2017年7月 6日 (木)

成果は如何に、韓国の高校生投手酷使対策

 この週末から首都圏をはじめ、各地で甲子園を目指して地方大会が開幕し、今年も高校野球の夏が本格的に始まる。

 高校野球で常に問題になるのは、投手の酷使だ。力のある投手が故障で力を発揮できず敗れたり、プロや大学で故障により野球を辞めたりするケースを数多く見てきた。

 日本高校野球連盟などでは、公式戦では理学療法士が待機し、試合後投手の肩肘のケアをサポートしている。まだ正式決定はされていないが、来年のセンバツからは、延長タイブレーク制が導入される可能性が高い。

 では韓国ではどうなのか。韓国では日本以上に、若手投手の故障が深刻だ。以前も書いたが、高校生の時に注目された投手が、故障で投げられず、なかなか若手投手が出てこない。そのことが、近年の韓国プロ野球の打高投低現象の要因になっている。

 そのため2014年からは、高校野球の公式戦では、投手が1日に試合で投じる球数は、130に制限された。130を超えるとカウントの途中でも交代する。そして130球を投げると、3日間は投手として試合に出ることができない。ただし、ノーヒットノーランや完全試合の記録がかかっている時は、安打を打たれるまで、続投することができる。

 さらにプロ野球機構であるKBO(韓国野球委員会)と大韓野球・ソフトボール協会は専門家チームを設け、対策を引き続き練っている。両団体は619日に公聴会を開き、1日の投球数を105に制限、投球数による投球禁止期間のガイドラインの制定、酷寒期(12月から翌年2月中旬)の練習試合の禁止、などの案が提示された。

 冬季の練習試合は、日本では禁止されている。韓国の場合、北海道や東北、山間部の地域などを除けば、日本より寒いので、なおさらである。

 とはいえ、韓国では3月下旬から公式戦が始まる。3月下旬だと、昼でも10度以下という日がざらにある。10度以下の状況の公式戦に投げようと思えば、氷点下の状況で投球し、準備しないと間に合わない。それが、韓国の投手が肘を痛める理由の一つだと、ある韓国プロ野球の指導者から聞いたことがある。

 韓国の高校チームは、一番多いところで部員が65人。少ないところだと16人しかいない。球数制限が厳しいと、試合にならないという反対意見も少なくない。

 日本でも球数制限の話をする人もいるが、やはり部員数が少ないところだと無理だという意見に加え、プロで野球をしようとしている人は、高校球児の中のごく一部で、高校で野球を辞める人も少なくない。そのため球数制限は、日本の状況に合わないという声が多い。

 一方韓国では、全体のチーム数が近年増加しているとはいえ73チーム。登録部員は2764人で、基本的にプロもしくは、大学でも野球を続けることを前提にしている。そのため、監督が投手を酷使すると、人権問題とみなされることもある。

 韓国では近隣地域のチーム同士による週末リーグに加え、全国大会が、韓国の国体である全国体育大会を含め6もある。日本の場合は夏の大会が最高権威の大会であることははっきりしているが、韓国の場合はどの大会が、権威があるかは、はっきりしない。ただ全国大会の成績で大学のスポーツ特待生の権利を得ることができるので、結果を残すまでは、多少無理せざるを得ない傾向がある。

 もっとも、球数さえ制限すれば、故障がなくなるかといえば、そう単純ではない。

 東京の関東一に高橋晴という、プロも注目する大型投手がある。彼は高校入学後も成長期が続いたため、米澤貴光監督は、負荷のかかるトレーニングを制限したり、投球もずっと我慢させたりしてきた。成長期の子供には、成長に見合ったトレーニングや投球制限が必要である。また投球前の準備と投球後のケアも重要である。

 韓国の場合、6月に各プロ球団の本拠地地域の高校生(出身者)を1人優先指名するのに続き、8月半ばにドラフト会議が開かれる。

 プロに指名された選手に対してはプロ球団から高校側に、できるだけ投げさせないように要求されることがある。そのため、U18のアジアや世界選手権では、重要な試合で力のある3年生でなく、2年生が投げることが多い。

 それにより高校の大事な時期に、十分な実戦経験を積めないこともある。さらに投げ過ぎは問題だが、投げることによって得られることもある。

 いずれにしても韓国球界は、高校生投手の球数制限の動きを本格化させている。日本と韓国では環境に違いがあるものの、その成果がどう出るのか、あるいは出ないのか、日本でも十分参考になるのではないか。

78日から始まる高校野球の東西東京大会の取材のため、ブログはしばらく休みます。

 

 

2017年6月30日 (金)

スポーツは置いてきぼりの平昌五輪

 今週も平昌五輪と北朝鮮の問題について書きたい。

 2010年の冬季五輪の韓国内候補地を巡っては、1997年に冬季ユニバーシアードを開催した全羅北道・茂朱と、1999年に冬季アジア大会を開催した江原道・平昌の争いになった。結局平昌が国内候補地になり、2度の落選を経て、2018年の大会の招致に成功した。平昌が茂朱を破った背景には、平昌は北朝鮮に近く、北朝鮮との交流の期待があった。国内候補地争いに敗れた茂朱は、国技・テコンドーの殿堂であるテコンドー園の建設候補地に選ばれ、テコンドー園は3年前に完成した。

 624日にテコンドー園でテコンドーの世界選手権が開幕した。しかし、話題の中心はテコンドーではなく、平昌五輪であり、北朝鮮であった。別の見方をすれば、平昌五輪の北朝鮮絡みの話があるゆえに、テコンドーの世界選手権が注目されたとも言える。

 開幕式で文在寅大統領は、「1991年に初めて南北単一チームを構成し、最高の成績を収めた世界卓球選手権と世界ユースサッカーの栄光をもう一度見たい」「南北選手団が同時に入場し世界の人たちから拍手喝采を受けた2000年シドニー五輪の感動をもう一度感じてみたい」「平昌五輪に北韓応援団も参加し、南北和解の転機になればいい」などと発言した。

 これに対して、開幕式に出席していた北朝鮮の張雄IOC委員は、東亜日報系のCATV局であるチャンネルAのインタビューで、「政治的環境を解決しなければなりません。政治はいつもスポーツの上にあります」と答えている。話の良し悪しはともかく、北朝鮮の立場ならそうであろうという発言だ。

 さらに張雄委員は、韓国側から提起されている共同開催や、女子アイスホッケーの南北単一チームについて、「私はオリンピックの専門家ですが、既にもう遅いです。共同開催というのは言うのは簡単だけど、実務的問題が簡単ではありません。アイスホッケーなどを単一チームにする問題もそうです。千葉の卓球世界選手権の時、会談は22回でした。5、6カ月かかりました」と語っている。

 これは実務者の立場からすれば、当然の意見である。韓国側の実務者に聞いても、同じことを言うであろう。つまり、文在寅大統領の発言にしても、先週書いたスポーツの所轄官庁である文化体育観光部の都鍾煥長官の話にしても、スポーツ界の意見を聞いているとは思えない。政府が現場を顧みず、自らの希望を語っているという感じだ。

 また所轄官庁は、文化体育観光部という名前こそ残ったものの、スポーツ系より文科系の意向が強いようだ。都長官も詩人である。1993年に体育青少年部(旧体育部)と文化部が合体して文化体育部になって以降、この省庁ではスポーツ系と文科系の綱引きがしばしばあった。

 思想は個人個人で違うし、必ずしも当てはまらないケースもあるが、スポーツ系は右派政権、文科系は左派政権に近い傾向がある。韓国のエリートスポーツの制度を作ったのは、朴正熙政権と全斗煥政権である。左派の金大中が政権に就くと、スポーツ関連の支援は削られ、文化に力を入れるようになった。そのことが、韓流を起こす契機になったという側面もある。

 それでなくても、崔順実ゲートに巻き込まれたことで、スポーツ界の発言力が弱まっているところに、左派政権の誕生で、スポーツ界は置いてきぼりのまま、平昌五輪の準備が進んでいく感じだ。もっとも、それ以前もスポーツ界からの発言は、あまり聞こえてこなかったが……。

 スポーツ大会としての具体的なイメージがないまま、政治家の理想論だけが聞こえてくる。応援団にしても、冬季五輪では活動の場は多くない。

 北朝鮮の応援団といえば、演奏に合わせて、歌い踊り、「我々は一つだ」など、スローガンを叫ぶといったスタイルだ。けれども、現在出場権を得るのが有力視されているフィギュアスケートのペアの競技で、そうした応援ができるのは、製氷時間くらいだ。

 2003年の大邱ユニバーシアードの飛び込み競技では、「北の応援団、静かにしてください」という場内アナウンスがあり、北朝鮮の応援リーダーが憮然としたということがあった。冬季五輪でも、似たようなことになる。

 事実上、開閉会式のために作られるオリンピックスタジアムで、公演をすることもあるだろう。しかし、そうなると公演料を求められるはずで、北朝鮮にそうしたお金を支払うことは、今の国際情勢では、認められないだろう。

 平昌五輪を通して南北交流を図るにしても、現実をしっかり見据えないといけない時期だ。ただキム・ヨナの引退により冬季スポーツで国民的なスターがいない状況では、話題作りは今のところ、南北絡みの話くらいしかないのも、一方の現実である。

 

 

2017年6月23日 (金)

既にタイムオーバーのはずの平昌五輪南北共催論

 620日、平昌五輪をはじめとするスポーツ行政の所轄官庁である文化体育観光部の都鍾煥長官が平昌五輪の組織委員会を訪問し、平昌五輪において北朝鮮の馬息嶺スキー場を活用する、女子アイスホッケーで南北単一チームを結成する、聖火を北朝鮮の開城、平壌を通過することなどを検討しているといった発言をし、波紋を広げている。

 622日付の『産経新聞』はこの動きを1面トップで報道。「韓国の文在寅政権が平昌五輪で検討する一部競技の北朝鮮開催が実現すれば、核・ミサイル開発を続ける北朝鮮の金正恩政権を外貨で潤すことになり、対北制裁を強める国際社会の足並みを乱す恐れがある」との懸念を示している。

 こうした政治的な側面は置いておくとしても、大会を約230日後に控えた現段階で、責任ある立場の人にそうした発言をされても困る、というのが、準備にあたる人の本音ではないか。

 2011年に大会の招致に成功した後、スキー・滑降競技の会場である加里王山が、朝鮮王朝時代から守られてきた自然保護林であるとして、環境団体などから強い反対にあった。北朝鮮が2013年に完成させた馬息嶺スキー場が、滑降競技の国際規格に合うように造成されれば、少なくとも、スポーツ競技の面からは好都合だったのかもしれない。

 しかし平昌五輪の競技施設はほぼ完成し、テストイベントも行われた。売れ行き不調とはいえ、チケットも発売されている。時期的にみれば、共催、または分催の話はもうタイムオーバーだろう。

 それでもこうした話が出る背景として、南北の融和政策を模索する文政権であるが、北朝鮮の核・ミサイル問題などが国際的な非難を浴びる中、思うようにいかない。その点スポーツは、現実はともかく、政治とは別という原則があるため、突破口になり得る。

 また盛り上がりを欠く平昌五輪への関心を高めるためにも、北朝鮮は重要だ。2002年、サッカーW杯のすぐ後に開催され関心が低かった釜山アジア大会が、美女軍団と呼ばれる応援団を含めて北朝鮮が参加したとたん、大いに盛り上がったという例もある。

 韓国における対北朝鮮感情は、2002年当時とはかなり異なっているが、当時と同じ左派政権としては、北朝鮮カードに期待する部分は大きいのだろう。

 24日から全羅北道の茂朱で開催されるテコンドーの世界選手権に合わせて訪韓する予定のIOCのバッハ会長や、北朝鮮の張雄IOC委員にも働きかける模様だ。彼らがどういう反応を示すか分からない。

 ただバッハ会長などは、朝鮮半島の平和という側面には好感を示すことがあっても、現実に開催することの困難さを考えれば、否定するか、二の足を踏むだろう。2002年のW杯の時も、似たようなことがあった。

 アイスホッケーの単一チームに関しては、ユニットごと選手を替えるという競技の特性上、他の球技よりは合同チームは組みやすいのかもしれない。しかし、南北合同選手団を結成するというのならともかく、女子のアイスホッケーだけ合同チームというのは、やはりおかしい。

 そうした中で、聖火の北朝鮮通過というのは簡単ではないが、不可能ではない。聖火リレーの日程、コースは既に決まっているが、韓国と北朝鮮の話し合いで変更はできると思う。1988年のソウル五輪も、聖火リレーの北朝鮮通過は、大きなテーマであった。結局は実現せず、聖火は軍事境界線の近くを通ることにとどめた。今回も、可能性はあっても、すんなりとは決まらないだろう。

 それでも、北朝鮮の選手団はよほどのことがない限り、参加するだろう。ただ現段階で出場資格を得ている競技種目がない以上は、参加人数は限られている。したがって、応援団が来ることもないに違いない。

 北朝鮮のスポーツ選手は、政治的な使命から逃れることはできない。それでもスポーツを通して、人と人が交流することは意味がある。ただ五輪などの国際的なスポーツ大会においては、前提条件がある。

 五輪に参加する選手たちは、かなり前から五輪に向けて練習や調整をする。朝鮮半島の南北交流は大切だが、大会のために準備してきた、世界各国のアスリートを混乱させたり、影響を及ぼしたりすることは、開催国として避けなければならない。

 一般市民の発言ならばともかく、責任ある立場の人は、その点は留意して発言してほしい。

 

 

 

2017年6月15日 (木)

早くも観客動員論が出ている平昌五輪と誕生1カ月の文政権

 平昌五輪の開幕まで8カ月足らずとなり、チケットも第1次販売が終わったが、韓国の金メダルが期待されるスピードスケートのショートトラックなど、一部の競技を除けば、チケットの売れ行きは悪いようだ。これは予想通りではある。しかし66日の韓国KBSのニュースをみて、もうそんな話が出ているのかと、少々驚いた。

 ニュースの内容は、ざっと次の通り。チケットの売れ行き不振を受け、大会組織委員会は、チケットが売れ残った場合、生徒や地域住民に入場券を提供する、いわゆる動員を検討している。しかしそうすると、既に購入した人が損することになり、公平性の議論も起きている、といったニュースである。

 これから2次販売もあるというのに、早くもタダ券を配るという話である。

 現実問題として、観客動員は避けられないだろう。平昌五輪よりもはるかに盛り上がっていた2002年のサッカーW杯ですら、韓国戦以外は空席が目につき、昼間の試合では、学校単位で動員をかけていた。子供たちに声をかけると、「タダなんですよ」と、嬉しそうに話していたのが、印象に残っている。

 韓国で開催され、先日幕を閉じたU20サッカーW杯も、韓国が決勝トーナメントの1回戦で敗れたため、ニュース映像をみる限り、スタンドには空席が目立っていた。

 平昌五輪の場合、盛り上がりに欠けていることはもちろんであるが、加えて、宿泊施設の不足の問題もある。ホテルだけでなく、ラブホテルや民泊などを含めても、絶対数が足りない。高速鉄道のKTXが開通すれば、ソウルとは1時間の距離になるので、ソウルから日帰りという人も多いだろう。学校や公共施設を開放して、宿がない人に、多少不自由でも、寒さはしのげて、横にはなれるくらい施設は用意しておいた方がいいのかもしれない。

 これから夏が終わり、寒くなれば、五輪ムードも少しは高まるかもしれない。ただ、そうした人たちも、チケット無料配布の話を聞けば、購買意欲は損なわれるだろう。でもそうした買い手は期待できないほど、平昌五輪は盛り上がりを欠いているということなのか。

 なお、文在寅政権が誕生して1カ月になる。文大統領は大会成功のため、政府が積極的に関わっていくよう指示している。12日には国際サッカー連盟のインファンティノ会長に、2030年のW杯を韓国を含め、日本、中国、北朝鮮の共同開催案を提案するなど、実現の可能性はかなり疑問だが、スポーツ大会に積極的な姿勢をみせている。

 けれども、実働部隊となるスポーツの所轄官庁の文化体育観光部はまだ落ち着かない。

 朴槿恵政権下でスポーツを巻き込んでの崔順実の不正に中心的な役を果たし、「スポーツ界の大統領」と呼ばれていた金鍾文化体育観光部第2次官の後任に、ノ・テガンが任命された。

 20135月、乗馬の韓国選手権で崔順実の娘チョン・ユラを2位にしたことに崔順実が猛抗議。大韓乗馬協会と崔順実側が対立した時、当時文化体育観光部の体育局長であったノ・テガンが調査に入り、双方に問題があるという結論を出した。これに朴槿恵大統領(当時)が激怒し、「本当に悪い人だ」と、ノ・テガンを公職から追放した。これが韓国社会を揺るがした崔順実ゲートの出発点になった。

 ノ・テガンが文化体育観光部のスポーツ担当次官である第2次官に任命されたということは、4年前の状態に戻ったともいえる。

 とはいえ、平昌五輪も、スポーツ行政も、4年前とは情勢が変わっている。さらに文化体育観光部は崔順実ゲートの震源地だけに、事情はどうであれ、現在の職員の中に何らかの形で加担した人も少なくない。今後末端の人事などで一波乱ありそうな気配だ。

 文化体育観光部が約2カ月前に行った世論調査では、平昌五輪に関心があると答えた人は、わずか35.6%だった。高まらない国民の関心に、落ち着かないスポーツ行政の足元。

 東京五輪も懸念材料が多いが、平昌五輪は開幕までの時間が少ないだけに、より深刻だ。

 

 

2017年6月 7日 (水)

テニスでも新たな日韓ライバル物語が始まるか?

 男女を問わずバレーボールの日韓戦は、強烈なスパイクの打ち合いになる欧米のチームの試合と異なり、拾い合いのレシーブ合戦になることが多い。種目が違っても、ネットを挟む競技は、似たような傾向になるのか。錦織圭と鄭現の一戦は、激しい粘り合いの試合になった。

 鄭現は、「テニスの神童」として、韓国ではかなり前から知られていた。最近は随分たくましくなった感じがするが、初めてメディアに取り上げられたころは、やせた体に眼鏡が印象的だった。外見はテニスプレーヤーらしくないため、むしろ目立っていた。2013年にウィンブルドンのジュニアのシングルで準優勝したことで、期待が一気に高まっていた。

 今回全仏オープンで3回戦の相手が錦織圭に決まった時、韓国のメディアは、「運命の韓日戦」と騒ぎ、ポータルサイトの検索ランキングでは、錦織圭の名が上位にランキングされた。

 とはいえ、錦織の世界ランクは9位。鄭現は67位と、歴然とした差がある。日韓対決といえども、韓国は騒ぎ過ぎのような気がした。

 第1、第2セットは鄭現の粘りに錦織は苦戦を強いられたものの、しっかりものにした。しかし、第3セットはタイブレークの末に鄭現が取ると、流れは完全に鄭現に傾いた。

 第4セットは鄭現がリードする展開に、錦織はイライラが募り、ラケットを地面に叩きつける場面もあった。錦織危うしの状況で雨が降り出し、試合は中断し、翌日に持ち越された。

 再開された試合では、フルセットに持ち込まれたものの、フルセットには慣れている錦織が落ち着いて試合をし、勝利をものにした。それでも試合後錦織が「雨がなければ100%負けていた」と語るように、雨に助けられた勝利だった。65日付の韓国の東亜日報は、「よくやった鄭現 雨が薄情だ(憎い)」と、演歌の歌詞のような見出しを掲げたが、気持ちは分かる。

 鄭現が注目されているといっても、韓国ではテニスはマイナースポーツだ。そんな韓国のテニスの扉を開いたのは、2007年に世界ランクが36位になった李亨澤だった。李亨澤は2014年の仁川アジア大会で、アスリート出身では聖火の最終走者として、聖火台につながるスタジアムの階段を上った。その時、テレビ中継のアナウンサーが、練習する場所がなく、水を抜いたプールで練習をしたという逸話を紹介していた。そうした韓国テニスのパイオニアである李亨澤が2009年に引退した後台頭してきたのが、鄭現であった。

 今回、錦織に善戦したことで、鄭現の韓国での知名度は一層高まったが、同時に錦織の存在も韓国でより有名になった。

 歴史的に様々な問題があり、国民感情も複雑である日本と韓国の試合は、歪んだナショナリズムと介在すると、見たくないトラブルが起きることもある。

 それでも日韓戦は関心が高いだけに、双方のスポーツ界にとって競技の活性化のまたとないチャンスでもある。また反日のイメージが強い韓国であるが、サッカーの中田英寿、野球のイチローら、世界で活躍する日本選手のファンや敬意を持っている人も少なくない。キム・ヨナの存在があるため大きな声で言えなくても、「浅田真央のファンです」と言う韓国人もいる。

 鄭現の場合まだまだではあるが、今後順位を上げていけば、韓国のテニス人気も高まるだろう。そこに錦織の存在は、さらに関心を高める要素になるし、それは日本にも影響を及ぼすことになるだろう。

 錦織が27歳であるのに対して鄭現は21歳。それだけ鄭現の伸びしろは大きい。しかし韓国では様々な競技種目において、20歳前後までは有望視されていても、そこから先で伸び悩む選手が多い。2日かがりで繰り広げられた錦織と鄭現の一戦が、日韓の新たなライバル物語の始まりになるかどうかは、鄭現の成長にかかっている。

 

 

2017年5月31日 (水)

韓国野球の名将の寂しき退場

 韓国のプロ野球で野球の神、「野神」と呼ばれた金星根が、ハンファの監督をシーズン途中に事実上解任に近い形で辞任した。

 金星根の監督通算勝利数は1384。これは現大韓野球ソフトボール協会会長で、ヘテ(現KIA)、サムスンの監督を歴任した金應龍の1567勝に次ぐ成績だ。中日で活躍した宣銅烈、李鍾範ら、そうそうたるメンバーを擁しヘテなどで優勝を重ねた金應龍と違い、金星根は弱体チームの選手を鍛え、絶妙の用兵術や作戦で上位に食い込んでいったことが評価されている。

 1942年京都に生まれた金星根は、野球をする場を求め、1961年韓国に渡った。当時はまだ日本と韓国の国交が結ばれていない時代。金は韓国の実業団チームのエースとして活躍する一方で、日本への再入国許可の有効期限が切れそうになると、日本に戻り更新していた。しかし国交正常化の前年の1964年に更新が許可されず、家族の反対を押し切り、韓国に永住帰国した。

 ところが韓国に永住帰国してほどなく、肩を痛めて野球ができなくなった。それでも言葉も十分わからず、知り合いもそれほど多くない祖国で生きていくには、野球しかなかった。そこで、戦力分析のやり方などを独学で習得したことが、後に名将となる基礎となった。高校や実業団の監督として実績を重ね、1982年にプロ野球が誕生するとOB(現斗山)のコーチになり、84年に監督に就任したことで、プロ野球での監督人生が始まった。

 ただし韓国には、在日差別が根強くあった。金星根とは拙著『韓国野球の源流』(新幹社)の取材などで何度もお会いしたが、「在日は韓国の人間と同じ土俵で勝負しようとすると、必ずやられる」といった話をよく聞いたことがある。

 金星根は、母親らの反対を押し切り永住帰国する時、韓国で一番になることを心に誓った。それは韓国で生きていくうえで気持ちの支えであったが、周りから攻撃される原因にもなった。

 緻密で細かい野球は、韓国のメディアからも「チョッパリ(日本人への蔑称)野球」と批判され、球団とも対立した。それでも、結果を残しているから、低迷するチームから呼ばれ、立て直す。すると球団と対立して辞めるの繰り返しであった。

 とはいえ、野球の指導者として卓越しているのは誰もが認めるところであり、15年前から「野神」の称号が定着している。ただ長年みてきた私には、野は野球だけでなく、野党に通じるような気がする。絶えずぶつかりながらの野球人生である。

 2015年から、万年最下位争いのハンファの監督に就任する。金星根の監督就任とともに、球団も大幅な補強を行い、戦力は徐々に整っていった。2015年は前年の最下位から10球団中6位まで順位を上げたが、昨年は7位。合格点となるポストシーズン進出権を得る5位以上にはなれなかった。

 そこでハンファ球団は、コーチ経験の長い朴鍾勲を団長(日本の球団代表に相当)に据え、選手の育成管理の実権は、団長が握るようにした。この時点で、今回の辞任劇はある程度予感されていた。

 韓国のプロ野球は、1990年代頃までアマチュア野球で選手、指導者の経験を積んだ人が監督を務めることが多かった。アマチュア野球のチームでは、コーチはあくまでも補助で、監督があらゆることを統括することが多い。

 金星根体制下でコーチをしたある日本人は、「もう少し、コーチに任せてもいいのではなか」と言うほど、試合での采配はもちろん、投打を問わず、選手の育成、指導も、金星根監督自らが動き回った。

 韓国のプロ野球も誕生から35年を迎え、プロントと現場、現場の中でも監督やコーチの役割分担は進みつつある。それでも金星根にすれば、分業で任せられるほど、フロントが進化していないという思いもあるだろう。

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で韓国代表を務めた金寅植や、韓国プロ野球最多勝監督で、シドニー五輪の銅メダル監督である金應龍など、韓国を代表する監督の多くが、ハンファでプロ野球での指導者生活を終えている。無原則にビッグネームを監督に据えている印象があるのも確かだ。

 また今年から団長に据えた朴鍾勲は、金星根がOBのコーチ、監督であった時にプロ野球の選手生活を始めており、いわば師弟関係だ。これではやり難いのは確かで、互いにとって不幸なことである。

 年齢からみて、金星根が再び監督としてユニホームを着ることはないだろう。これでアマチュア野球出身の監督は、いなくなり、時代の一つの区切りである。

 最後球団と対立して退団するもの、金星根らしいと言えば、らしい。ただ韓国野球に残した功績を考えると、最後くらいは花道を飾ってほしかった。

2017年5月20日 (土)

名門高校と野球と政治

 韓国では高校受験の競争をなくすため、生徒を居住地域の学校に振り分ける平準化政策が取られた結果、伝統的な名門高校の影は薄くなっている。ソウル大学の合格者数は、こうした平準化政策の対象外である、芸術高校、科学高校、外国語高校の生徒が上位を占めている。

 それでも現在、名門高校が存在感を示しているのが、政治の世界と野球ではないか。

 先の大統領選挙は、文在寅とTV討論の後失速したが、安哲秀の争いとされていた。2人とも釜山の出身で、当選した文在寅は慶南高校、安哲秀は釜山高校と、ともに釜山を代表する全国区の名門校の出身である。野球においては、日米のプロ野球で活躍し、現在韓国のロッテでプレーする李大浩は慶南高校、レンジャーズの秋信守は釜山高校の出身である。

 515日に決勝戦が行われた、権威ある大会である東亜日報主催の黄金獅子旗全国高校野球大会では、かつて徳寿商といった徳寿高校が2年連続優勝を果たし、かつて馬山商といった馬山龍馬高校が準優勝した。いずれも伝統校で、文在寅大統領の母校である慶南高校も準決勝に進出した。

 韓国では野球部のある学校は多くないが、伝統的な名門校には野球部のある学校が多く、多数のプロ野球選手を輩出している。そのため、進学実績では外国語高校や科学高校といった新興勢力に押されても、野球ばかりは伝統校が存在感をみせているわけだ。

 文在寅大統領自身、野球好きで知られ、球界との関わりもある。かつて中日でも活躍したヘテの宣銅烈の最大のライバルであったロッテの崔東原も、慶南高校の出身であった。崔は1988年に選手協議会を結成しようとしたが、これは選手労組であるとして、球団から強い抵抗にあった。この時選手側の法律諮問役であったのが、弁護士であった文在寅であった。

 韓国のプロ野球創設にも、慶南高校の出身者が関わってきた。民主化の活動をしていた文在寅とは敵対関係であるが、全斗煥の側近で、全斗煥政権下で民政主席秘書官であった李鶴捧も慶南高校の出身であった。

 光州事件など、民主化運動を弾圧して権力を握った全斗煥政権は、国民の関心を政治から離すため、スポーツ、スクリーン、セックスのいわゆる3S政策を行った。その中心にいたのが李鶴捧であり、プロ野球創設にも主導的な立場であった。その際、李が頼りにしたのが、慶南高校出身の球界人脈であった。

 慶南高校の野球部は、解放直後の全国大会をほとんど優勝するなど、韓国の高校球界をリードしてきた。慶南高校の野球の礎を築いたのは、東京の京王商(現専大付)出身の高光籍という人物で、「ノックの達人」として知られた。以来、今日に至るまで、韓国の高校球界をリードしている。

 もっともプロ野球選手を輩出している数でいうと、全羅南道の名門、光州第高校である。光州第一高校は、中日でもプレーした宣銅烈や李鍾範らを輩出している。

 また慶南高校、釜山高校とともに釜山地域の伝統校である釜山商(現開成高校)は、盧武鉉元大統領の母校である。釜山商からは、韓国シリーズで10回優勝するなど韓国プロ野球を代表する名将で、現在大韓野球ソフトボール協会の会長である金應龍などを輩出している。

 文在寅政権では、球界においてはこうした釜山人脈が影響力を持つ可能性がある。日本に近い釜山は、もともと野球が盛んな土地柄。しかし、近年釜山を本拠地とするロッテが不振で、釜山の野球人気も停滞気味だ。政権が代わっても、こればかりはどうすることもできない。

 なお、金泳三元大統領も慶南高校の出身である。ただし金泳三は、中学生の時にサッカーをしていたことがあるうえ、政権時代は2002年のワールドカップの招致の時期でもあり、サッカー好きの方が喧伝されていた。

2017年5月12日 (金)

文在寅政権と平昌五輪

 19943月、板門店での南北接触において、北朝鮮側が「ここからソウルは遠くない。戦争が起きれば、ソウルは火の海になる」と発言した時、私はソウルで留学生活を送っていた。これはやばいぞ、と私はかなり衝撃を受けた。ところが韓国の若者たちに聞くと、「あんなこと、いつものことですよ」と、ほとんど意に介していなかった。

 実際には、危険な状態であったようだが、北との対峙が日常化している韓国では、危機にはある程度慣れている。今回も、韓国の危機意識の低さが日本のメディアで話題になっているが、韓国の人たちの感覚は、そんなものだろうと思う。

 文在寅が大統領に当選したのも、安保問題よりも、変化を望む若者たちの票をうまく集めた結果だろう。

 南北問題、日韓関係など気になることは多々あるが、新政権の誕生で9か月後に迫った平昌五輪への影響も、やはり気になる。

 通常なら、当選から約2か月の政権引き継ぎ期間を経て、新政権が誕生するが、前大統領の罷免を受けて行われた今回は、当選するや否や大統領に就任したため、すぐには五輪まで手が回らないかもしれない。

 まず行われるのは、五輪やスポーツの所轄官庁である文化体育観光部(省)の改革だろう。朴槿恵前大統領の一連のスキャンダルの震源地が文化体育観光部であっただけに、一気にやるのか、徐々にするのかは分からないが、大鉈を振るうのは間違いない。

 そこで一つ注目したいのが、所轄官庁の名称である。民主化運動を弾圧して誕生した全斗煥政権では、ソウル五輪の招致に成功し、「体育立国」を掲げ、スポーツの省庁を独立して、体育部を創設した。

 民主化によって誕生した金泳三政権では、文化体育部になり、金大中政権では、文化観光部なり、体育の名前がなくなり、スポーツ界では、国からの支援が削られた。保守の李明博政権は、体育の名前が復活し、文化体育観光部となっている。

 名は体を表すの言葉通り、名称は政権の考えをよく反映している。場合によっては、文化、体育、観光という、省庁の枠組み自体が変わるかもしれない。

 平昌五輪の組織委員会に出向している公務員も、本来所属する省庁の動向が気になり、落ち着かないに違いない。

 大会を9か月後に控えているだけに、新政権に振り回されることは避けたいところだが、大統領が誰であろうと、政権がそのまま続くよりは良かったのかもしれない。従来のスケジュールだと、新政権の移行期に五輪が開催され、通常なら閉会式の日と、新大統領の就任式が重なっていた。

 五輪の成功が自分の功績にならないため、朴槿恵政権では五輪に積極的ではなく、そのことが、友人の崔順実の利権介入を招いたという話もある。

 ただ現状では、平昌五輪は新政権にとって、功績になるより、重荷になる可能性が高い。まずは、盛り上がらない状況をどう改善するかが、喫緊の課題である。

 文在寅大統領にしても、彼を支持する人たちにしても、期待しているのが北朝鮮だろう。前の革新政権である金大中や盧武鉉政権の時は、2002年の釜山アジア大会や2003年の大邱ユニバーシードに北朝鮮は、美女軍団と呼ばれた応援団を含めて参加し、大会の盛り上げに貢献した。

 ただし、北朝鮮に対する視線は、2つの大会ではかなり違うことを、取材して感じた。朝鮮戦争の時の避難民が多く暮らす釜山では、老人たちが北朝鮮の故郷を懐かしみ、温かい目で見ていたのが印象的だった。

 一方、見た目の盛り上がりとは裏腹に、朝鮮戦争の時、北朝鮮の人民軍の南進を食い止めた大邱の人たちには、反共、保守の意識が強く、北朝鮮の選手団、応援団に厳しい視線もあった。

 また釜山には北朝鮮出身の老人を探すのに苦労しないほど多くいるが、そうした人に話を聞くと、故郷や故郷に残した家族への思いは強いものの、戦争を起こした金日成や息子の正日への憎悪も強かった。しかし、幼少期に避難した人や、韓国で生まれた避難民の2世は、親の故郷や家族への思いを強く受け止めた人と、憎悪も含めて受け継いだ人に分かれる気がする。報道などでみる限りは、避難民2世の文大統領は、前者の傾向が強いように思う。

 よほどのことがない限り、平昌五輪に北朝鮮選手団は参加するだろう。スポーツの国際大会は、軍事面以外で、北朝鮮の存在を世界に広める、数少ない機会だからだ。先月には、平壌で開催されたサッカーの女子アジアカップの予選に韓国も参加したし、平昌五輪の会場で行われた女子アイスホッケーの世界選手権ディビジョンⅡグループAの大会には、北朝鮮も参加した。

 しかしながら、北朝鮮に融和的な人たちが期待する、応援団を含めての派遣の可能性は低い。そもそも五輪の出場権を得ている選手がおらず、おそらく、特別枠での出場になるため、参加するにしても小規模になるはずだ。

 また、2014年の仁川アジア大会に北朝鮮は、選手団のみを派遣したが、韓国の一般の人たちの反応は随分冷めていた。大会開催の意義を高めるためにも、文政権や支持者たちは、五輪を通して北朝鮮との交流の機会を最大限に生かそうとするだろうが、それを成果に結びつけるのは、容易でない。

 平昌五輪は大会運営費の不足も言われている。これまでなら、困った時の財閥支援であったが、財閥への風当たりが強い現在では、財閥からの支援は期待薄だ。といって、それに替わる金づるがあるわけではない。結局スポーツ振興くじ頼みとなるのだろうが、TOTOは、打ち出の小槌ではない。

 さらに、韓国内の冬季スポーツへの関心は、一部の種目を除いて高くないので、隣国である日本や中国の観客を期待するしかないだろう。それには、隣国との良好な関係が不可欠だ。

 文在寅政権は、理念先行の印象を受ける。ただ実際の行政には、現実と折り合いをつけることも重要である。大会まで270日余りと迫った平昌五輪は、文在寅政権が、現実と向き合う姿勢を問う試金石になるかもしれない。

 

 

2017年5月 7日 (日)

韓国アイスホッケーの躍進と日本

 韓国のスポーツ界では、久々の快挙と言っていい。先月下旬、ウクライナのキエフで開催されたアイスホッケーの世界選手権のディビジョンⅠグループA(2部相当)で韓国は2位になり、16チームで構成されるトップディビジョンへの昇格が決まった。3年前、韓国の高陽市で開催されたディビジョンⅠグループAの大会では5戦全敗で、3部相当のグループBに降格したばかりであることを考えると、急成長であることは間違いない。

 実際韓国のアイスホッケーは、弱かった。日本に勝ったのも2012年が初めてであり、それまでは、日本が大きくリードしていた。

 韓国の躍進のきっかけになったのは、2003年に日本と韓国で始まり、後に中国、サハリンなども加わったアジアリーグだ。日本も韓国もチーム数減少という危機的状況の中で手を結んで始まったアジアリーグであるが、韓国にとっては、日本からアイスホッケーを学ぶ絶好の機会になった。

 そして平昌五輪の開催が決まったものの、国際アイスホッケー連盟はあまりに弱かった韓国に、現状のままでは開催国の自動出場権を与えないことを表明していた。そこで韓国は、外国人選手を相次いで特別帰化させた。特別帰化とは、元の国籍を失うことなく韓国籍を取得できる制度で、現在韓国代表には、安養ハルラでプレーしている選手など、7人が特別帰化の選手として活動している。

 韓国アイスホッケーの躍進の最大の要因は、特別帰化の7人の存在であることは確かだ。ただそれだけではチームとしていびつで、3年前の世界選手権で全敗したように、チームとして機能しない。

 チーム強化の決定打となったのは、3年前からジム・ペク(韓国名 ペク・ジョソン)が、韓国代表の監督を引き受けたことだった。ソウルで生まれ、幼少期にカナダに移民したペクは、世界最高峰のNHLでも活躍した。

 韓国代表監督に就任したペクは、徹底した体力強化とともに、選手の積極性やモチベーションを高めることに心血を注いだ。その成果が今回表れたようだ。

 今年は見ることができなかったが、昨年まではアジアリーグの試合として、自宅から近い西東京市のダイドードリンコアイスアリーナで、安養ハルラなど韓国のチームの試合が行われており、私も現場で取材してきた。少し前まで韓国のチームは、カウンター中心の、非常に単調な攻撃をすることが多かったが、次第にパックがつながり、アイスホッケーらしくなってきていた。

 また注目すべきは、レベルの高い外国人選手に引き上げられるように、韓国で生まれ育った選手たちもレベルを上げ、得点に絡むようになったことだ。

 トップディビジョン進出は、韓国のメディアで大きく取り上げられている。最初は帰化選手が多く、否定的であった世論も変わってきた。韓国は日本以上に少子化が進み、人口減少は避けられない状況になっている。そうした中韓国政府は、多文化共生として、外国人の受け入れに積極的になりつつある。

 とはいえ韓国では、単一民族の意識が日本以上に強かったため、外国人に対する差別や偏見が根強くある。それだけに外国出身者と韓国の選手が一体となってなしえた今回の快挙が、韓国社会全般に影響を及ぼすのか、アイスホッケーに限定されたことなのか、その影響の広まりが注目される。

 もっとも韓国のアイスホッケーは昇格したとはいえ、トップディビジョンで戦う来年以降の展望は明るくない。

 まず2月に平昌五輪が終わった後も、特別帰化の選手が7人という、現在の態勢を維持できるかは不透明である。恒常的な強化をするためには、韓国内の選手の強化が不可欠である。しかしここで、前回も書いた、チョン・ユラの問題が影を落としている。

 スポーツ特待生に対する管理が厳しくなる中で、大学スポーツの華である、延世大学と高麗大学の定期戦である延高戦も改革を迫られた。延高戦はこれまで、毎年秋に野球、サッカー、バスケットボール、ラグビー、アイスホッケーの対抗戦として行われていた。

 韓国ではマイナースポーツであるラグビーやアイスホッケーが生き残れたのは、延高戦の存在が大きい。実際アイスホッケーの韓国代表のうち、韓国の選手の大半がこの両校の出身である。

 しかし梨花女子大の不正入学したチョン・ユラの問題の影響で、スポーツ特待生への対応が厳しくなるとともに、延高戦も、エリート競技の対抗戦から、一般の学生も参加する延高祭に変わる計画が持ち上がっている。

 延高戦の変化は既に戦力低下が著しいラグビーだけでなく、アイスホッケーにも影響を及ぼすのではないか。

 一方日本の男子は、実質3部相当であるディビジョンⅠグループBに属している。女子が平昌五輪の出場と、トップディビジョン昇格を決めたのに対し、影が薄い。しかしながら、見方によっては、隣国の躍進は、強化の絶好機である。

 特別帰化の選手の多さに様々な意見があるにしても、隣国の強化が進み、結果が出ている今のうちこそ、取り残された感のある日本の男子アイスホッケーも、いい刺激に受けて切磋琢磨してほしいのだが、果たして……。

 

 

2017年4月27日 (木)

チョン・ユラ問題の余波に揺れる韓国の大学スポーツ

 大統領選挙が終わり、朴槿恵前大統領の裁判が始まるまでは、一連のスキャンダルの追及は、小休止といったところだ。しかし、このスキャンダルの余波で、大学のスポーツは大きく揺れている。

 朴槿恵、崔順実ゲートで韓国の若者たちを怒らせたのは、崔順実の娘のチャン・ユラの梨花女子大へのスポーツ特待生としての不正入学問題であった。権力を背景に、大学幹部も絡んだ露骨な不正は、怒りを買うに十分ではあった。

 けれども、スポーツ特待生に関しては以前から不正が横行しており、大学の運動部の監督らが、収賄容疑で逮捕されることも、珍しいことではない。真偽不明の話もあるが、トップ選手を入学させるために、レベルの下がる選手もセットで入学させることもよくあるといった話も聞いたことがある。

 チョン・ユラの問題を契機に、スポーツ特待生に絡む不正に世間の目が厳しくなる中、教育部(省)が昨年の1226日から今年の226日まで、スポーツ特待生の規模が100人以上である17の大学を調査したところ、調査した全ての大学で不正が発覚し、不正に関与した教授・講師は448人、学生は332人だった。

 違反行為としては、授業に欠席した学生に対する課題の代理提出、出席数の足りない学生に対する単位の付与などがある。

 また高麗大学、延世大学、漢陽大学、成均館大学では、学業不振で警告を3回以上受けた学生は退学処分を受けることになっているが、そうした措置を取らず卒業させていたケースが、1996年から2006年まで、394人に達していた。

 教育部の調査とは別に、KUSF(韓国大学スポーツ総長協議会)では、成績が一定基準を満たしていない学生は、大会などの出場を禁止している。

 これまで大目に見られていた部分もあったが、チョン・ユラの問題が社会的な関心を呼んでから、成績管理が厳しくなった。そのためこの春、延世大学が大学サッカーのリーグ戦であるUリーグの参加を辞退した。28人中14人が基準の成績を満たしておらず、そのうえ、韓国で開催されるU20のワールドカップに選手を出さなければならず、リーグ戦参加が不可能だという理由だ。延世大学は、校名が延禧専門だった時代から、韓国サッカーの歴史を作ってきた名門チームであった。その延世大学すら、チョン・ユラ問題の余波から逃れることはできなかった。

 スポーツの強豪校といえども、学業を優先すべきとの姿勢は、日本でも同じだ。私が明治大に通っていた頃は、強豪チームに属する体育会の学生は、あまり授業に出なかった。時おり配られる出席カードは、授業によっていくつか色が違うが、全ての色を集め、代筆するのもマネージャーの仕事の一つだった、という話を聞いたことがある。今は出欠の管理が厳しくなり、そうしたズルい行為はできなくなっているようだ。練習も早朝や夕方など、できるだけ授業に支障のない時間に行うようになっている。

 スポーツだけやっていれば大学を卒業できるという慣習は、問題が多いのは間違いない。といって、入口の部分では、スポーツさえできていれば良しとしていたのに、入ってから厳しくなるのも、酷ではある。

 特に韓国の場合、以前は、高校の運動部の生徒はほとんど授業に出なかった。近年では授業に出ることを義務付けているものの、受験競争が日本以上に厳しく、運動部の生徒と、勉強だけをしている生徒は完全に2分されている。

 勉強だけをしている生徒にすれば、大会出場のため授業に出ないことも少なくなく、放課後に行われる補習や自主学習に出てこない運動部の生徒に対して、ネガティブな感情もあるようだ。

 韓国のスポーツが強くなった背景に、メダリストなどに対する兵役免除や生涯年金とともに、スポーツ特待生制度もあった。今その柱の一つが大きく揺れている。

 問題の根本的な解決は容易ではない。勉強との両立は小学生の段階から習慣づけなければならないし、勉強だけをしている生徒との垣根もなくしていかなければならない。そして、過渡期の混乱をいかに最小限にすることができるかが、今後の韓国スポーツの活躍のカギとなる。

 

 

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