2017年4月20日 (木)

韓国プロ野球を沸かす日本ゆかりの若手選手

 世代交代がなかなか進まない韓国のプロ野球であるが、今年は打者ではあるものの、久々にいきのいい若手が登場し、話題になっている。

 1人は、戦前は朝鮮人だけのチームで唯一日本の全国大会に出場実績のある、名門・徽文高校出身の李政厚(ネクセン)だ。韓国にはフランチャイズ地域の高校生(もしくはその学校の卒業生)を1人、優先指名できる制度がある。通常この制度で指名されるのは、投手が多いが、李政厚は、野手でありながら指名された。

 李政厚は3月31日の開幕戦から419日現在、全試合に出場。開幕戦は途中出場であったが、すぐにセンターのレギュラーになり、12番を任されるようになった。419日現在の成績は、63打数21安打、打率.333で、高卒新人でなくても、十分な成績だ。

 李政厚の存在は、昨夏、日本のメディアでも注目されていた。U18アジア野球選手権の韓国代表のメンバーであり、その柔らかい打撃は、韓国チームの中では、群を抜いていた。

 もっとも、李政厚が注目されたのは、その実力もさることながら、父親が、中日でもプレーした李鍾範の息子であることが大きい。しかも、李鍾範が中日でプレーしていた時期に生まれており、名古屋生まれである。

 韓国のプロ野球では、1990年代初めまで、在日韓国人の選手が多くプレーしていた。またハンファの金星根監督のように、京都出身の人もいる。しかし、細かく調べたわけではないが、優先指名を含めたドラフト指名で、日本生まれというのは、初めてだと思う。

 李政厚が生まれたのは1998年。韓国で金融経済危機があり、スポーツ選手の海外進出が進んだ時代だ。李政厚の歩みにも、当時の韓国の状況や、日本との関係も浮かび上がる。

 李政厚の父親である李鍾範が韓国のプロ野球(ヘテ〈現KIA〉)でデビューした1993年、私はソウルで留学生活を送っていた。中日では、日本野球への対応に苦しみ、ハツラツさは影を潜めていたが、デビュー当時、がむしゃらに打球を追い、守備範囲が広く、俊足・巧打のプレーは、強く印象に残っている。

 1年目から活躍した李鍾範であったが、新人王はサムスンの梁埈赫の手に渡り、受賞を逃している。果たして息子はどうか、注目される。

 李政厚とともに、開幕間もない韓国のプロ野球を沸かせているのが、入団2年目の金東燁(SK)だ。昨年143打席を記録しており、今年の新人王の資格はないものの、415日のハンファ戦から19日のネクセン戦まで4試合連続本塁打を記録中である。

 金東燁は、天安北一高校を卒業後、シカゴ・カブスの傘下球団で2012年までプレーしたが芽が出ず、帰国後公益勤務要員として兵役を終えた後、2015年のドラフトで、9巡目、その上にフランチャイズの優先指名があるから、実質的にドラフト10位でSKに入団した。

 私は8年前、天安北一高校時代の金東燁と父親の金相国に取材したことがある。2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で韓国は日本との死闘に敗れたものの、準優勝に輝いた。この大会で大活躍した金泰均(ハンファ)が、どのように成長したかを取材していたが、金相国は、金泰均が天安北一高校在学中の監督であり、金相国自身もピングレ(現ハンファ)などでプレーした経験がある。

 息子の金東燁も天安北一高校の中心打者であったが、私が会った時は、卒業後、シカゴ・カブスに入ることが決まっていた。そして、私が会った前の年まで、宮崎の日南学園に留学していた。日本の思い出を聞くと、「日本では、午後3時まで授業を受けるのが、不思議でした」と答えた。

 今は変わっているが、当時韓国の高校の運動部の生徒は、授業を受けず、練習や試合に没頭するのが一般的であった。

 だからこそ、父親の金相国は、日本に留学させ、アメリカの球団に入団させた。「人生は長い。成功すればいいけれども、韓国、アメリカ、日本の野球を経験するだけでも意味がある」と語っていた。金相国自身、プロ野球を辞め、高校の監督を務めたりもしたが、野球だけで食べていくのは容易でない。そのために、いろいろなことを見ておけ、ということだ。

 金東燁は高校時代、おとなしい青年というイメージだった。その後どうなったか、気にはなっていたが、最近本塁打を連発して報道されるようになり、成長した姿をみることができた。

 最近は在日の選手が韓国でプレーするのは、ほとんど不可能になってきたし、日本人選手が出現する可能性も低くなっている。それでも韓国のプロ野球には、いろいろな形で日本と関わりのある選手がいる。

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天安北一高校時代の金東燁

 

2017年4月14日 (金)

NHLの選手が参加しない平昌五輪

 4月3日、北米プロアイスホッケーリーグ(NHL)は、所属選手の平昌五輪不参加を表明した。もともとその話はあったし、1月中にも結論が出るとの話だったのが4月まで延びたということは、それなりにやり取りはあったのだろうが、結論は変わらなかった。選手会はこの決定に不満を示し、強行出場の意向を持っている選手もいるようだが、契約の問題もあり、そう簡単ではないだろう。

 NHLの選手は1998年の長野五輪以降、続けて参加していたが、今回は、選手の旅費や保険料の支払い問題で折り合いがつかなかったうえ、韓国はNHLの市場拡大戦略の対象外であったことも大きいようだ。

 実際韓国でアイスホッケーはそれほど盛んでない。今回、韓国男子のアイスホッケーチームには6人の帰化選手がいるが、これはそうしないと、平昌五輪に出場できなかったからだ。国内の選手は、私学の両雄である延世大学と高麗大学の定期戦種目の中に、アイスホッケーが含まれているため、辛うじて命脈が保たれているのが実情だ。

 1996年にチャン・ドンゴン主演の「アイシング」というアイスホッケーのドラマが放送され、話題になった。しかし、同じチャン・ドンゴンが主演したバスケットボールのドラマ「最後の勝負(邦題「ファイナル・ジャンプ」)」が、社会現象にまでなり、空前のバスケットボールブームを起こしたのに比べると、影は薄い。

 そういう状況だから、NHLの選手が参加しないからといって、韓国人がそれほど残念がっている様子はない。ただし、外国人の観客の入場を期待しているだけに、影響は大きい。

 そもそも、NHLの選手が出場しないのであれば、1万人もの観客を収容する施設は必要だったのかという問題がある。

 それでなくても、人口約22万人の江陵市に、アイスホッケー場2個、フィギュアスケート・ショートトラック、スピードスケート、カーリングの各1個の、計5個のスケート場を作ること自体、過剰投資であり、負担であった。加えて、アイスホッケーのメイン会場は、NHLの選手の参加を前提に、競技場のキャパを大きくしている。

 平昌五輪に限った問題ではない。今日の五輪は、トップ選手の参加を前提に、施設の設置条件が厳しくなり、それが開催国の負担になっている。

 五輪はそろそろ、トップ選手が集まる最高峰の大会という位置づけにこだわるべきではないと思う。五輪以外に、注目を集める大会があるという競技は、無理に五輪に出る必要はないと思う。実際ワールドカップを最高峰の大会としているサッカーは、23歳以下になっている。

 NHLについては詳しくないので、下部リーグや、他のリーグとのレベルの差がどれほどあるか、よくわからない。

 ただ野球についていえば、確かにメジャーリーグが、最高峰のリーグであることは間違いない。アメリカがようやく本気になってきた今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、確かに面白かった。

 しかし、U18の大会を何度か取材したことがあるが、スカウトの目に留まろうと、目をギラギラさせて必死に戦っている選手たちもまた、知名度は低くても、魅力的である。

 今回のNHLの選手の不参加を契機に、五輪を最高レベル選手が集まる大会から、五輪を最高だと思う選手が集まる大会に変えていくべきではないか。そして、開催国の該当競技に対する実情を無視し、不釣り合いに立派な施設の建設も、是正すべきだと思う。

 今回のNHLの選手の不参加問題は、五輪を身の丈に合った大会にする契機にするべきだ。

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神宮外苑、20174月の風景

 学生野球シーズンが始まり、神宮外苑に行く機会が増えるようになった。新国立競技場の建設工事が本格的に始まり、静かだった神宮外苑にも、工事車両の通行が目立つようになった。

 都営住宅の隣り、旧日本青年館と、神宮第2球場の間の、カーブするところにある公園に桜の木があった。第2球場で高校野球の春季大会を取材する合間に、桜を鑑賞するのを毎年楽しみにしていたが、今年はバッサリ切られ、都営住宅や、公園もろともなくなっていた。

 神宮球場の三塁側スタンドの外側には、日本スポーツ振興センターの本部棟の建物が、威容を現した。この建物、数100㍍青山通り側であれば、それほど違和感はないだろう。しかし、神宮外苑に隣接し、隣に国学院高校や都立青山高校がある、このエリアでは、かなりの違和感だ。それに、これだけの大きさの建物だと、神宮球場の風にも影響が出るのではないか。

 加えて、神宮球場と秩父宮ラグビー場の敷地交換の話である。場所交換の理由の一つに、青山通りに近い、現在のラグビー場の位置だと、ビル風の影響を受けやすいことも挙げられている。日本スポーツ振興センターの本部棟のビル一つなら、影響は少ないかもしれないが、風の影響はあるにはあるだろう。となると、交換の意味は本当にあるのか、ますます分からない。

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昨年の4月、角地の公園の桜

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上の写真のほぼ同じ場所の今年の状況

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神宮球場に隣接した場所に立つビル




2017年3月31日 (金)

全員外国人になった韓国プロ野球の開幕投手

 3年間、海の中に沈んでいたセウォル号が引き上げられ、朴槿恵前大統領が逮捕される。韓国は時代の転換期の大きなうねりの中にいる331日、日本と同様、プロ野球開幕の日を迎える。

 プロ野球ファンにとっては待ちに待ったシーズン開幕かもしれないが、世の中が騒然とする中、盛り上がりには欠けている。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は1次ラウンドで敗退し、それでなくても気勢が上がらない。開幕戦を盛り上げる要素に、開幕投手があるが、今回、史上初めて、10球団の開幕投手が全て外国人になった。日本のプロ野球の開幕戦では外国人は3人で、残りは日本の選手になっている。

 これまで韓国のプロ野球は土曜日の昼に開幕戦が行われていたが、昨年から金曜日の夜に行われるようになった。この時期の韓国の夜は、底冷えがする寒さだ。ネクセンの本拠地である高尺スカイドームを除けば、韓国人の看板投手は、より多くの観客が見込める、デーゲームで行われる土日の試合に登板させる営業的な事情もなくはないだろう。ただし、現状をみれば、開幕投手が全員外国人というのも、妥当なところではある。

 それでも昨年は、一時DeNA移籍の話もあったKIAの梁玹種をはじめSKの金廣鉉など、韓国人投手が4人いた。KIAの開幕戦は大邱であるため、梁は光州で行われるホームの開幕戦に登板すると予想されている。一方、故障のためWBCにも出場できなかった金廣鉉は、いつ復帰できるか、分からいない状態だ。これでは、WBCで韓国が勝てなかったのも、無理からぬ気がする。

 韓国のプロ野球で外国人選手が出場できるようになったのは、1998年から。最初は日本でもプレーしたウッズ(斗山)など、圧倒的なパワーを持つ強打者を据えるケースが多かった。しかし、登録も出場も2名だけに限られていた外国人選手の能力を、最大限有効に活用するには、投手の方が効果的という考えが広がり、ここ10年以上前から、外国人選手はほとんどが投手になった。

 韓国のプロ野球は長年8球団体制であったが、4年前のNCに続き、2年前にKTが加わり、韓国のプロ野球が10球団体制になると、水準維持のため、外国人選手枠を1人増やした。ただし同じポジションは2人までとなったため、1人は必然的に野手になり、打高投低現象がより際立つようになった。その対策として、外国人投手がより重宝され、韓国人投手の立場は弱まるという循環になっている。

 2000年頃、韓国のプロ野球は、打高投低であった。当時ドジャーズで活躍していた朴賛浩に刺激され、高校や大学の有望な投手が次々とアメリカに旅立ったからだ。ところが、アメリカで活躍するのは容易でないという認識が韓国内で広がり、栁賢振(ハンファ→ドジャーズ)や金廣鉉のように、まず韓国でプロ生活を始める選手が増え、奉重根(現LG)のようなアメリカからのUターン組も出てきたことから、投手の質が上がり、投高打低になっていた。

 しかしながら、世代交代が進まず、外国人の打者が増えたことで、またも打高投低になっている。韓国のプロ野球機構であるKBO(韓国野球委員会)は、今年から、高めのストライクゾーンを広げるなど、打高投低対策に乗り出したが、成果がどれほどあるか。

 もっとも、開幕投手が全員外国人であったとしても、韓国の野球ファンがそれを受け入れ、納得して声援を送るのであれば、韓国人の意識の変化として、それはそれで興味深い。

 話は変わるが、319日、ソウル国際マラソン(東亜マラソン)が開催された。この大会を報じる『東亜日報』の320日付一面の見出しは、「“マラソン名品”5位まで2時間6分台」というものだった。

 近年、この大会を報じる東亜日報の関心は、韓国人選手の記録より、大会のトップグループの記録に集まっている。好記録が出る大会には、ハイレベルの選手が集まり、大会の価値が高まるのは確かだ。

 けれども、上位の選手はケニアなどのアフリカ勢。最初から外国人選手部門と国内選手部門に分けられている。ちなみにこの大会の国際男子1位の記録は2時間554秒、国内男子1位の記録は2時間141秒になっている。

 東亜マラソンは、ベルリン五輪金メダリストの孫基禎、アトランタ五輪銀メダリストの李鳳柱など、韓国マラソンの英雄たちが優勝した大会である。日本も厳しい状況にあるが、韓国はもっと世界との距離が広がっている。

 自国の選手の実力が伸び悩んでいる中、外国人でそれを補うというのは、スポーツに限らず、今の韓国社会を象徴しているようにも思える。成り行きを注目したい傾向だ。

2017年3月24日 (金)

元日本ハムのヒルマン監督、韓国でも成功するか?

 今回のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、アメリカが初優勝し幕を閉じたが、1次ラウンドで敗退した韓国にとっては、WBCはもう遠い過去の話になっている。韓国のプロ野球は331日の開幕に向けて、オープン戦が行われている。

 韓国のプロ野球は今年、10球団中4球団で監督が代わった。結果が全てのプロの世界ではあるが、韓国は結果を求めるサイクルが短く、監督交代、新監督の就任自体、珍しいことではない。それでも、SKの新監督の人選は意外であった。SKの新監督は、元日本ハムの監督のヒルマンである。

 韓国のプロ野球で外国人監督とされるのは、2008年にロッテの監督に就任したロイスター以来2人目(土居章助もロッテの監督代行を務めた)である。日本のプロ野球経験者は、元南海の金永徳(日本名・金彦任重)、戦後初めて韓国から日本のプロ野球に入った白仁天、中日でも活躍した宣銅烈、近鉄でプレーした宋一秀(日本名・石山一秀)などがいるが、日本と韓国のプロ野球で監督を務めるのは、初めてのケースである。ヒルマンはロイヤルズの監督も歴任しており、日米韓で監督を務めたことになる。

 ヒルマンが日本ハムの監督に就任したのは、日本ハムの本拠地が東京から札幌に移行する時期であった2003年だった。ヒルマン自身はメジャーの選手経験はなく、選手としての実績はほとんどないものの、指導者としてのキャリアを積み重ねていた。

 当時の日本ハムは、メジャーリーグのようなフロントと現場の分業を目指していたが、その方針を理解する人物として、白羽の矢が立ったという。

 日本ハムの就任した当初は、2004年は3位だったものの、03年と05年は5位と、パッとしたものではなかった。しかしながら、06年と07年はリーグ優勝、特に06年は日本シリーズとアジアシリーズを制した。

 日本ハムの監督に就任した当初、ヒルマンはアメリカ流にこだわった。練習時間は短く、キャンプ中は投手の球数も制限したため、もっと投げたい投手には、不満も多かった。

 最初の3年間の成績を受けて、選手とのコミュニケーションも積極的に行い、球数制限も大幅に緩和した。作戦面では、バントも多用するようになった。こうした変化が、4年目からの好成績につながった。

 ではSKの状況はどうなのか。SKは2007年から黄金時代を迎えていた。当時の監督は、京都で生まれ育ち、韓国では野球の神様を意味する「野神」と呼ばれる金星根であった。金星根は韓国ではデータ野球を最も活用する指導者である。当時のSKは、金星根を伊勢孝夫、福原峰夫、加藤初らの日本人コーチが補佐し、ID野球として知られていた。もっとも、ヤクルトのコーチ時代、野村克也のID野球を支えた伊勢に言わせると、「あれでID野球と言ったら、ノムさん(野村克也)に鼻で笑われる」といったレベルだったようだが、それでも、韓国の中では細かい野球をしていた。

 金星根は2011年、球団のフロントと対立し、解任される。金星根の後を継いだのは、韓国プロ野球草創期のホームラン打者・李萬洙である。李萬洙は豪放磊落な性格で野球ファンの人気が高く、現役引退後は、アメリカでコーチ修業も行っている。

 細かいことにこだわらない李萬洙監督時代、試合中サインを出す回数は、金星根監督時代の半分以下だったという話もある。順位は、李萬洙監督就任1年目の2012年は韓国シリーズに進出したものの、翌年からは順位を落とし、Bクラスに甘んじ、2014年のシーズン終了後退任している。極から極に動いたことで、SKの野球が迷走している中での、ヒルマン監督の就任である。

 ヒルマン監督成功のカギを握るのは、昨年までネクセンの監督を務め、今年からSKの団長(日本の球団代表に相当)に就任した廉京燁である。

 これまで韓国のプロ野球のフロントは、選手経験のない、親会社の人が務めることが多かったが、近年は、フロントを強化するため、選手経験のある人が就任するようになってきた。その中でも、とりわけ注目されているのが、廉京燁である。

 廉京燁は、2013年から昨年までネクセンの監督を務め、戦力的には決して恵まれないネクセンを、常にポストシーズンに進めていた。その廉京燁のSK団長就任は、野球関係者を驚かせた。

 廉京燁が、ヒルマンをしっかり支えれば、SKはかつての栄光を取り戻す可能性がある。逆に、監督としての実績があるだけに、必要以上に現場に介入すれば、チームは機能しなくなる可能性がある。

 ヒルマンは、日本ハム監督時代は4年目に結果を出した。しかし韓国は、そこまで待たない。日本やアメリカでの経験を生かして、いかに韓国に適応するか。

 日本ハム時代のヒルマン監督といえば、試合後、「北海道の皆さんは世界で一番です」と語りかけたり、ギター片手に歌を歌ったりといったファンサービスが印象に残っている。そうした性格は、韓国でも支持されるだろう。ただしそれも、ある程度結果を残していればの話である。

2017年3月16日 (木)

長期化の可能性もある韓国野球の低迷

 朴槿恵大統領の罷免が決まり、次期大統領を決める選挙は59日に行われる。今までなら、当選から就任式まで約2か月の政権引き継ぎ期間があったが、今回は、当選とともに、新大統領が就任することになる。韓国としては、これまで経験したことがないことが続き、混乱は当分続きそうだ。

 国家の一大事の中、ほとんど注目されないが、韓国はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、2大会続けて1次ラウンドで敗退した。韓国はオランダには完敗であったが、意外に強かったイスラエルとは延長に及ぶ熱戦をし、台湾には競り勝った。もし負傷で欠場した金廣鉉(SK)や、朴炳鎬(ツインズ)といったメジャーリーグの選手が加わっていれば、流れは違ったかもしれない。それでも、世代交代が進まない韓国野球の現状をみると、低迷は長期化する可能性がある。 

 韓国は2006年の第1回WBCでベスト4、2008年の北京五輪で金メダル、2009年の第2回WBCで準優勝と、輝かしい実績を誇る。とはいえ、実力的にはまだ日本が上回っている。それでも、日本と対等、時にはそれ以上の実績を残せた理由の一つに、国際大会の経験の豊富さがある。

 近年日本も高校生レベルの国際大会にも積極的に出場するようになったが、以前は日程が夏の甲子園大会に重なることが多かったこともあり、消極的であった。それに対して韓国は、U18野球W杯の前身である、AAA世界野球選手権が1981年に始まった時からトップ選手を選抜したチームを送り、1981年、94年、2000年、2006年、2008年の5回優勝している。これは、キューバの11回、アメリカの8回に次ぐ成績である。

 1981年に優勝した時は、後に中日でも活躍した宣銅烈おり、宣は82年にソウルで開催された世界アマチュア野球選手権での韓国の初優勝に貢献した。94年のメンバーには韓国を代表するホームラン打者・李承燁(サムスン)がおり、2000年のメンバーには秋信守(レンジャース)、李大浩(ロッテ)、金泰均(ハンファ)、鄭根宇(ハンファ)らがいる。

 1982年に韓国のプロ野球が誕生した頃に生まれた2000年の優勝メンバーは、韓国野球の黄金世代である。中学生の頃、韓国人初のメジャーリーガーであるドジャーズの朴賛浩の影響を受けたとういう点では、朴賛浩キッズの第1世代で、2006年の優勝メンバーである金廣鉉は、朴賛浩キッズの最後の方の世代となる。2008年の優勝メンバーには、目立った選手はいないものの、高卒ながらすぐにプロの1軍で活躍した選手もいる。

 1981年のメンバーはともかく、李承燁以後、AAA世界野球選手権で活躍した選手が、WBCや北京五輪で活躍した。日本などは国際試合に力を入れていなかっただけに、それは大きなアドバンテージであった。

 メジャーリーグ主体で開催されるWBCは、国際大会としては、問題や違和感がある。それでも、WBCは野球の国際大会の面白さを認識させ、各国に代表チームの意識を目覚めさせた。その意味では、今まで韓国が持っていた優位はなくなっている。

 また韓国のスポーツは少数エリート主義で、高校のチーム数は6070くらいしかない。同世代の選手は幼い頃から顔見知りであり、代表チームでも一体感を作りやすい。

 その一方で少数エリート主義は多様性がなく、一度歯車が狂いだすとなかなか元に戻らない。韓国の野球は金廣鉉が出て以降、その状態になりつつあり、次の世代が出てこない。 

 金廣鉉は1988年生まれであるが、野球に限らず韓国のスポーツ全体に、ソウル五輪が開催された1988年前後に生まれた世代は、優秀な選手が多いが、それ以降は落ちる傾向にある。原因としては、1997年末に始まる金融経済危機の影響が挙げられている。加えて野球の場合、2002年のサッカーW杯のため、サッカー人気が高まり、野球人気が落ち込んでいたことも影響している。

 ただそれならば、第1回、第2回のWBCや北京五輪での優勝をみて育った、これからの世代は期待できそうだが、そうもいかない。 

 韓国ではスポーツをする子供は授業をほとんど受けないでスポーツに専念していたが、近年方針が変わった。韓国では平日でも高校野球の全国大会が開催されていたが、2011年から、平日は授業を受けて、週末だけ、近隣の高校とリーグ戦を行う、週末リーグ制が導入された。方向性は正しいと思うが、現状では勉強もスポーツの両方とも中途半端になっているようだ。

 また2007年にソウルの中心部にあり、高校野球の大会が開催されていた東大門野球場が都市開発により撤去された。1982年にプロ野球が始まって以降、韓国の高校野球人気は落ちていたが、それでも、東大門野球場があった頃は、観客もそこそこいたが、撤去以降は、高校野球人気は大きく落ち込んだ。

 それでも磨けば光る、原石のような選手はたくさんいる。けれどもその多くが、プロに入る頃には肩や肘を痛めている。酷使の問題もあるが、投球前後のケアや、上体に頼り肘の負担が多い、投球フォームにも問題がある。

 また、八百長は論外にしても、高校生レベルでも、死球狙いでわざと当たりにいくなど、野球に対する姿勢にも問題がある。

 そうした問題はあっても、12人と天才的な選手が出てくれば、低迷の懸念はなくなるだろう。しかしながら、現状は厳しいと言わざるを得ない。

2017年3月 8日 (水)

危機意識の欠如が招いた韓国野球の危機

 朴槿恵大統領のスキャンダルに続き、北朝鮮による金正男暗殺、ミサイル発射、中韓関係悪化など、韓国では落ち着くことなく、ビッグニュースが続いている。

 1998年の金融経済危機の時、女子ゴルフの朴セリの活躍が国民の励みになったように、韓国では困難に直面した時、国民に勇気と希望を与えたのがスポーツであった。

 36日から第4回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の先陣を切って、ソウルの高尺スカイドームで、韓国ラウンドの試合が始まった。ドーム球場が完成したことによる、韓国悲願のWBC開催であった。

 その開幕戦、世界ランク3位の韓国は、世界ランク41位のイスラエルに延長戦の末敗れ、7日には、オランダに5-0で完敗した。重い空気が漂う韓国社会を、さらに重くする結果になっている。

 WBCの場合国籍主義ではなく、ルーツがあるなど代表の範囲を幅広く認めている。今回のイスラエルチームの場合も、メジャーリーグ経験者を含め、ほぼ全員がアメリカ育ちのメンバーであり、世界ランクはあまり意味がない。それでも、開幕戦の敗戦は衝撃的であった。四死球9を記録した韓国投手陣の乱調は問題ではあるが、ここ数年、打高投低の韓国野球の傾向をみれば、10回で2点しか失っていないのだから、上出来と言っていい。

 問題は打線である。イスラエル戦も、オランダ戦も走者を出しながら、その後がつながらず、併殺などでチャンスを簡単に潰した。

 昨年のシーズンで、打点、打率、最多安打のタイトルを獲得し、打線の中心選手と期待された崔炯宇(KIA)は不振で、オランダ戦に代打で登場したのみ。金泰均(ハンファ)、李大浩(ロッテ)らも当たりが出ないことが響いている。

 さらに状況に応じた作戦遂行能力のある2番打者の鄭根宇(ハンファ)の欠場も韓国には誤算であった。金寅植監督は、自ら仕掛けるタイプではなく、選手の判断に任せるスタイルだ。それだけに、つなぎの役割を果たせる鄭根宇の存在は大きい。

 そもそも今回のメンバーには、エース候補であった金廣鉉(SK)のほか、メジャーリーグの選手も呉昇桓(カージナルス)を除き欠場し、最初から「史上最弱」の呼び声もあった。金寅植監督も、その当たりの危機感は十分にあったと思う。しかしそれを、選手全体、ひいては韓国球界全体が共有していたかと言えば、疑問である。

 ベスト4に進出した2006年の第1回大会の頃は、危機意識に溢れていた。韓国サッカーは2002年のW杯で4強に進出し、国民を熱狂させた。それに対し野球は、2004年のアテネ五輪の出場を逃していた。

 2004年のシーズンの総観客動員数は約233万人(1試合平均(約4400人)しかなかった。危機感を抱いた韓国球界は、第1回WBCでは各球団の現役の監督が、代表の監督、コーチを務め、球界を挙げて臨み4強に進んだ。

 2009年の第2回大会では、前年の北京五輪で金メダルを獲得し、気の抜けた状態であった。海外組の欠場も相次ぎ、期待はそれほどされていなかった。しかしながら、最初の日本戦で2-14のコールド負けを喫すると、このままでは北京五輪の金メダルも台無しになると金寅植監督を中心に危機意識が生まれ、それが選手たちにも広がった。

 第1回、第2回のWBCに共通するのは、第1回の李承燁、李鍾範、第2回の奉重根、捕手の朴勍完のように、監督の気持ちを、打てば響くように、チーム全体に広げるようなリーダーが存在したことだ。今回のメンバーには、闘志を持ってプレーした選手はいたように思うが、それを共有させるような選手はいなかったように思う。

 さらに4年前の3回大会で韓国は、1次ラウンドで敗退しながらも、韓国プロ野球の観客数は、ほとんど変わらなかった。昨年は総観客数が史上初めて800万人を超えた。

 不況も、相次ぐ八百長発覚も、観客数には影響がないようにみえる。そのため、各球団も選手も、代表チームより、まず球団や各個人の成績の方に目が行っている。

 けれども、過去のWBCの好成績や、北京五輪の金メダルは、韓国が他の国以上に代表チームに力を入れていたからにほかならない。意識が他の国と同じ、もしくは低ければ、結果は自ずとみえている。

 もちろん今回のWBCも、まだ1次ラウンドでの敗退が決まったわけではない。しかし、可能性があるとすれば、台湾、イスラエルがオランダを破り、韓国が台湾に勝った場合のみ、韓国、台湾、オランダが、12敗で2位に並ぶということなので、確率は低い。

 地元開催で、1次ラウンド敗退となれば、衝撃は大きい。ただちに観客減にならなくても、影響はジワジワ出てくるだろう。

 問題点は多々あるが、まずは韓国球界全体で危機意識を共有すること。再出発はそこからである。

 

 

2017年3月 1日 (水)

WBC韓国代表、驚異の重量打線とその悩み

 故障やメジャーの球団などとの関係で辞退者が相次ぎ、「史上最弱」という評価もされているWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の韓国代表であるが、開幕を前に、沖縄での巨人との練習試合では大敗したものの、ソウルに戻ってからは、キューバとの2試合や、オーストラリア戦に連勝するなど、徐々にエンジンがかかってきた。

 投手陣では、昨年15勝の左腕・張元準(斗山)が、巨人との練習試合で3回をパーフェクトに抑えたのに続き、キューバとの初戦でも4回を無失点に抑えるなど、調子のいいこところをみせているが、韓国プロ野球の打高投低現象を反映して、投手陣は全体的には、威圧感に欠けるのも確かだ。

 一方打撃は、朴炳鎬(ツインズ)、金賢洙(オリオールズ)、姜正浩(パイレーツ)などは出場しないものの、李大浩(ロッテ)、金泰均(ハンファ)、崔炯宇(KIA)ら、体重が100㌔超級の打者が並ぶ打線は強力だ。ただし、彼らをどう使うかは、悩ましい。

 今のところ、3番金泰均、4番崔炯宇、5番李大浩という打順が多いようで、金泰均が主に一塁手、李大浩が指名打者、崔炯宇が左翼手という使い方が多い。

 崔炯宇は昨年、打率、打点、最多安打のタイトルを獲得しており、李大浩がいなかった昨年の韓国プロ野球では最強の打者であった。しかし、体重100㌔を超える巨漢を考えると、できることなら指名打者で使いたいのが本音だろう。巨人との練習試合では、簡単な打球の処理を誤って、失点を許している。

 それでも、一塁手である李大浩と金泰均を同時に使おうと思えば、崔炯宇は外野を守るしかない。2009年の第2回WBCで活躍し、千葉ロッテでもプレーした金泰均は昨年、打率、打点、安打数の全てで、崔炯宇に次ぐ2位となっており、巨体の割に柔軟な打撃は健在だ。

 さらに通常、試合の終盤になれば、崔炯宇は守備のいい選手と交代ということになるが、それも場合によっては簡単でない。韓国代表は捕手を2人しか入れていない。そのため、どちらかの捕手が負傷などで出場できなくなると、ピンチになる。

 崔炯宇は捕手としてプロに入っており、緊急事態の時は、崔が捕手になる。したがって、安易に交代させられない選手なのだ。

 また、中軸が重量級であるために、そこで走者を一掃しておかないと、下位の攻撃はやりにくくなる。彼らは、単打1本で二塁から生還というのは難しいからだ。

 巨人との練習試合では、韓国では珍しい、バットを短く持って、野手の間を抜くような打撃で3年前にシーズン200本安打を達成した徐建昌(ネクセン)を7番に置いていたが、その上位の打者が走れないと、彼の良さは出ない。このところの練習試合では、徐は1番か2番を打ち、打線につながりが出てきた。

 野球の代表チームの試合では、好打者が揃っているので、投手の状態が悪いと大量点が入ることもあるが、一般的には投手優位である。特に球数制限のあるWBCの場合、投球に打者の目が慣れる前に投手が代わることが多いので、なかなか点は入りづらい。

 それでも点を入れるには、コツコツと塁を進めるスモールベースボールでいくか、一発長打に期待するしかない。韓国の場合、李容圭(ハンファ)、徐建昌らがかき回して、金泰均、崔炯宇、李大浩の一発で還すという攻撃パターンを目指すことになる。

 第2回WBCでは、決勝戦も含め日本と韓国は5回も対戦した。この大会で日本を苦しめた投手の奉重根(LG)や捕手の朴勍完(現SKコーチ)らに、日本の打者で誰と対戦するのが最も嫌だったかを聞くと、口を揃えて村田修一(当時横浜、現巨人)と答えた。

 バッテリーにとって最も怖いのは、一発長打のある打者であり、その意味では、金泰均、崔炯宇、李大浩と並ぶ重量打線は相手にとって脅威であることは間違いない。その一方で、守りの面や、攻撃の柔軟性を犠牲にしているのも確かだ。重量打線をどう生かすかは、勝負の重要なポイントになる。

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 メジャーリーグでは、敬遠の意思を示せば、実際に投げなくても歩かせることができるというルール変更が行われることが報じられ、議論を呼んでいる。試合時間の短縮が目的だという。

 戦時中、日本の職業野球では、試合時間短縮のため、この申告制ルールが採用されていた。戦時中の職業野球では、1時間数十分という試合はざらにあるが、これは敬遠申告制の効果だけではないだろう。

 戦時中の職業野球では、朝鮮半島出身の人も多くプレーしていた。解放後祖国に戻った選手が、投手として試合に出た時、一塁にどうぞと、敬遠の意思を示すと、「ここは日本ではない」と、言い争いになったことがあると、今は亡き、韓国野球の長老が話してくれたことがある。敬遠の申告制と聞いて、この話を思い出した。

 今の野球は、試合時間がやたらに長いのは確か。しかし、短縮すべき箇所は、他にあるのではないか。

 

 

2017年2月14日 (火)

平昌五輪盛り上がりのカギを握る元子役スター

 平昌五輪まであと1年。盛り上がりには欠けているが、盛り上げようとはしている。そしてテストイベントを通して、五輪本番の見どころがみえてきた。

 210日、五輪会場の江陵オーバルで行われたスピードスケートの世界距離別選手権、女子500メートルは、今季好調の小平奈緒がこの種目、五輪2連覇の李相花を抑えて優勝した。小平が今季の好調を維持し続けるか。地元のリンクで五輪3連覇を狙う李が巻き返すか。ベテラン2人の日韓対決は、平昌五輪でも関心を集めるに違いない。

 日韓対決はナショナリズムを煽る一方で、大会の盛り上げに大きく寄与しているのも確かだ。そうした意味では、この大会から採用されるマススタートも注目だ。12日の世界距離別選手権の女子の競技では、韓国のキム・ボルムが1位、高木菜那が2位だった。

 韓国はショートトラック出身の選手が多いので、コーナリングや、選手同士の体が接するような競り合いに強く、日本の場合、スケート国体で、ルールは異なるが、似たような種目があり、慣れている。さらに、高木菜那、美帆姉妹のコンビネーションも強みだ。

 さて五輪本番ではどうなるか。結果もさることながら、気になるのは大会全体の客の入りだ。冬季スポーツは、韓国ではなじみの薄い競技が多いからだ。テストイベントでは、フィギュアスケートの四大陸選手権はチケットを発行しているが、他は無料の大会が多いようだ。悪く言えば、動員しているということになるが、韓国の場合無料でも、まず観て、知ってもらわないことにははじまらないという事情がある。

 9日からは、韓国内分の五輪チケットの予約販売も始まった。1次予約は423日まで行い、予約が多い場合、抽選が行われる。9月からは、2次販売が行われ、これは先着順になる。そして、10月から店頭販売も始まる。

 韓国人の傾向からして、1年も前にチケットを買う人はそう多くないだろう。2002年のサッカーW杯の時も、日本側では、チケット獲得競争が繰り広げられたが、韓国側の動きは鈍かった。大統領選挙がいつ行われるかにもよるが、今回も、一般の人の関心が高まってくるのは、野球シーズンが終わりに差し掛かり、フィギュアスケートのグランプリシリーズなど、冬季スポーツが動き出す、秋以降ではないか。

 チケット販売にもつながる、大会の盛り上がりに欠かせないのが、スター選手の存在である。現在は、現役を引退しているキム・ヨナが、盛り上げ役を1人で担っている感じだ。

 かつての韓国では、スター選手の条件は、結果を残していることであり、それに、苦労話、家族愛の話などが加われば、十分にスター物語ができた。しかし今は、実績もさることながら、重要なのは華やかさである。

 2012年のロンドン五輪や昨年のリオ五輪の韓国選手団の顔的な存在は、間違いなく新体操の孫延在であった。朴槿恵大統領のスキャンダルの中心人物である崔順実の側近が制作を手掛け、いわくつきになったヌルプム体操の披露会に参加したことで非難の矢面に立たされたが、「新体操のキム・ヨナ」と呼ばれ、アイドルのような顔立ちは、華があった。

 さて平昌五輪に出場する可能性のある韓国の現役選手で、そうした存在はいるだろうか。スピードスケートやショートトラックなどで、金メダルが有望な選手は複数いる。しかしながら、スター性や華やかさには、失礼ながら欠けている気がする。

 そうした中、男子フィギュアスケートに、そうした可能性のある新星が現れた。2001年生まれ、まだ15歳の車俊煥である。昨年のジュニアのグランプリファイナルで3位に入り、平昌五輪への期待がにわかに高まっている。

 車は、もともと子役スターであった。10年前、韓国の国民的菓子であるチョコパイのCMに出演し、注目されていた。小学校2年生の時に、家の近所のスケートリンクでフィギュアスケートの指導を受けてから、フィギュアスケートの選手の道を進むようになった。15歳の今も、アイドルのような顔立ちは健在である。

 韓国ではかつて、フィギュアスケートは女性がするものとして、男子の選手はほとんどいなかった。ところが、キム・ヨナの出現により、フィギュアスケート自体への認識が変わり、男子の有望選手も出現するようになった。その代表が、車俊煥だ。

 もっとも韓国ではトップであっても、世界的にみれば、ジュニアの3位である。五輪のメダル圏の実力には開きがある。それでも、車を指導しているのは、かつてはキム・ヨナ、現在は羽生結弦のコーチであるブライアン・オーサーであり、実力も向上している。

 次のシーズンからは、シニアの舞台に挑戦する。まずグランプリシリーズでどのような結果を残すか。その活躍ぶりは、平昌五輪の盛り上がりにも影響を及ぼすのではないか。

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 平昌五輪開幕1年となった29日、五輪会場でもある龍平アルペン競技場で行われた韓国の国体のスーパー大回転の競技で、コースアウトした選手が、木にぶつかり、重傷を負った。通常、コースの周りには、危険防止のネットが張り巡らされているが、積雪のため、ネットが低くなっていたという。

 また11日には、フィギュアスケート会場で、荷物運搬用のリフトが故障し、作業員が50分ほど閉じ込められた。

 2014年の仁川アジア大会では、競技会場の体育館が雨漏りするなど、韓国での大会を取材していると、いろいろなトラブルに遭遇する。それでも、韓国は国際スポーツ大会の開催経験は豊富であり、何とか対処してきた。

 しかし冬季スポーツでは、危険を伴うものも多いだけに、一つの事故が、大事故に発展する可能性がある。安全性に関しては、テストイベントの段階から細心の注意を払い、しっかりやらないと、深刻な問題が起こりかねない。

 

2017年2月 7日 (火)

平昌五輪まであと1年、招致成功の時の熱気はどこへ?

 崔順実ゲートの影響をもろに受けて、盛り上がりに欠くものの、平昌五輪の開幕まであと1年になった。2月3~5日に行われたスキー距離のW杯を皮切りに、4月まで大小様々なテスト大会が行われることになっている。

こうした大会は、会場施設の点検、選手にとっては、実際の五輪会場に慣れるという意味があるが、韓国の人たちにとっては、競技に接する絶好の機会でもある。韓国では最近、ボブスレーやスケルトンで好成績を収める選手が出ているものの、スピードスケートとフィギュアスケート以外の競技は、ほとんど馴染みがない。この機会に馴染んでおかなければ、大半の競技を知らないまま、五輪本番を迎えることになる。

日本では、1972年の札幌と98年の長野の2回冬季五輪が開催された。当時私は小学生だったので、記憶は正確でないかもしれないが、72年の札幌大会の場合、2年前に大阪で万博があり、冬季五輪への関心はそんなに高くなかったような気がする。しかし、五輪前年に開催されたプレ大会で関心が高まり、トワ・エ・モワらが歌った名曲『虹と雪のバラード』とともに、雰囲気が徐々に盛り上がったように記憶している。その意味でも、五輪の前年というのは、重要である。

ただ、それにしてもと思うのは、平昌五輪である。招致に2回失敗し、201176日、南アフリカのダーバンで開催されたIOC総会でようやく開催地に決まった。

その翌日、韓国の『東亜日報』は、「平昌、3回目の涙は歓喜だった」という見出しを掲げ、『朝鮮日報』は、「平昌、偉大な勝利」という見出しを掲げた。

冬季五輪の開催について、同日の『朝鮮日報』は、「西欧先進国、日本だけが開いた富者オリンピック…韓国もその序列に立つ」という見出しを掲げ、『東亜日報』も「冬のスポーツは“富国の象徴”…アジア、辺境から主役に」という見出しを掲げている。冬季五輪の開催で、先進国の仲間入りをしたという高揚感に溢れている。経済効果についても、生産誘発効果は約20兆ウォン(約2兆円)、雇用創出効果が23万人などと書かれている。

五輪会場の建設や、交通などインフラ整備で雇用は生まれただろうが、経済効果の実感は、それほどないだろう。あの時の興奮はどこに行ったという気がする。

平昌五輪開催が決まる前、大会の招致を支持する人が、90%を超えていた。しかしそれは、冬季スポーツに対する関心が高いからではなく、韓国でよく使う「国格」、つまり国のブランド価値の上昇や、経済効果への期待によるものであった。

自然破壊が問題になるアルペンスキー・滑降会場の問題や、ボブスレーなどソリ種目の会場の維持費の問題など、冬季五輪を開催する時、必ずと言っていいほど問題になることがらは、招致が決まった後になって、ようやく懸念の声が上がった。

五輪開催賛成の世論があまりに高い時は、国民が五輪や競技種目に対する理解、人気が非常に高く、開催を待ち望んでいるケースと、競技種目のことはよく知らないけれども、五輪がもたらす様々な効果を期待しての2つのケースが考えられるが、平昌五輪は完全に後者の方である。

1988年のソウル五輪、2002年の日韓共催のサッカーW杯。韓国は大きな国際大会を開催するたびに、国のブランド価値を高めてきた。そして2002年のW杯の成功の余韻がある時に、招致競争が始まった。そのうえ2度の落選により、時代の変化よりも、招致合戦に勝つことのみが目的化していった。

やっとの思いで五輪招致を勝ち取り、ソウル五輪や2002年のW杯の成果をもう一度という期待が高まっていたが、韓国を取り巻く状況は変わってきており、当時と同様の効果を今の韓国で望むのは無理がある。過去の国際大会や「韓流」、韓国経済の発展などにより、韓国の知名度が高まった分、新たな国際大会を開催することによる宣伝効果は減少している。そのうえ、「国格」が上がっても、個々人の生活や良くならないという失望感が若者を中心にあり、閉塞感が高まっている。

これまでは、競技大会としての中身よりも、その大会が持つ波及効果の方が重視されていた部分もあった。けれども今は、開催する以上は、競技大会としての中身が重要である。そのためにも、各競技に接することができる今は、本来なら大切な時期である。

もっとも、招致成功の時の歓声は今どこにというのは、2020年の東京五輪も同じである。どこがお金を出すかという問題ばかりがクローズアップされる東京の状況は嘆かわしい。東京の場合はあと3年ある。何のための五輪なのか、足元からもう一度見つめ直す必要がある。

 

2017年1月31日 (火)

李承燁、現役最後の年に、李大浩が韓国球界に復帰

 韓国では旧正月の連休最後の日である130日、オリックスやソフトバンクでも活躍した李大浩の、韓国・ロッテ復帰の記者会見が行われた。キャンプインを2日後に控えた時点での、超大物の復帰会見である。

 その実力は、多くを語る必要がないだろう。2010年、韓国のプロ野球で、本塁打、打率、打点など、盗塁を除く攻撃のタイトルを独占し、MVPにも選ばれた。2012年にオリックスに入団すると、91打点で打点王のタイトルを獲得した。李承燁(現サムスン)、李鍾範(元KIA)ら、鳴り物入りで日本球界に入った打者も1年目は、配球の違いや、日本の投手の制球の良さに戸惑い、結果を残していないが、李大浩は、体重が百数十宇キロの巨漢にもかかわらず、打撃はパワフルかつ柔らかく、抜群の対応能力を示した。

 その威力はソフトバンクに移籍してからも続き、2015年の日本シリーズでは、MVPにも輝いている。昨年はアメリカに渡り、最初はマリナーズとのマイナー契約だったが、メジャー契約に切り替わり、公式戦で代打サヨナラ弾を含め、14本塁打を放つなど、1年目としては、まずまずの成績を残した。

 今年については去就が注目されていたが、李が選んだのは、元の所属チームである韓国のロッテであった。総額150億ウォン(約15億円)の4年契約。昨年、打率と打点のタイトルを獲得し、サムスンからKIAにFA移籍した崔炯宇が4100億ウォンだから、韓国としては、破格の扱いだ。逆に言えば、ロッテとしては、それほどの待遇であっても、迎え入れたい存在であった。

 ロッテの本拠地・釜山は、球都と呼ばれ、韓国を代表する野球どころである。日本に近く、日本の植民地時代から野球が盛んで、テレビの放送が始まると、アンテナを日本に向けて、日本のプロ野球を観ていた。

 1982年に韓国でもプロ野球が誕生すると、釜山を本拠地とするロッテは、韓国球界を代表する人気球団となった。

 その熱狂ぶりから、韓国の野球関係者の中には、「ロッテは日本の阪神のような存在です」という人もいる。けれども阪神の場合は、弱い時でも、観客数が極端に落ちることはない。それに対して釜山のロッテは、弱いと客足は一気に遠のく。

 李大浩が在籍していた時は、上位にいることが多かったロッテであるが、2013年以降は、下位に甘んじている。それにつれ、2012年まで1試合平均2万人を上回っていた観客動員数は、110002000人台に落ち込み、スタンドには空席も目立つようになった。近年韓国プロ野球全体の人気は高まっているが、ロッテだけが取り残された格好だ。

 それだけに、今年は主将も務めることになった李大浩に、チームの成績アップと、観客数増加の期待がかかっているわけだ。

 しかも李大浩は、生まれも育ちも釜山。高校は金泳三元大統領の母校でもある、釜山の名門・慶南高校である。高校時代は、釜山高校のエースで4番であった秋信守(レンジャーズ)と、釜山の高校球界を二分し、秋信守、金泰均(ハンファ)らとともに、18歳以下の世界選手権で優勝したこともあった。

 高校時代からの釜山の英雄であるだけに、地元ファンの期待も大きい。そして今回の移籍により、李承燁との韓国を代表する巨砲の対決が、韓国のプロ野球で事実上初めて実現する。

 2003年、李承燁は当時のアジア記録である56本の本塁打を放ち、翌年千葉ロッテに移籍した。一方李大浩は、2001年に韓国のロッテに入っているが、試合に本格的に出るようになったのは、李承燁が去った後の2004年から。李承燁は2011年にオリックスでプレーした後、2012年にサムスンに復帰しているが、李大浩は入れ替わるようにして、オリックスに入団している。

 李承燁と李大浩は、韓国代表チームで一緒にプレーしたことはあるものの、韓国球界では常に入れ違いになっている。

 そして李承燁は、今シーズンを最後に引退することを発表している。まだもう数年できるような気もするが、韓国には「拍手を受けているうちに去れ」という言葉もある。惜しまれつつ去るのが、「国民的打者」と呼ばれた李承燁の美学なのだろう。

 ともかく、李承燁が引退するその年に、李大浩が復帰する。ロッテとサムスンはもともとライバル意識が強い。この両チームの対決は、例年以上に熱を帯び、韓国のプロ野球を盛り上げるに違いない。

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 選抜高校野球の出場校が決まり、21日からはプロ野球のキャンプも始まり、いよいよ球春到来です。

 ところで、私も出演している、在日韓国人の高校球児を描いた韓国のドキュメンタリー映画「海峡を越えた野球少年」が、24日(土)から10日(金)までの1週間、横浜市のジャック&ベティ(電話045-243-9800)という映画館で上映されます。

 時間は、1155分から1345分までです。期間も短いし、昨夏ポレポレ東中野で上映された時と同様、いい時間帯ではないですが、関心のある方は、この機会に是非観てください。

ジャック&ベティは、京急・黄金町駅から徒歩5分の所にあります。

http://www.jackandbetty.net/cinema/detail/1045/

 

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