2017年5月20日 (土)

名門高校と野球と政治

 韓国では高校受験の競争をなくすため、生徒を居住地域の学校に振り分ける平準化政策が取られた結果、伝統的な名門高校の影は薄くなっている。ソウル大学の合格者数は、こうした平準化政策の対象外である、芸術高校、科学高校、外国語高校の生徒が上位を占めている。

 それでも現在、名門高校が存在感を示しているのが、政治の世界と野球ではないか。

 先の大統領選挙は、文在寅とTV討論の後失速したが、安哲秀の争いとされていた。2人とも釜山の出身で、当選した文在寅は慶南高校、安哲秀は釜山高校と、ともに釜山を代表する全国区の名門校の出身である。野球においては、日米のプロ野球で活躍し、現在韓国のロッテでプレーする李大浩は慶南高校、レンジャーズの秋信守は釜山高校の出身である。

 515日に決勝戦が行われた、権威ある大会である東亜日報主催の黄金獅子旗全国高校野球大会では、かつて徳寿商といった徳寿高校が2年連続優勝を果たし、かつて馬山商といった馬山龍馬高校が準優勝した。いずれも伝統校で、文在寅大統領の母校である慶南高校も準決勝に進出した。

 韓国では野球部のある学校は多くないが、伝統的な名門校には野球部のある学校が多く、多数のプロ野球選手を輩出している。そのため、進学実績では外国語高校や科学高校といった新興勢力に押されても、野球ばかりは伝統校が存在感をみせているわけだ。

 文在寅大統領自身、野球好きで知られ、球界との関わりもある。かつて中日でも活躍したヘテの宣銅烈の最大のライバルであったロッテの崔東原も、慶南高校の出身であった。崔は1988年に選手協議会を結成しようとしたが、これは選手労組であるとして、球団から強い抵抗にあった。この時選手側の法律諮問役であったのが、弁護士であった文在寅であった。

 韓国のプロ野球創設にも、慶南高校の出身者が関わってきた。民主化の活動をしていた文在寅とは敵対関係であるが、全斗煥の側近で、全斗煥政権下で民政主席秘書官であった李鶴捧も慶南高校の出身であった。

 光州事件など、民主化運動を弾圧して権力を握った全斗煥政権は、国民の関心を政治から離すため、スポーツ、スクリーン、セックスのいわゆる3S政策を行った。その中心にいたのが李鶴捧であり、プロ野球創設にも主導的な立場であった。その際、李が頼りにしたのが、慶南高校出身の球界人脈であった。

 慶南高校の野球部は、解放直後の全国大会をほとんど優勝するなど、韓国の高校球界をリードしてきた。慶南高校の野球の礎を築いたのは、東京の京王商(現専大付)出身の高光籍という人物で、「ノックの達人」として知られた。以来、今日に至るまで、韓国の高校球界をリードしている。

 もっともプロ野球選手を輩出している数でいうと、全羅南道の名門、光州第高校である。光州第一高校は、中日でもプレーした宣銅烈や李鍾範らを輩出している。

 また慶南高校、釜山高校とともに釜山地域の伝統校である釜山商(現開成高校)は、盧武鉉元大統領の母校である。釜山商からは、韓国シリーズで10回優勝するなど韓国プロ野球を代表する名将で、現在大韓野球ソフトボール協会の会長である金應龍などを輩出している。

 文在寅政権では、球界においてはこうした釜山人脈が影響力を持つ可能性がある。日本に近い釜山は、もともと野球が盛んな土地柄。しかし、近年釜山を本拠地とするロッテが不振で、釜山の野球人気も停滞気味だ。政権が代わっても、こればかりはどうすることもできない。

 なお、金泳三元大統領も慶南高校の出身である。ただし金泳三は、中学生の時にサッカーをしていたことがあるうえ、政権時代は2002年のワールドカップの招致の時期でもあり、サッカー好きの方が喧伝されていた。

2017年5月12日 (金)

文在寅政権と平昌五輪

 19943月、板門店での南北接触において、北朝鮮側が「ここからソウルは遠くない。戦争が起きれば、ソウルは火の海になる」と発言した時、私はソウルで留学生活を送っていた。これはやばいぞ、と私はかなり衝撃を受けた。ところが韓国の若者たちに聞くと、「あんなこと、いつものことですよ」と、ほとんど意に介していなかった。

 実際には、危険な状態であったようだが、北との対峙が日常化している韓国では、危機にはある程度慣れている。今回も、韓国の危機意識の低さが日本のメディアで話題になっているが、韓国の人たちの感覚は、そんなものだろうと思う。

 文在寅が大統領に当選したのも、安保問題よりも、変化を望む若者たちの票をうまく集めた結果だろう。

 南北問題、日韓関係など気になることは多々あるが、新政権の誕生で9か月後に迫った平昌五輪への影響も、やはり気になる。

 通常なら、当選から約2か月の政権引き継ぎ期間を経て、新政権が誕生するが、前大統領の罷免を受けて行われた今回は、当選するや否や大統領に就任したため、すぐには五輪まで手が回らないかもしれない。

 まず行われるのは、五輪やスポーツの所轄官庁である文化体育観光部(省)の改革だろう。朴槿恵前大統領の一連のスキャンダルの震源地が文化体育観光部であっただけに、一気にやるのか、徐々にするのかは分からないが、大鉈を振るうのは間違いない。

 そこで一つ注目したいのが、所轄官庁の名称である。民主化運動を弾圧して誕生した全斗煥政権では、ソウル五輪の招致に成功し、「体育立国」を掲げ、スポーツの省庁を独立して、体育部を創設した。

 民主化によって誕生した金泳三政権では、文化体育部になり、金大中政権では、文化観光部なり、体育の名前がなくなり、スポーツ界では、国からの支援が削られた。保守の李明博政権は、体育の名前が復活し、文化体育観光部となっている。

 名は体を表すの言葉通り、名称は政権の考えをよく反映している。場合によっては、文化、体育、観光という、省庁の枠組み自体が変わるかもしれない。

 平昌五輪の組織委員会に出向している公務員も、本来所属する省庁の動向が気になり、落ち着かないに違いない。

 大会を9か月後に控えているだけに、新政権に振り回されることは避けたいところだが、大統領が誰であろうと、政権がそのまま続くよりは良かったのかもしれない。従来のスケジュールだと、新政権の移行期に五輪が開催され、通常なら閉会式の日と、新大統領の就任式が重なっていた。

 五輪の成功が自分の功績にならないため、朴槿恵政権では五輪に積極的ではなく、そのことが、友人の崔順実の利権介入を招いたという話もある。

 ただ現状では、平昌五輪は新政権にとって、功績になるより、重荷になる可能性が高い。まずは、盛り上がらない状況をどう改善するかが、喫緊の課題である。

 文在寅大統領にしても、彼を支持する人たちにしても、期待しているのが北朝鮮だろう。前の革新政権である金大中や盧武鉉政権の時は、2002年の釜山アジア大会や2003年の大邱ユニバーシードに北朝鮮は、美女軍団と呼ばれた応援団を含めて参加し、大会の盛り上げに貢献した。

 ただし、北朝鮮に対する視線は、2つの大会ではかなり違うことを、取材して感じた。朝鮮戦争の時の避難民が多く暮らす釜山では、老人たちが北朝鮮の故郷を懐かしみ、温かい目で見ていたのが印象的だった。

 一方、見た目の盛り上がりとは裏腹に、朝鮮戦争の時、北朝鮮の人民軍の南進を食い止めた大邱の人たちには、反共、保守の意識が強く、北朝鮮の選手団、応援団に厳しい視線もあった。

 また釜山には北朝鮮出身の老人を探すのに苦労しないほど多くいるが、そうした人に話を聞くと、故郷や故郷に残した家族への思いは強いものの、戦争を起こした金日成や息子の正日への憎悪も強かった。しかし、幼少期に避難した人や、韓国で生まれた避難民の2世は、親の故郷や家族への思いを強く受け止めた人と、憎悪も含めて受け継いだ人に分かれる気がする。報道などでみる限りは、避難民2世の文大統領は、前者の傾向が強いように思う。

 よほどのことがない限り、平昌五輪に北朝鮮選手団は参加するだろう。スポーツの国際大会は、軍事面以外で、北朝鮮の存在を世界に広める、数少ない機会だからだ。先月には、平壌で開催されたサッカーの女子アジアカップの予選に韓国も参加したし、平昌五輪の会場で行われた女子アイスホッケーの世界選手権ディビジョンⅡグループAの大会には、北朝鮮も参加した。

 しかしながら、北朝鮮に融和的な人たちが期待する、応援団を含めての派遣の可能性は低い。そもそも五輪の出場権を得ている選手がおらず、おそらく、特別枠での出場になるため、参加するにしても小規模になるはずだ。

 また、2014年の仁川アジア大会に北朝鮮は、選手団のみを派遣したが、韓国の一般の人たちの反応は随分冷めていた。大会開催の意義を高めるためにも、文政権や支持者たちは、五輪を通して北朝鮮との交流の機会を最大限に生かそうとするだろうが、それを成果に結びつけるのは、容易でない。

 平昌五輪は大会運営費の不足も言われている。これまでなら、困った時の財閥支援であったが、財閥への風当たりが強い現在では、財閥からの支援は期待薄だ。といって、それに替わる金づるがあるわけではない。結局スポーツ振興くじ頼みとなるのだろうが、TOTOは、打ち出の小槌ではない。

 さらに、韓国内の冬季スポーツへの関心は、一部の種目を除いて高くないので、隣国である日本や中国の観客を期待するしかないだろう。それには、隣国との良好な関係が不可欠だ。

 文在寅政権は、理念先行の印象を受ける。ただ実際の行政には、現実と折り合いをつけることも重要である。大会まで270日余りと迫った平昌五輪は、文在寅政権が、現実と向き合う姿勢を問う試金石になるかもしれない。

 

 

2017年5月 7日 (日)

韓国アイスホッケーの躍進と日本

 韓国のスポーツ界では、久々の快挙と言っていい。先月下旬、ウクライナのキエフで開催されたアイスホッケーの世界選手権のディビジョンⅠグループA(2部相当)で韓国は2位になり、16チームで構成されるトップディビジョンへの昇格が決まった。3年前、韓国の高陽市で開催されたディビジョンⅠグループAの大会では5戦全敗で、3部相当のグループBに降格したばかりであることを考えると、急成長であることは間違いない。

 実際韓国のアイスホッケーは、弱かった。日本に勝ったのも2012年が初めてであり、それまでは、日本が大きくリードしていた。

 韓国の躍進のきっかけになったのは、2003年に日本と韓国で始まり、後に中国、サハリンなども加わったアジアリーグだ。日本も韓国もチーム数減少という危機的状況の中で手を結んで始まったアジアリーグであるが、韓国にとっては、日本からアイスホッケーを学ぶ絶好の機会になった。

 そして平昌五輪の開催が決まったものの、国際アイスホッケー連盟はあまりに弱かった韓国に、現状のままでは開催国の自動出場権を与えないことを表明していた。そこで韓国は、外国人選手を相次いで特別帰化させた。特別帰化とは、元の国籍を失うことなく韓国籍を取得できる制度で、現在韓国代表には、安養ハルラでプレーしている選手など、7人が特別帰化の選手として活動している。

 韓国アイスホッケーの躍進の最大の要因は、特別帰化の7人の存在であることは確かだ。ただそれだけではチームとしていびつで、3年前の世界選手権で全敗したように、チームとして機能しない。

 チーム強化の決定打となったのは、3年前からジム・ペク(韓国名 ペク・ジョソン)が、韓国代表の監督を引き受けたことだった。ソウルで生まれ、幼少期にカナダに移民したペクは、世界最高峰のNHLでも活躍した。

 韓国代表監督に就任したペクは、徹底した体力強化とともに、選手の積極性やモチベーションを高めることに心血を注いだ。その成果が今回表れたようだ。

 今年は見ることができなかったが、昨年まではアジアリーグの試合として、自宅から近い西東京市のダイドードリンコアイスアリーナで、安養ハルラなど韓国のチームの試合が行われており、私も現場で取材してきた。少し前まで韓国のチームは、カウンター中心の、非常に単調な攻撃をすることが多かったが、次第にパックがつながり、アイスホッケーらしくなってきていた。

 また注目すべきは、レベルの高い外国人選手に引き上げられるように、韓国で生まれ育った選手たちもレベルを上げ、得点に絡むようになったことだ。

 トップディビジョン進出は、韓国のメディアで大きく取り上げられている。最初は帰化選手が多く、否定的であった世論も変わってきた。韓国は日本以上に少子化が進み、人口減少は避けられない状況になっている。そうした中韓国政府は、多文化共生として、外国人の受け入れに積極的になりつつある。

 とはいえ韓国では、単一民族の意識が日本以上に強かったため、外国人に対する差別や偏見が根強くある。それだけに外国出身者と韓国の選手が一体となってなしえた今回の快挙が、韓国社会全般に影響を及ぼすのか、アイスホッケーに限定されたことなのか、その影響の広まりが注目される。

 もっとも韓国のアイスホッケーは昇格したとはいえ、トップディビジョンで戦う来年以降の展望は明るくない。

 まず2月に平昌五輪が終わった後も、特別帰化の選手が7人という、現在の態勢を維持できるかは不透明である。恒常的な強化をするためには、韓国内の選手の強化が不可欠である。しかしここで、前回も書いた、チョン・ユラの問題が影を落としている。

 スポーツ特待生に対する管理が厳しくなる中で、大学スポーツの華である、延世大学と高麗大学の定期戦である延高戦も改革を迫られた。延高戦はこれまで、毎年秋に野球、サッカー、バスケットボール、ラグビー、アイスホッケーの対抗戦として行われていた。

 韓国ではマイナースポーツであるラグビーやアイスホッケーが生き残れたのは、延高戦の存在が大きい。実際アイスホッケーの韓国代表のうち、韓国の選手の大半がこの両校の出身である。

 しかし梨花女子大の不正入学したチョン・ユラの問題の影響で、スポーツ特待生への対応が厳しくなるとともに、延高戦も、エリート競技の対抗戦から、一般の学生も参加する延高祭に変わる計画が持ち上がっている。

 延高戦の変化は既に戦力低下が著しいラグビーだけでなく、アイスホッケーにも影響を及ぼすのではないか。

 一方日本の男子は、実質3部相当であるディビジョンⅠグループBに属している。女子が平昌五輪の出場と、トップディビジョン昇格を決めたのに対し、影が薄い。しかしながら、見方によっては、隣国の躍進は、強化の絶好機である。

 特別帰化の選手の多さに様々な意見があるにしても、隣国の強化が進み、結果が出ている今のうちこそ、取り残された感のある日本の男子アイスホッケーも、いい刺激に受けて切磋琢磨してほしいのだが、果たして……。

 

 

2017年4月27日 (木)

チョン・ユラ問題の余波に揺れる韓国の大学スポーツ

 大統領選挙が終わり、朴槿恵前大統領の裁判が始まるまでは、一連のスキャンダルの追及は、小休止といったところだ。しかし、このスキャンダルの余波で、大学のスポーツは大きく揺れている。

 朴槿恵、崔順実ゲートで韓国の若者たちを怒らせたのは、崔順実の娘のチャン・ユラの梨花女子大へのスポーツ特待生としての不正入学問題であった。権力を背景に、大学幹部も絡んだ露骨な不正は、怒りを買うに十分ではあった。

 けれども、スポーツ特待生に関しては以前から不正が横行しており、大学の運動部の監督らが、収賄容疑で逮捕されることも、珍しいことではない。真偽不明の話もあるが、トップ選手を入学させるために、レベルの下がる選手もセットで入学させることもよくあるといった話も聞いたことがある。

 チョン・ユラの問題を契機に、スポーツ特待生に絡む不正に世間の目が厳しくなる中、教育部(省)が昨年の1226日から今年の226日まで、スポーツ特待生の規模が100人以上である17の大学を調査したところ、調査した全ての大学で不正が発覚し、不正に関与した教授・講師は448人、学生は332人だった。

 違反行為としては、授業に欠席した学生に対する課題の代理提出、出席数の足りない学生に対する単位の付与などがある。

 また高麗大学、延世大学、漢陽大学、成均館大学では、学業不振で警告を3回以上受けた学生は退学処分を受けることになっているが、そうした措置を取らず卒業させていたケースが、1996年から2006年まで、394人に達していた。

 教育部の調査とは別に、KUSF(韓国大学スポーツ総長協議会)では、成績が一定基準を満たしていない学生は、大会などの出場を禁止している。

 これまで大目に見られていた部分もあったが、チョン・ユラの問題が社会的な関心を呼んでから、成績管理が厳しくなった。そのためこの春、延世大学が大学サッカーのリーグ戦であるUリーグの参加を辞退した。28人中14人が基準の成績を満たしておらず、そのうえ、韓国で開催されるU20のワールドカップに選手を出さなければならず、リーグ戦参加が不可能だという理由だ。延世大学は、校名が延禧専門だった時代から、韓国サッカーの歴史を作ってきた名門チームであった。その延世大学すら、チョン・ユラ問題の余波から逃れることはできなかった。

 スポーツの強豪校といえども、学業を優先すべきとの姿勢は、日本でも同じだ。私が明治大に通っていた頃は、強豪チームに属する体育会の学生は、あまり授業に出なかった。時おり配られる出席カードは、授業によっていくつか色が違うが、全ての色を集め、代筆するのもマネージャーの仕事の一つだった、という話を聞いたことがある。今は出欠の管理が厳しくなり、そうしたズルい行為はできなくなっているようだ。練習も早朝や夕方など、できるだけ授業に支障のない時間に行うようになっている。

 スポーツだけやっていれば大学を卒業できるという慣習は、問題が多いのは間違いない。といって、入口の部分では、スポーツさえできていれば良しとしていたのに、入ってから厳しくなるのも、酷ではある。

 特に韓国の場合、以前は、高校の運動部の生徒はほとんど授業に出なかった。近年では授業に出ることを義務付けているものの、受験競争が日本以上に厳しく、運動部の生徒と、勉強だけをしている生徒は完全に2分されている。

 勉強だけをしている生徒にすれば、大会出場のため授業に出ないことも少なくなく、放課後に行われる補習や自主学習に出てこない運動部の生徒に対して、ネガティブな感情もあるようだ。

 韓国のスポーツが強くなった背景に、メダリストなどに対する兵役免除や生涯年金とともに、スポーツ特待生制度もあった。今その柱の一つが大きく揺れている。

 問題の根本的な解決は容易ではない。勉強との両立は小学生の段階から習慣づけなければならないし、勉強だけをしている生徒との垣根もなくしていかなければならない。そして、過渡期の混乱をいかに最小限にすることができるかが、今後の韓国スポーツの活躍のカギとなる。

 

 

2017年4月20日 (木)

韓国プロ野球を沸かす日本ゆかりの若手選手

 世代交代がなかなか進まない韓国のプロ野球であるが、今年は打者ではあるものの、久々にいきのいい若手が登場し、話題になっている。

 1人は、戦前は朝鮮人だけのチームで唯一日本の全国大会に出場実績のある、名門・徽文高校出身の李政厚(ネクセン)だ。韓国にはフランチャイズ地域の高校生(もしくはその学校の卒業生)を1人、優先指名できる制度がある。通常この制度で指名されるのは、投手が多いが、李政厚は、野手でありながら指名された。

 李政厚は3月31日の開幕戦から419日現在、全試合に出場。開幕戦は途中出場であったが、すぐにセンターのレギュラーになり、12番を任されるようになった。419日現在の成績は、63打数21安打、打率.333で、高卒新人でなくても、十分な成績だ。

 李政厚の存在は、昨夏、日本のメディアでも注目されていた。U18アジア野球選手権の韓国代表のメンバーであり、その柔らかい打撃は、韓国チームの中では、群を抜いていた。

 もっとも、李政厚が注目されたのは、その実力もさることながら、父親が、中日でもプレーした李鍾範の息子であることが大きい。しかも、李鍾範が中日でプレーしていた時期に生まれており、名古屋生まれである。

 韓国のプロ野球では、1990年代初めまで、在日韓国人の選手が多くプレーしていた。またハンファの金星根監督のように、京都出身の人もいる。しかし、細かく調べたわけではないが、優先指名を含めたドラフト指名で、日本生まれというのは、初めてだと思う。

 李政厚が生まれたのは1998年。韓国で金融経済危機があり、スポーツ選手の海外進出が進んだ時代だ。李政厚の歩みにも、当時の韓国の状況や、日本との関係も浮かび上がる。

 李政厚の父親である李鍾範が韓国のプロ野球(ヘテ〈現KIA〉)でデビューした1993年、私はソウルで留学生活を送っていた。中日では、日本野球への対応に苦しみ、ハツラツさは影を潜めていたが、デビュー当時、がむしゃらに打球を追い、守備範囲が広く、俊足・巧打のプレーは、強く印象に残っている。

 1年目から活躍した李鍾範であったが、新人王はサムスンの梁埈赫の手に渡り、受賞を逃している。果たして息子はどうか、注目される。

 李政厚とともに、開幕間もない韓国のプロ野球を沸かせているのが、入団2年目の金東燁(SK)だ。昨年143打席を記録しており、今年の新人王の資格はないものの、415日のハンファ戦から19日のネクセン戦まで4試合連続本塁打を記録中である。

 金東燁は、天安北一高校を卒業後、シカゴ・カブスの傘下球団で2012年までプレーしたが芽が出ず、帰国後公益勤務要員として兵役を終えた後、2015年のドラフトで、9巡目、その上にフランチャイズの優先指名があるから、実質的にドラフト10位でSKに入団した。

 私は8年前、天安北一高校時代の金東燁と父親の金相国に取材したことがある。2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で韓国は日本との死闘に敗れたものの、準優勝に輝いた。この大会で大活躍した金泰均(ハンファ)が、どのように成長したかを取材していたが、金相国は、金泰均が天安北一高校在学中の監督であり、金相国自身もピングレ(現ハンファ)などでプレーした経験がある。

 息子の金東燁も天安北一高校の中心打者であったが、私が会った時は、卒業後、シカゴ・カブスに入ることが決まっていた。そして、私が会った前の年まで、宮崎の日南学園に留学していた。日本の思い出を聞くと、「日本では、午後3時まで授業を受けるのが、不思議でした」と答えた。

 今は変わっているが、当時韓国の高校の運動部の生徒は、授業を受けず、練習や試合に没頭するのが一般的であった。

 だからこそ、父親の金相国は、日本に留学させ、アメリカの球団に入団させた。「人生は長い。成功すればいいけれども、韓国、アメリカ、日本の野球を経験するだけでも意味がある」と語っていた。金相国自身、プロ野球を辞め、高校の監督を務めたりもしたが、野球だけで食べていくのは容易でない。そのために、いろいろなことを見ておけ、ということだ。

 金東燁は高校時代、おとなしい青年というイメージだった。その後どうなったか、気にはなっていたが、最近本塁打を連発して報道されるようになり、成長した姿をみることができた。

 最近は在日の選手が韓国でプレーするのは、ほとんど不可能になってきたし、日本人選手が出現する可能性も低くなっている。それでも韓国のプロ野球には、いろいろな形で日本と関わりのある選手がいる。

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天安北一高校時代の金東燁

 

2017年4月14日 (金)

NHLの選手が参加しない平昌五輪

 4月3日、北米プロアイスホッケーリーグ(NHL)は、所属選手の平昌五輪不参加を表明した。もともとその話はあったし、1月中にも結論が出るとの話だったのが4月まで延びたということは、それなりにやり取りはあったのだろうが、結論は変わらなかった。選手会はこの決定に不満を示し、強行出場の意向を持っている選手もいるようだが、契約の問題もあり、そう簡単ではないだろう。

 NHLの選手は1998年の長野五輪以降、続けて参加していたが、今回は、選手の旅費や保険料の支払い問題で折り合いがつかなかったうえ、韓国はNHLの市場拡大戦略の対象外であったことも大きいようだ。

 実際韓国でアイスホッケーはそれほど盛んでない。今回、韓国男子のアイスホッケーチームには6人の帰化選手がいるが、これはそうしないと、平昌五輪に出場できなかったからだ。国内の選手は、私学の両雄である延世大学と高麗大学の定期戦種目の中に、アイスホッケーが含まれているため、辛うじて命脈が保たれているのが実情だ。

 1996年にチャン・ドンゴン主演の「アイシング」というアイスホッケーのドラマが放送され、話題になった。しかし、同じチャン・ドンゴンが主演したバスケットボールのドラマ「最後の勝負(邦題「ファイナル・ジャンプ」)」が、社会現象にまでなり、空前のバスケットボールブームを起こしたのに比べると、影は薄い。

 そういう状況だから、NHLの選手が参加しないからといって、韓国人がそれほど残念がっている様子はない。ただし、外国人の観客の入場を期待しているだけに、影響は大きい。

 そもそも、NHLの選手が出場しないのであれば、1万人もの観客を収容する施設は必要だったのかという問題がある。

 それでなくても、人口約22万人の江陵市に、アイスホッケー場2個、フィギュアスケート・ショートトラック、スピードスケート、カーリングの各1個の、計5個のスケート場を作ること自体、過剰投資であり、負担であった。加えて、アイスホッケーのメイン会場は、NHLの選手の参加を前提に、競技場のキャパを大きくしている。

 平昌五輪に限った問題ではない。今日の五輪は、トップ選手の参加を前提に、施設の設置条件が厳しくなり、それが開催国の負担になっている。

 五輪はそろそろ、トップ選手が集まる最高峰の大会という位置づけにこだわるべきではないと思う。五輪以外に、注目を集める大会があるという競技は、無理に五輪に出る必要はないと思う。実際ワールドカップを最高峰の大会としているサッカーは、23歳以下になっている。

 NHLについては詳しくないので、下部リーグや、他のリーグとのレベルの差がどれほどあるか、よくわからない。

 ただ野球についていえば、確かにメジャーリーグが、最高峰のリーグであることは間違いない。アメリカがようやく本気になってきた今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、確かに面白かった。

 しかし、U18の大会を何度か取材したことがあるが、スカウトの目に留まろうと、目をギラギラさせて必死に戦っている選手たちもまた、知名度は低くても、魅力的である。

 今回のNHLの選手の不参加を契機に、五輪を最高レベル選手が集まる大会から、五輪を最高だと思う選手が集まる大会に変えていくべきではないか。そして、開催国の該当競技に対する実情を無視し、不釣り合いに立派な施設の建設も、是正すべきだと思う。

 今回のNHLの選手の不参加問題は、五輪を身の丈に合った大会にする契機にするべきだ。

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神宮外苑、20174月の風景

 学生野球シーズンが始まり、神宮外苑に行く機会が増えるようになった。新国立競技場の建設工事が本格的に始まり、静かだった神宮外苑にも、工事車両の通行が目立つようになった。

 都営住宅の隣り、旧日本青年館と、神宮第2球場の間の、カーブするところにある公園に桜の木があった。第2球場で高校野球の春季大会を取材する合間に、桜を鑑賞するのを毎年楽しみにしていたが、今年はバッサリ切られ、都営住宅や、公園もろともなくなっていた。

 神宮球場の三塁側スタンドの外側には、日本スポーツ振興センターの本部棟の建物が、威容を現した。この建物、数100㍍青山通り側であれば、それほど違和感はないだろう。しかし、神宮外苑に隣接し、隣に国学院高校や都立青山高校がある、このエリアでは、かなりの違和感だ。それに、これだけの大きさの建物だと、神宮球場の風にも影響が出るのではないか。

 加えて、神宮球場と秩父宮ラグビー場の敷地交換の話である。場所交換の理由の一つに、青山通りに近い、現在のラグビー場の位置だと、ビル風の影響を受けやすいことも挙げられている。日本スポーツ振興センターの本部棟のビル一つなら、影響は少ないかもしれないが、風の影響はあるにはあるだろう。となると、交換の意味は本当にあるのか、ますます分からない。

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昨年の4月、角地の公園の桜

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上の写真のほぼ同じ場所の今年の状況

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神宮球場に隣接した場所に立つビル




2017年3月31日 (金)

全員外国人になった韓国プロ野球の開幕投手

 3年間、海の中に沈んでいたセウォル号が引き上げられ、朴槿恵前大統領が逮捕される。韓国は時代の転換期の大きなうねりの中にいる331日、日本と同様、プロ野球開幕の日を迎える。

 プロ野球ファンにとっては待ちに待ったシーズン開幕かもしれないが、世の中が騒然とする中、盛り上がりには欠けている。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は1次ラウンドで敗退し、それでなくても気勢が上がらない。開幕戦を盛り上げる要素に、開幕投手があるが、今回、史上初めて、10球団の開幕投手が全て外国人になった。日本のプロ野球の開幕戦では外国人は3人で、残りは日本の選手になっている。

 これまで韓国のプロ野球は土曜日の昼に開幕戦が行われていたが、昨年から金曜日の夜に行われるようになった。この時期の韓国の夜は、底冷えがする寒さだ。ネクセンの本拠地である高尺スカイドームを除けば、韓国人の看板投手は、より多くの観客が見込める、デーゲームで行われる土日の試合に登板させる営業的な事情もなくはないだろう。ただし、現状をみれば、開幕投手が全員外国人というのも、妥当なところではある。

 それでも昨年は、一時DeNA移籍の話もあったKIAの梁玹種をはじめSKの金廣鉉など、韓国人投手が4人いた。KIAの開幕戦は大邱であるため、梁は光州で行われるホームの開幕戦に登板すると予想されている。一方、故障のためWBCにも出場できなかった金廣鉉は、いつ復帰できるか、分からいない状態だ。これでは、WBCで韓国が勝てなかったのも、無理からぬ気がする。

 韓国のプロ野球で外国人選手が出場できるようになったのは、1998年から。最初は日本でもプレーしたウッズ(斗山)など、圧倒的なパワーを持つ強打者を据えるケースが多かった。しかし、登録も出場も2名だけに限られていた外国人選手の能力を、最大限有効に活用するには、投手の方が効果的という考えが広がり、ここ10年以上前から、外国人選手はほとんどが投手になった。

 韓国のプロ野球は長年8球団体制であったが、4年前のNCに続き、2年前にKTが加わり、韓国のプロ野球が10球団体制になると、水準維持のため、外国人選手枠を1人増やした。ただし同じポジションは2人までとなったため、1人は必然的に野手になり、打高投低現象がより際立つようになった。その対策として、外国人投手がより重宝され、韓国人投手の立場は弱まるという循環になっている。

 2000年頃、韓国のプロ野球は、打高投低であった。当時ドジャーズで活躍していた朴賛浩に刺激され、高校や大学の有望な投手が次々とアメリカに旅立ったからだ。ところが、アメリカで活躍するのは容易でないという認識が韓国内で広がり、栁賢振(ハンファ→ドジャーズ)や金廣鉉のように、まず韓国でプロ生活を始める選手が増え、奉重根(現LG)のようなアメリカからのUターン組も出てきたことから、投手の質が上がり、投高打低になっていた。

 しかしながら、世代交代が進まず、外国人の打者が増えたことで、またも打高投低になっている。韓国のプロ野球機構であるKBO(韓国野球委員会)は、今年から、高めのストライクゾーンを広げるなど、打高投低対策に乗り出したが、成果がどれほどあるか。

 もっとも、開幕投手が全員外国人であったとしても、韓国の野球ファンがそれを受け入れ、納得して声援を送るのであれば、韓国人の意識の変化として、それはそれで興味深い。

 話は変わるが、319日、ソウル国際マラソン(東亜マラソン)が開催された。この大会を報じる『東亜日報』の320日付一面の見出しは、「“マラソン名品”5位まで2時間6分台」というものだった。

 近年、この大会を報じる東亜日報の関心は、韓国人選手の記録より、大会のトップグループの記録に集まっている。好記録が出る大会には、ハイレベルの選手が集まり、大会の価値が高まるのは確かだ。

 けれども、上位の選手はケニアなどのアフリカ勢。最初から外国人選手部門と国内選手部門に分けられている。ちなみにこの大会の国際男子1位の記録は2時間554秒、国内男子1位の記録は2時間141秒になっている。

 東亜マラソンは、ベルリン五輪金メダリストの孫基禎、アトランタ五輪銀メダリストの李鳳柱など、韓国マラソンの英雄たちが優勝した大会である。日本も厳しい状況にあるが、韓国はもっと世界との距離が広がっている。

 自国の選手の実力が伸び悩んでいる中、外国人でそれを補うというのは、スポーツに限らず、今の韓国社会を象徴しているようにも思える。成り行きを注目したい傾向だ。

2017年3月24日 (金)

元日本ハムのヒルマン監督、韓国でも成功するか?

 今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、アメリカが初優勝し幕を閉じたが、1次ラウンドで敗退した韓国にとっては、WBCはもう遠い過去の話になっている。韓国のプロ野球は331日の開幕に向けて、オープン戦が行われている。

 韓国のプロ野球は今年、10球団中4球団で監督が代わった。結果が全てのプロの世界ではあるが、韓国は結果を求めるサイクルが短く、監督交代、新監督の就任自体、珍しいことではない。それでも、SKの新監督の人選は意外であった。SKの新監督は、元日本ハムの監督のヒルマンである。

 韓国のプロ野球で外国人監督とされるのは、2008年にロッテの監督に就任したロイスター以来2人目(土居章助もロッテの監督代行を務めた)である。日本のプロ野球経験者は、元南海の金永徳(日本名・金彦任重)、戦後初めて韓国から日本のプロ野球に入った白仁天、中日でも活躍した宣銅烈、近鉄でプレーした宋一秀(日本名・石山一秀)などがいるが、日本と韓国のプロ野球で監督を務めるのは、初めてのケースである。ヒルマンはロイヤルズの監督も歴任しており、日米韓で監督を務めたことになる。

 ヒルマンが日本ハムの監督に就任したのは、日本ハムの本拠地が東京から札幌に移行する時期であった2003年だった。ヒルマン自身はメジャーの選手経験はなく、選手としての実績はほとんどないものの、指導者としてのキャリアを積み重ねていた。

 当時の日本ハムは、メジャーリーグのようなフロントと現場の分業を目指していたが、その方針を理解する人物として、白羽の矢が立ったという。

 日本ハムの就任した当初は、2004年は3位だったものの、03年と05年は5位と、パッとしたものではなかった。しかしながら、06年と07年はリーグ優勝、特に06年は日本シリーズとアジアシリーズを制した。

 日本ハムの監督に就任した当初、ヒルマンはアメリカ流にこだわった。練習時間は短く、キャンプ中は投手の球数も制限したため、もっと投げたい投手には、不満も多かった。

 最初の3年間の成績を受けて、選手とのコミュニケーションも積極的に行い、球数制限も大幅に緩和した。作戦面では、バントも多用するようになった。こうした変化が、4年目からの好成績につながった。

 ではSKの状況はどうなのか。SKは2007年から黄金時代を迎えていた。当時の監督は、京都で生まれ育ち、韓国では野球の神様を意味する「野神」と呼ばれる金星根であった。金星根は韓国ではデータ野球を最も活用する指導者である。当時のSKは、金星根を伊勢孝夫、福原峰夫、加藤初らの日本人コーチが補佐し、ID野球として知られていた。もっとも、ヤクルトのコーチ時代、野村克也のID野球を支えた伊勢に言わせると、「あれでID野球と言ったら、ノムさん(野村克也)に鼻で笑われる」といったレベルだったようだが、それでも、韓国の中では細かい野球をしていた。

 金星根は2011年、球団のフロントと対立し、解任される。金星根の後を継いだのは、韓国プロ野球草創期のホームラン打者・李萬洙である。李萬洙は豪放磊落な性格で野球ファンの人気が高く、現役引退後は、アメリカでコーチ修業も行っている。

 細かいことにこだわらない李萬洙監督時代、試合中サインを出す回数は、金星根監督時代の半分以下だったという話もある。順位は、李萬洙監督就任1年目の2012年は韓国シリーズに進出したものの、翌年からは順位を落とし、Bクラスに甘んじ、2014年のシーズン終了後退任している。極から極に動いたことで、SKの野球が迷走している中での、ヒルマン監督の就任である。

 ヒルマン監督成功のカギを握るのは、昨年までネクセンの監督を務め、今年からSKの団長(日本の球団代表に相当)に就任した廉京燁である。

 これまで韓国のプロ野球のフロントは、選手経験のない、親会社の人が務めることが多かったが、近年は、フロントを強化するため、選手経験のある人が就任するようになってきた。その中でも、とりわけ注目されているのが、廉京燁である。

 廉京燁は、2013年から昨年までネクセンの監督を務め、戦力的には決して恵まれないネクセンを、常にポストシーズンに進めていた。その廉京燁のSK団長就任は、野球関係者を驚かせた。

 廉京燁が、ヒルマンをしっかり支えれば、SKはかつての栄光を取り戻す可能性がある。逆に、監督としての実績があるだけに、必要以上に現場に介入すれば、チームは機能しなくなる可能性がある。

 ヒルマンは、日本ハム監督時代は4年目に結果を出した。しかし韓国は、そこまで待たない。日本やアメリカでの経験を生かして、いかに韓国に適応するか。

 日本ハム時代のヒルマン監督といえば、試合後、「北海道の皆さんは世界で一番です」と語りかけたり、ギター片手に歌を歌ったりといったファンサービスが印象に残っている。そうした性格は、韓国でも支持されるだろう。ただしそれも、ある程度結果を残していればの話である。

2017年3月16日 (木)

長期化の可能性もある韓国野球の低迷

 朴槿恵大統領の罷免が決まり、次期大統領を決める選挙は59日に行われる。今までなら、当選から就任式まで約2か月の政権引き継ぎ期間があったが、今回は、当選とともに、新大統領が就任することになる。韓国としては、これまで経験したことがないことが続き、混乱は当分続きそうだ。

 国家の一大事の中、ほとんど注目されないが、韓国はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、2大会続けて1次ラウンドで敗退した。韓国はオランダには完敗であったが、意外に強かったイスラエルとは延長に及ぶ熱戦をし、台湾には競り勝った。もし負傷で欠場した金廣鉉(SK)や、朴炳鎬(ツインズ)といったメジャーリーグの選手が加わっていれば、流れは違ったかもしれない。それでも、世代交代が進まない韓国野球の現状をみると、低迷は長期化する可能性がある。 

 韓国は2006年の第1回WBCでベスト4、2008年の北京五輪で金メダル、2009年の第2回WBCで準優勝と、輝かしい実績を誇る。とはいえ、実力的にはまだ日本が上回っている。それでも、日本と対等、時にはそれ以上の実績を残せた理由の一つに、国際大会の経験の豊富さがある。

 近年日本も高校生レベルの国際大会にも積極的に出場するようになったが、以前は日程が夏の甲子園大会に重なることが多かったこともあり、消極的であった。それに対して韓国は、U18野球W杯の前身である、AAA世界野球選手権が1981年に始まった時からトップ選手を選抜したチームを送り、1981年、94年、2000年、2006年、2008年の5回優勝している。これは、キューバの11回、アメリカの8回に次ぐ成績である。

 1981年に優勝した時は、後に中日でも活躍した宣銅烈おり、宣は82年にソウルで開催された世界アマチュア野球選手権での韓国の初優勝に貢献した。94年のメンバーには韓国を代表するホームラン打者・李承燁(サムスン)がおり、2000年のメンバーには秋信守(レンジャース)、李大浩(ロッテ)、金泰均(ハンファ)、鄭根宇(ハンファ)らがいる。

 1982年に韓国のプロ野球が誕生した頃に生まれた2000年の優勝メンバーは、韓国野球の黄金世代である。中学生の頃、韓国人初のメジャーリーガーであるドジャーズの朴賛浩の影響を受けたとういう点では、朴賛浩キッズの第1世代で、2006年の優勝メンバーである金廣鉉は、朴賛浩キッズの最後の方の世代となる。2008年の優勝メンバーには、目立った選手はいないものの、高卒ながらすぐにプロの1軍で活躍した選手もいる。

 1981年のメンバーはともかく、李承燁以後、AAA世界野球選手権で活躍した選手が、WBCや北京五輪で活躍した。日本などは国際試合に力を入れていなかっただけに、それは大きなアドバンテージであった。

 メジャーリーグ主体で開催されるWBCは、国際大会としては、問題や違和感がある。それでも、WBCは野球の国際大会の面白さを認識させ、各国に代表チームの意識を目覚めさせた。その意味では、今まで韓国が持っていた優位はなくなっている。

 また韓国のスポーツは少数エリート主義で、高校のチーム数は6070くらいしかない。同世代の選手は幼い頃から顔見知りであり、代表チームでも一体感を作りやすい。

 その一方で少数エリート主義は多様性がなく、一度歯車が狂いだすとなかなか元に戻らない。韓国の野球は金廣鉉が出て以降、その状態になりつつあり、次の世代が出てこない。 

 金廣鉉は1988年生まれであるが、野球に限らず韓国のスポーツ全体に、ソウル五輪が開催された1988年前後に生まれた世代は、優秀な選手が多いが、それ以降は落ちる傾向にある。原因としては、1997年末に始まる金融経済危機の影響が挙げられている。加えて野球の場合、2002年のサッカーW杯のため、サッカー人気が高まり、野球人気が落ち込んでいたことも影響している。

 ただそれならば、第1回、第2回のWBCや北京五輪での優勝をみて育った、これからの世代は期待できそうだが、そうもいかない。 

 韓国ではスポーツをする子供は授業をほとんど受けないでスポーツに専念していたが、近年方針が変わった。韓国では平日でも高校野球の全国大会が開催されていたが、2011年から、平日は授業を受けて、週末だけ、近隣の高校とリーグ戦を行う、週末リーグ制が導入された。方向性は正しいと思うが、現状では勉強もスポーツの両方とも中途半端になっているようだ。

 また2007年にソウルの中心部にあり、高校野球の大会が開催されていた東大門野球場が都市開発により撤去された。1982年にプロ野球が始まって以降、韓国の高校野球人気は落ちていたが、それでも、東大門野球場があった頃は、観客もそこそこいたが、撤去以降は、高校野球人気は大きく落ち込んだ。

 それでも磨けば光る、原石のような選手はたくさんいる。けれどもその多くが、プロに入る頃には肩や肘を痛めている。酷使の問題もあるが、投球前後のケアや、上体に頼り肘の負担が多い、投球フォームにも問題がある。

 また、八百長は論外にしても、高校生レベルでも、死球狙いでわざと当たりにいくなど、野球に対する姿勢にも問題がある。

 そうした問題はあっても、12人と天才的な選手が出てくれば、低迷の懸念はなくなるだろう。しかしながら、現状は厳しいと言わざるを得ない。

2017年3月 8日 (水)

危機意識の欠如が招いた韓国野球の危機

 朴槿恵大統領のスキャンダルに続き、北朝鮮による金正男暗殺、ミサイル発射、中韓関係悪化など、韓国では落ち着くことなく、ビッグニュースが続いている。

 1998年の金融経済危機の時、女子ゴルフの朴セリの活躍が国民の励みになったように、韓国では困難に直面した時、国民に勇気と希望を与えたのがスポーツであった。

 36日から第4回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の先陣を切って、ソウルの高尺スカイドームで、韓国ラウンドの試合が始まった。ドーム球場が完成したことによる、韓国悲願のWBC開催であった。

 その開幕戦、世界ランク3位の韓国は、世界ランク41位のイスラエルに延長戦の末敗れ、7日には、オランダに5-0で完敗した。重い空気が漂う韓国社会を、さらに重くする結果になっている。

 WBCの場合国籍主義ではなく、ルーツがあるなど代表の範囲を幅広く認めている。今回のイスラエルチームの場合も、メジャーリーグ経験者を含め、ほぼ全員がアメリカ育ちのメンバーであり、世界ランクはあまり意味がない。それでも、開幕戦の敗戦は衝撃的であった。四死球9を記録した韓国投手陣の乱調は問題ではあるが、ここ数年、打高投低の韓国野球の傾向をみれば、10回で2点しか失っていないのだから、上出来と言っていい。

 問題は打線である。イスラエル戦も、オランダ戦も走者を出しながら、その後がつながらず、併殺などでチャンスを簡単に潰した。

 昨年のシーズンで、打点、打率、最多安打のタイトルを獲得し、打線の中心選手と期待された崔炯宇(KIA)は不振で、オランダ戦に代打で登場したのみ。金泰均(ハンファ)、李大浩(ロッテ)らも当たりが出ないことが響いている。

 さらに状況に応じた作戦遂行能力のある2番打者の鄭根宇(ハンファ)の欠場も韓国には誤算であった。金寅植監督は、自ら仕掛けるタイプではなく、選手の判断に任せるスタイルだ。それだけに、つなぎの役割を果たせる鄭根宇の存在は大きい。

 そもそも今回のメンバーには、エース候補であった金廣鉉(SK)のほか、メジャーリーグの選手も呉昇桓(カージナルス)を除き欠場し、最初から「史上最弱」の呼び声もあった。金寅植監督も、その当たりの危機感は十分にあったと思う。しかしそれを、選手全体、ひいては韓国球界全体が共有していたかと言えば、疑問である。

 ベスト4に進出した2006年の第1回大会の頃は、危機意識に溢れていた。韓国サッカーは2002年のW杯で4強に進出し、国民を熱狂させた。それに対し野球は、2004年のアテネ五輪の出場を逃していた。

 2004年のシーズンの総観客動員数は約233万人(1試合平均(約4400人)しかなかった。危機感を抱いた韓国球界は、第1回WBCでは各球団の現役の監督が、代表の監督、コーチを務め、球界を挙げて臨み4強に進んだ。

 2009年の第2回大会では、前年の北京五輪で金メダルを獲得し、気の抜けた状態であった。海外組の欠場も相次ぎ、期待はそれほどされていなかった。しかしながら、最初の日本戦で2-14のコールド負けを喫すると、このままでは北京五輪の金メダルも台無しになると金寅植監督を中心に危機意識が生まれ、それが選手たちにも広がった。

 第1回、第2回のWBCに共通するのは、第1回の李承燁、李鍾範、第2回の奉重根、捕手の朴勍完のように、監督の気持ちを、打てば響くように、チーム全体に広げるようなリーダーが存在したことだ。今回のメンバーには、闘志を持ってプレーした選手はいたように思うが、それを共有させるような選手はいなかったように思う。

 さらに4年前の3回大会で韓国は、1次ラウンドで敗退しながらも、韓国プロ野球の観客数は、ほとんど変わらなかった。昨年は総観客数が史上初めて800万人を超えた。

 不況も、相次ぐ八百長発覚も、観客数には影響がないようにみえる。そのため、各球団も選手も、代表チームより、まず球団や各個人の成績の方に目が行っている。

 けれども、過去のWBCの好成績や、北京五輪の金メダルは、韓国が他の国以上に代表チームに力を入れていたからにほかならない。意識が他の国と同じ、もしくは低ければ、結果は自ずとみえている。

 もちろん今回のWBCも、まだ1次ラウンドでの敗退が決まったわけではない。しかし、可能性があるとすれば、台湾、イスラエルがオランダを破り、韓国が台湾に勝った場合のみ、韓国、台湾、オランダが、12敗で2位に並ぶということなので、確率は低い。

 地元開催で、1次ラウンド敗退となれば、衝撃は大きい。ただちに観客減にならなくても、影響はジワジワ出てくるだろう。

 問題点は多々あるが、まずは韓国球界全体で危機意識を共有すること。再出発はそこからである。

 

 

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