り立った。

 とはいえ、本番の1カ月前に政治主導で合同チームが決まることなど、今後はあってはならない。また、韓国と北朝鮮の人が自由に接触できない以上、女子アイスホッケーの交流が今後も地道に続くように力添えするのは、政治の役目である。

 応援団に関しては、これまでも指摘してきたように、もともと応援スタイルが冬季スポーツに合わない。アルペンスキーの会場の、サンタクロースのような赤い服を着て、全員サングラスをした集団は、かなり異様であった。

 競技の流れに関係なく、「我々は一つだ」と叫ぶことは、南北の融和を求める人の中には心に響くのかもしれないが、真剣勝負の場にあっては、邪魔でしかない。

 それにしても今回の応援団、「美女軍団」と言われた過去のメンバーに比べると、随分見劣りした。根拠はないが、今回は金与正と三池淵管弦楽団の玄松月団長以上に目立ってはならないという、忖度があったのではないかという感じすらある。

 三池淵管弦楽団のソウル公演では、玄団長が舞台に上がり歌い出す前に、風邪でのどの調子が悪いとことわったうえで、「団長のプライドもあるので、先に歌った歌手よりちょっと大きく拍手してほしい」と語りかけている。冗談ぽい口調ではあったが、かなりのプライドである。

 応援団の方は、応援する競技も限られているので、オリンピックプラザや観光地などで、公演活動をすることになる。場所によっては、好評だったようである。けれども三池淵管弦楽団に比べると格下感は否めず、見る人の感想も、「何か珍しいね」といった程度のものだったようだ。

 平昌五輪を招致した段階から、韓国の人たち、特に政治家は、競技そのものにはあまり関心がなかったように思われる。しかし、オリンピックの中心にいるのは、アスリートである。

 ライバルである小平奈緒と李相花の友情物語に代表されるように、真剣勝負の中から生まれる交流こそ、本当の意味でのオリンピック精神であると思う。そうしたドラマが、多くの人を感動させた。

 閉会式を控え、またしても政治が表に出始めた。スポーツの感動が汚されぬよう、節度を持つことこそが、開催国の政治家の務めではないだろうか。

2018年2月22日 (木)

冬季五輪開催地の非日常~平昌編

 平昌五輪の開閉会式が行われるオリンピックスタジアムのある江原道平昌郡大関嶺面(面は町村に相当する行政区)を訪れるのは、5カ月ぶりだった。5カ月前は、歩道のブロックを敷き詰めるなど、町全体が工事中という感じであったが、大会を迎え、すっかり別の町のように変貌を遂げていた。

 大関嶺面は、平昌郡の中では海沿いの江陵市に近いエリアである。江陵の市外バスターミナルから、オリンピックスタジアムなどがあるオリンピックプラザに近い横渓バスターミナルまで30分余りで着く。横渓のターミナルは、ターミナルと言っても、バスの停留所にコンビニの入った待合所のある、真新しい小さな建物があるだけだ。

 横渓ターミナルからオリンピックプラザまでは、200メートルほどしか離れていない。その途中には、LG25、CUといった韓国資本のコンビニや、財閥系のパン屋チェーンのほか、飲食店も多く並ぶ。小さな山里に、突然街が出現したという感じだ。

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オリンピックプラザ近くの町並み

 開会式の日に続き、オリンピックプラザ周辺を訪れたのは、ノルディック複合ノーマルヒルの競技が行われた214日だった。平昌五輪と言うだけあり、人口が多く、氷上競技が行われる江陵市よりは、オリンピックムードが感じられる。オリンピックプラザ周辺でも、雪像が設置されるなど、様々なイベントが行われている。ただすれ違い人の数は、大会期間中にもかかわらず、それほど多くない。

 時おり小雪が舞う中、猛烈な風が吹き、競技が行われるか、不安になるような気象条件であった。

 この地に来たら、オリンピックプラザのすぐ近くにある黄太会館で、干したスケトウダラのスープである黄太ヘジャングッを食べたい。黄太会館はお昼少し前であったが、観光客や地元の人で賑わっていた。黄太ヘジャングッは、ソウル市庁の近くにプゴグッという名で食べる人気店があるが、本場は大関嶺である。

 黄太ヘジャングッを食べて温まり、再びオリンピックプラザの周辺を歩いていると、規模は小さいが、スケトウダラを干している場所を見つけた。

 毎年冬になると、韓国の新聞やテレビでは、スケトウダラの干場がよく登場する。大関嶺の強い寒風で干されたスケトウダラは、美味しいスープの材料になる。そして、スケトウダラが大関嶺の寒風で干される風景は、韓国の冬の風物詩になっている。

 私も一度見たかったが、冬の山里に行くことなどないと思っていた。平昌五輪のお陰で、韓国の冬の名物を見ることができた。

 ただそれだけこの地域は、昔から風が強いことで有名だということでもあり、よくこうした場所がオリンピック会場になったなとも思う。

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黄太会館の黄太ヘジャングッ

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オリンピックプラザ近くのスケトウダラの干場

 オリンピックプラザからジャンプ会場に向かうバスが出ているはずだが、乗り場が見つからない。横渓のターミナルの案内デスクで、ターミナルからも1時間に1本、ジャンプ会場に行くバスがあると聞いていたので、建物の中で待機できることもあり、バスの時間に合わせ、ターミナルに戻った。しかし、これが間違いであった。

 案内デスクの人の良さそうなおじさんの言う時間に、バスは現れない。結局1時間遅れで出発することに。そのバスのフロントには、ジャンプ会場と書いてあったし、案内デスクのおじさんも、バスの運転手もジャンプ会場に行くと言っていた。 

 バスはしばらく走行して、プレスセンターなどがあるアルペンシアリゾートの近くで止まり、運転手からジャンプ会場に行く人は、降りるように言われた。ジャンプ会場は、一昨年と昨年はKリーグ・江原FCのホームとして使われた。バスが止まったのは、サッカー観戦のバスが発着する所だった。ジャンプ会場までは少し歩くが、まだ競技開始までは余裕があった。

 ところが、ジャンプ会場に向かう道を歩こうとすると、大会のボランティアに「通行禁止です」と、止められた。ジャンプ会場へのアクセス道路は2つある。選手・関係者や、緊急車両の通行をスムーズにするため、一方の道を一般通行禁止にすることはありうることだ。大会期間中、江原FCの試合の時のアクセス道路は、一般は通行禁止になっていたのだ。けれどもそうした基本的な情報を、地元に伝えていないというのも、お粗末な話である。

 小さな町なので、タクシーもほとんど通っていない。近くにメインプレスセンターがあるので、その方向に行けば、バスがあるかもしれないと思い行ったら、会場に向かうバスに乗ることができ、競技開始にも間に合った。

 ノルディック複合は、チケットの売れ残りの多い競技の一つであったが、ジャンプが午後3時に始まるノーマルヒルの方は、思っていたより観客が多かった。

 ジャンプ競技では空席が目立つが、ある程度仕方ない。まず韓国でジャンプ競技への関心は低い。女子のジャンプ競技を江陵の宿でテレビ放送を見ていたが、競技が延びて、放送時間がなくなると、これからメダル争いというところで、放送が終わってしまった。高梨沙羅の銅メダルは、ネットで知った。

 それに、競技の終了時間である。終了が夜11時を過ぎるとなると、よほど好きな人でないと、二の足を踏む。開会式が終わった後もそうだったが、何もない山の中の駐車場で、寒風にさらされてバスを待つのは、かなり堪える。

 東京やソウルの真ん中であれば、深夜に試合が終わっても、交通手段はあるし、場合によっては24時間営業の店で始発まで待つ手もある。しかし平昌の夜には、何もない。欧州の放送局の都合のようだが、夜中のジャンプ競技は、選手にとっても観客にとってもたまったものではない。

 このエリアの強風は、時間を問わず吹く。12日はフェニックスパークで行われた、女子スノーボードのスロープスタイルの決勝を見た。フェニックスパークのある蓮坪面は、大関嶺面より内陸にある。

 KTXでは、江陵駅の次の次の駅である平昌駅からシャトルバスが出ている。考えてみれば、大会名称などではなく、地名として平昌の文字を見るのは、1週間の滞在のうち、この時だけだったと思う。

Dscn5543KTXの平昌駅

 競技開始は午前10時。1時間近く前に会場に着いたが、会場の要所要所に立つ案内のボランティアは、いかにも寒そうだ。

 スロープスタイル以外にも、モーグルやハープパイプなどの競技が行われるフェニックスパークは、座席は基本的に仮設である。

 前日に行われる予定であった予選は強風のため中止。この日は、全員決勝に進む形で行われた。

 それでも、開始予定の午前10時は強風のため、開始を1時間遅らせるとこが発表された。気温はマイナス11度。風が強いので、体感気温は、もっと低かった。

 午前11頃には風が少し治まったので競技が始まったが、競技が始まると、午前10時頃より、さらに強い風が吹いてきた。日本勢をはじめ、各国のトップクラスの選手が、風の影響をもろに受け、力を発揮できなかった。

 大会前から、平昌の問題は雪よりも風だということは分かっていた。場所を変えない限り、対策のしようがないのだろう。

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下から見たフェニックスパーク会場のスタンド

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雪煙の舞うスロープスタイルの会場

 同じく風が心配された14日のノルディック複合ノーマルヒル競技は無事終わり、渡部暁斗が惜しくも優勝は逃したものの、銀メダルに輝いた。今度はシャトルバスに乗り、オリンピックプラザに行った。スタジアムの近くにあるメダルプラザでは、メダル授与式が行われていた。この日の最後は、スノーボードのハーフパイプで、平野歩夢が銀メダルで表彰台に上った。メダルプラザの近くのオリンピックスタジアムの外では、聖火が風に揺れている。

 このスタジアムのスタンドは大部分が仮設で、パラリンピックが終われば、取り外す予定になっている。オリンピックプラザ周辺の店は、大会後も維持できるのだろうか。

 地域の人たちは、オリンピックを通じて町の発展を期待したのだろう。でも後から振返った時、20182月は、ひと時の幻だったように感じる時が来るのかもしれない。

 小さな町が、思い切り背伸びして迎えたオリンピックだ。その後どうなるのか。いずれ訪ねてみたいと思う。でも行くとしても、寒い時期はやはり避けたい。

 

2018年2月18日 (日)

冬季五輪開催地の非日常~江陵編

 約1週間の平昌五輪の現地取材を終え、日本に戻ってきた。テレビを見る限りでは、韓国より、日本の方が盛り上がっているような感じがする。それでも現地は、普段とは違う、非日常の中にある。

 活動の拠点にしたのは、氷上種目が行われている江陵だった。大会前に懸念されたのは、宿泊施設不足であ。山の中の平昌はもちろん、人口約20万人の江陵も泊まる所は少なく、モーテルなどの料金が10倍以上跳ね上がっているという噂あった。

 そのため、現地に行く予定のあるソウル在住の友人に依頼し、江陵の中心部から少し離れた所にある、13万ウォン(約3000円)の海辺のゲストハウスを紹介してもらった。

 ゲストハウスは相部屋ではあるが、この時期3万ウォンならありがたい。しかしオーバーブッキングだった。江陵宿泊の最初の日、開会式を見たため帰りが遅かった私は、床の上に寝るしかなかった。

 翌日、江陵駅まで出たついでに、ダメもとで駅周辺のモーテルを当たってみた。すると入ったモーテルの1軒目で、15万ウォンの部屋が見つかった。入口の価格表には、週末7万ウォン、平日5万ウォンになっており、私が行ったのが土曜日だったが、5泊するということで、全日5万ウォンにしてもらった。ゲストハウスの3万ウォンに比べると高いが、利便性を考えると、結果としてはほとんど変わらない。

 江陵市内で会った大会ボランティアに、駅前で5万ウォンの宿に泊まっているという話をすると、驚いた表情で、「安いですね。この間カナダ人に聞いたら、駅前のモーテルに120万ウォンで泊っていると言っていました。暖房は効いていますか?テレビはありますか?インターネットは使えますか?」と言われた。もちろん宿泊するのに、何の不自由のない部屋だった。

 5万ウォンでも、通常よりは1、2万ウォン上乗せしている。私が泊まった2日目には、入口の料金表が10万ウォンになり、その翌日に5万ウォンに戻っていた。駅前の宿泊業者にすれば、平昌五輪はまたとない儲けるチャンスであったが、思ったほど宿泊客がおらず、宿泊価格が乱高下しているようだった。

 宿泊客が思ったほど集まらなかった要因として、料金が高いという評判がかなり広まっていたことに加え、昨年1222日に江陵とソウルの清涼里を1時間40分弱で結ぶ高速鉄道・KTXが開通し、ソウルからの日帰りが可能になったことがある。そのため江陵駅は、常に大勢の人でごった返していた。

 KTXが開通する前は、ソウルから鉄道で6時間なのに対し、高速バスだと3時間ほどだったので、交通の拠点は市外バスターミナルを併設した高速バスターミナルの方だった。実際、食堂やコンビニなど、旅行者が必要とする店は、バスターミナルの方に多い。

 それに対して、新たに建設された江陵駅の構内には、食堂とコンビニはそれぞれ1軒ずつだけで、いつも賑わっている。駅に外にも食堂は少なく、テントで立食のフードコートが作られていた。コンビニも、駅の近くには1軒だけ。深夜観戦帰りの人たちが押し掛けると、満員電車のような状況になった。その一方で、バスターミナル側の食堂やコンビニには人が少なく、KTXの開通で、街の人の流れが、完全に変わったようだった。

 旅行者にとっては、開催地のバス料金が無料なのはありがたかった。これは、渋滞解消のため、ナンバーの末尾が偶数か奇数かで通行制限をする2部制を実施するのに伴い、公共交通機関の利用を促すための措置である。

 また江陵市内には、競技施設の大半が集まるオリンピックパークと、女子アイスホッケーが行われる関東ホッケーセンターの2か所があるが、両方とも江陵駅や高速バスターミナルからシャトルバスが頻繁に出ている。こちらも、江陵駅発は混んでいるが、高速バスターミナル発は、乗っている人がほとんどいなかった。

 オリンピックパークに入るのには、2000ウォンで入場券を買う必要がった。最初の日曜日である11日には、入場券売り場に行列ができ、午後2時過ぎには、売り切れになった。

 オリンピックパークの中には、スポンサー企業や2020年の東京五輪などの広報館やイベント広場があり、パレードも行われていた。

 公園内では、マスコットのスホランが愛嬌を振りまいている。しかしこのマスコット、のぞき穴の位置に問題があり、自分だけではしっかりと歩けない。ボランティアに支えられて歩く姿は、微笑ましいようであり、痛々しくもあった。

 14日は江陵でも強風が吹き荒れ、オリンピックパーク内の施設が吹き飛ばされたり、閉鎖されたりした。

 江陵は海沿いの町であるので、風が強いこともある。しかし観光地の一つである、海のそばの大きな池のような鏡浦湖は、湖面に夜空の月が、鏡のように映し出されることで有名だ。昔の風流人は、夜空の月と湖面の月、盃の月と恋人の瞳に映る月を愛でたという。山の平昌と違い、江陵は湖面に波が立たないほど、風が穏やかだということだ。

 鏡浦湖の近くには、烏竹軒など観光地も多く、シーズンになると修学旅行生などで賑わう。ドラマや映画のロケ地でもあることから、日本人や中国人も江陵を訪れるようになった。

 私は24年前に初めて来たのを皮切りに、江陵に来るのは今回が5回目だ。街はオリンピックの影響で随分あか抜けてきたが、もともとは、映画館がシネコン1軒、芸術映画用の独立館が1軒しかない、古びた小さな街である。しかしオリンピックの期間中は外国人が増え、街は間違いなく、非日常の中にある。

 それでも、私が江陵での初日に泊まったゲストハウス近くの海岸の看板には、次のような注意書きがあった。「警告 この地域は、軍作戦地域です。(中略)24:00以後には、海岸線の出入りは、一切禁止するようお願いします」

 南北融和が謳われ、江陵の街全体がお祭りムードであっても、北朝鮮に近い地域ゆえの緊張という、変わらぬ日常がそこにはある。

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新設された江陵駅

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オリンピックパーク・江陵駅間のシャトルバス

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オリンピックパークの入場券を求める行列

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ボランティアに支えられて歩くスホラン

   ◆   ◆   ◆   ◆      

14日、女子アイスホッケーの日本・コリア戦でコリアは1ゴールを挙げた。左派系の「ハンギョレ新聞」は、「待ちに待った初ゴールが決まった…抱き合う南北統一チーム」という見出しを掲げ、第2面のほぼ全面を使い、これを報じた。 一方保守系の「朝鮮日報」は、第3面の左下6分の1くらいのスペースに、「オリンピック初ゴールは入れたが…単一チーム、日本に1対4で完敗」という見出しを掲げたうえ、ゴールについても「唯一のゴールが出た時、氷上に立つ選手は、韓国国家代表だけだった」と指摘し、冷めた見方で報じている。女子アイスホッケーの南北統一チームに関しては、韓国内でも温度差がかなりある。

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